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2018-10-20 の記事 - 2018-10-20
パラ選手のポスターに「配慮欠く」と批判 都が撤去

これはいくらなんでも。なぜこのようなものが通ってしまったのか、理解に苦しみます。

もともとこの言葉は、文脈まで踏まえれば特段問題のあるものではないようですが、それを何の留保もなく掲示するような使い方をした以上、障碍者に対する加害の言葉と化していることは確かです。そういう意味でも掲示すべきものではなく、撤去の決定は妥当です。
しかしながら、真に恐ろしいのはこの言葉が直接障碍者を傷つけることではありません。こうした言葉が平然と掲示されることにより、この言葉の意識がマジョリティの間に浸透してしまうことです。

この言葉、一言で言い表すなら、「極めて名誉マジョリティ的」とでも形容できるでしょうか。
LGBTにせよ障碍者にせよ女性にせよ、被差別属性を持つ者が自ら差別の存在を否定してみせ、ポジティブな言葉で上書きすることは、マジョリティにとって非常に人気のあるコンテンツです。話題になる自民党女性議員は大体がこのパターンですし、先のLGBT差別でもその手の人物が出てきていました。これをすることで自らは名誉マジョリティのポストを得られ、マジョリティから高く評価されるというわけです。
しかし当然のことながら、名誉マジョリティが自分は差別されていないと主張していても、その属性を持つ他者も差別されていないことにはなりません。被差別属性であっても、実際に差別されるか否かは生まれや社会的立場、運などによって大きく変動します。そして、差別というものが他人を劣ったかのようにみなす行為である以上、劣っていると特段みなされていない幸運な例よりも、より劣ったかのようにみなされている例こそを見て、それを是正しなければなりません。

この言葉の元発言に関して言えば、おそらく名誉マジョリティ的なものではありません。パラリンピックでは障碍を言い訳にできないという意味でなされた発言であると指摘されており、そうであればアスリートの言葉としてごく自然なものです。
しかし、このような安易な掲示の仕方では、まず間違いなく名誉マジョリティ的な発言としての機能を持つことになります。これが意識的に行われたものか、無意識になされたものかは分かりませんが、結果的にはマジョリティ側によって「作られた」名誉マジョリティ発言となってしまったといえるでしょう。
この言葉をこのような方法で用いようと考えた者にしても、あるいは先日問題になった退去バラエティ番組にしても、さらにはヘイト本出版社にしてもそうですが、現状のこの国のマイノリティにとって、レイシズムに染まったマジョリティの存在は生存権にかかわるほどの脅威であるという観点が完全に抜け落ちていると言わざるを得ません。

相模原事件はおそらく戦後日本史上最悪のヘイトクライムであり、障碍者であることを理由とした殺戮行為です。本来、このような異常行為は到底許されるものではありませんが、肯定する者が少なからず現れているのが今の日本です。おまけに、肯定する連中は誰か具体的な特定個人について「そいつが憎い」とみなしているのではなく、障碍者という属性に対する殺戮を肯定しているのです。相手に恨みがあるわけでもなんでもなく、顔を見たこともないような相手の殺戮を肯定しているわけです。極めて恐ろしい状況であると言わなければなりません。
あるいはLGBT差別。与党議員の杉田氏が大手出版社と一緒になってLGBTをいきなり攻撃しにかかった件は記憶に新しいところですが、小川氏に至ってはLGBTについて詳細を知らなければ、知るつもりもないことを文章中で公言しています。最初から知るつもりもないような属性について、大手出版社までが手を貸してわざわざぶん殴りに行くのですから、まともに考えれば正気の沙汰ではありません。
マイノリティは何もしていなくても、特に恨みを買うようなことがなくても、与党議員や大手出版社などを含む身勝手な差別主義者からいきなりぶん殴られたり、最悪殺されてもおかしくない状況に置かれているのです。
この両者に共通するキーワードは「生産性」ですが、この上さらに「障がいは言い訳にできない」などという価値観が社会に蔓延したらどうなるか。「生産性」による差別思想をより強化する結果となるであろうことは目に見えています。

しかも、マイノリティは理不尽にぶん殴られても反撃することは困難です。少しでも抵抗の動きを見せた途端、「黙って殴られるのに耐える涙ぐましいマイノリティ像」を求め、そうである限りはお目こぼしをしてやろうと考えているマジョリティ様が、大挙して攻撃してくるためです。こういった連中にとっては、名誉マジョリティこそがまともに扱うに値する唯一のマイノリティであって、それがマイノリティが自らの身を守り、成功するための手段となっています。
一方、複合差別に抵抗した辛氏、性犯罪を告発した伊藤氏などは、苛烈な攻撃を受けて海外に「亡命」することになりました。被差別側が名誉マジョリティや泣き寝入りを選ばないのは、これほどに困難なのです。

それにしても、これがよりによってパラリンピックを盛り上げるイベントのためのポスターとして作られるとは、なんとも残念な話です。パラリンピックの意義を理解できているのでしょうか。