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2018-10-14 の記事 - 2018-10-14
柴山文科相、教育勅語「アレンジし道徳に使える分野も」

ヘイトデモ参加者名簿と見間違うような内閣だけあって、早速これです。

どれほどひどい料理であっても、材料が腐っていたり一般に食されない代物であったりしない限り、普遍的な材料が用いられています。それこそ「教育勅語」のような異臭を放つ大失敗ゲテモノ料理であっても、素材自体は例えば塩や野菜、魚といった普遍的なものが用いられています。
しかし当然のことながら、異臭を放つ異常な料理を子どもたちに食べさせようとしたり、ましてや「これを食べられないということは、塩や野菜、魚を否定するのか?」と意味不明なことを言い立てるのは完全に間違っています。
素材が普遍的であるならば、異常な料理から多少はマシに見える部分を取り出して食べさせようとする必要はありません。同じ素材を使ってまともに食べられる料理を作れば済むことです。
それを、なぜこの手の人々は何が何でも教育勅語にこだわるのか。それが教育勅語でなくてはならないからです。彼らは子どもたちに野菜や魚を食べさせたいのではありません。何が何でも、見た目や異臭をごまかしてでも、ゲテモノ料理を食べさせたいのです。
当然、こんなものには断じて賛同などしようがなく、全否定されなければなりません。

ところでこの教育勅語、普遍的でまともなことも書いてあると主張する人はいるものの、私としては「普遍的でない」人に対して全く普遍性を持たない点が気になっています。もっと踏み込んで言えば、こんなものは教育で押し付けるような内容ではなく、むしろ普遍的から外れた人々の権利を守ろうとする内容こそ今の道徳教育に必要ではないかと考えます。

以下、「教育勅語は普遍性を持つ」と柴山文科相が言ったので、現代語訳を読んでみましたの戦前の文部省図書局による口語訳より。

・父母に孝をつくし
「父母」がいない者がいるのもさることながら、親から嫌がらせ・暴力行為・性的行為・ネグレクトなどの虐待を受けた者にとって、「孝をつくせ」は呪いの言葉です。それを言う方には悪意がなく、それ自体は世間的には正しいとみなされており、言われた方は真正面から反論することが難しく、それでいて魂を深々とえぐる、まさに言葉の凶器に他なりません。
こんなものは国や学校が押し付けるようなことではありません。それよりもむしろ、虐待の概念や知識を道徳などの授業でしっかり教育し、相談窓口などの情報を十分に提供し、虐待を受けた本人、または虐待らしき事例を見かけた周囲が動ける環境を整えて、父母や保護者による虐待から身を守れるようにする方が重要でしょう。

・兄弟姉妹仲よくし
これも同様。事情は様々ですから、仲よくしろと押し付けられるようなものではありません。肉親だろうが誰だろうが、他人を踏みにじったりするような輩を嫌うのは当然。

・夫婦互に睦び合い
これもまた呪いの言葉。睦び合いたくてそうするのは個人の自由ですが、配偶者が家庭内暴力(精神的・物理的を問わず)を行うような場合、そのような者と睦び合う必要など何一つないのです。
実際に学校で教育すべきは、家庭内暴力の知識でしょう。精神的な支配なども家庭内暴力となり得ること、ハネムーン期というものがあってなかなか逃げられない心理状態になること、しかし即刻逃げて身を守るべきであることなどを教育し、身を守る知識を提供すべきなのです。
ちなみに、破滅的な夫婦関係なのに、子に対しては親が無理に配偶者を立てようとするケースも珍しくないようで、当然子どもはそれを完全に見抜いていて、逆に白けていたという話をしばしば耳にします。とはいえ、こんなものが正常な状況と勘違いされれば世代連鎖の可能性があるわけで、白けた方がまだマシなのですが。「睦び合」うべしという呪いの成れの果てです。

このように、「普遍的」な呪いの言葉で人をがんじがらめにするのではなく、「普遍的でない」人が命や権利を守れるような教育こそ、本来目指すべきものでしょう。これは教育の理念、すなわちあらゆる人に一定の知識を提供するという点からしても妥当なものです。
他にも、教育勅語のほとんどは「部分的には正しいと強弁できなくはないものの、国がそれを言い出してはどうしようもない」「反面教師としては役に立つ」「むしろ国がそれを守れ」と言わざるを得ない事柄で構成されています。

・朋友互に信義を以て交り
友人関係も人によって様々なのでは。どうして友人とのあり方までああしろこうしろと言われる必要があるのか

・ヘりくだって気随気侭の振舞をせず
麻生氏にでも言っては?
それと、インターネットやら書店やらテレビ欄やらには「日本スゴイ」「中韓はダメ」が並んでいるようなのですが、これはどうしましょうか。
これらを事例として挙げた上で「こういう最低な行為は人間として恥です」と教育するなら大いに結構。また、こうした行為は「愛国心」を御旗として行われますから、当然「愛国心」とやらを疑う教育もセットにする必要があります。

・人々に対して慈愛を及ぼすようにし
福祉・被災地切り捨て真っ最中の政府に言っては?
自己責任バッシングや「生産性」論を一切否定する教育を行うなら、あってもいいでしょう(ただし、これは本来「慈愛」とは別の次元で否定されるべきものなので、あくまでとっかかりとして)。
逆に、人々の慈愛や助け合いによって国の責任をあいまいにするようなことがあってはなりません。例えば被災地ボランティアは慈愛に含まれるでしょうが、災害対策や復興は本来国の責任であって、ボランティアはその隙間を埋めるものでしかありません。

・学問を修め業務を習って知識才能を養い
これは国に言われるようなことではありません
学問を収め、知識才能を養うのは、言うまでもなく非常に素晴らしいことです。しかし、それはあくまで本人が自分のためにやるものであって、国のためではありません。せいぜい「国に還元されたらラッキー」程度。国が教育環境を整備すべきなのは、学問・教育は人の権利であるからです。
国がウダウダと言い出し、学問や知識は国のためということを隠さなくなると、人間としての見識を広げ、時として発見ももたらす「無駄な知識」は第一に切り捨てられ、果ては「法学部では憲法や刑法ではなく、大型二種免許を取得しましょう」「工学部では機械力学ではなく、トヨタの機械の使い方を覚えましょう」などと頭のおかしい案を大真面目に言い出すことになるのです。

・善良有為の人物となり
同上。善良とか有為とか、なぜいちいち国に決められねばならないのか。それに、国からすれば邪悪の極みでも、市民にとって善良有為な人もいるでしょう。
例えば多くの沖縄県民に評価された翁長氏は、安倍政権にとっていかなる人物でしょうか。与党議員・杉田氏にとって「生産性のない」LGBT、そしてLGBT差別に抵抗する人々はどう見えるでしょうか。

・進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし
教えるべきは「公共の利益」よりも「公共の福祉」です。

・常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し
法令にせよ典範にせよ規則にせよ、それらは公正性を保つ上で必要だから守られるべきなのであって、そうでない場合にもとにかく守れと言い立てるのは正しくありません。
例えば、ローザ・パークス、杉原千畝、ナチスへのレジスタンスなどは、いずれも規則を尊重しなかったから評価を受けている人々です。
政府がお友達に多額の国有財産を提供する汚職をしたならば、それを知った人は規則としてそれを公開してはいけないことになっていても、公正性のために世に出すのが正しい行動です。その記録の改ざんを命じられたならば、本来従わなくてはならないとしても、それを拒否するのが正しい行動です。
児童・生徒にとってもっと身近な例で言うなら、人権を侵害するブラック校則は守らないことこそが公正性に資する行為です。
不公正な規則であっても、とりあえず遵守しておいた方が楽ではあります。しかし、その規則によって蹂躙されるのに耐えるだけの余力が残っていない人もいます。そうした人を理不尽な規則から守るためにも、公正性に反する規則に対しては、余力がある人や直撃は受けない人が率先して抵抗しなければなりません。
なお、「憲法」の「尊重遵守」に限ってはしっかり教育してよいと考えています。憲法を守るのは権力であって、それを守らないような権力は即刻退場させなければならない、ときっちり教えるべきでしょう。

・万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧けて皇室国家の為につくせ
論外
特攻犠牲者や戦没者に関して、よく「亡くなられた方々のおかげで今の日本の発展がある」などと言われたりしますが、つまり第二次世界大戦で仮に日本人全員が一身をささげて一人残らず玉砕していたら、日本には相当に分厚い礎が築かれていたことでしょう。そうなれば、きっと日本は米国や中国など到底相手にならないほどの大発展を遂げ、世界一の国となったに違いありません。全員死んでいるのに誰が発展させるのかは知りませんが
なお私は、教育勅語のこのフレーズを道徳教育で取り上げることには反対ではありません。「こんなふざけた幼稚なスローガンのもと、若者は命を投げさせられた」と教育する上で、これほど有効なものはないからです。ついでに、特攻などを命じて若者を散々死なせた連中がしばしば生き延びて天寿を全うしたり、国のために身をささげた人ではなく逃げ延びた人こそが戦後の発展に関与できた事実もしっかり伝えるべきです。

天皇がどうたら、先祖がどうたらといった妄想文の部分はバカバカしいだけなので、武士の情けで取り上げないでおきます。なんであんな恥ずかしい文章と「ヘりくだって気随気侭の振舞をせず」が同居できるのか。さすがはヘイト政権お気に入りの文だけはあって、そこら辺のヘイト本に書かれていそうな内容です。
このように、教育勅語の逆を行き、人権の大切さや身を守る方法を教えるきっかけとして用いるのであれば、確かに教育勅語は案外良い教材になり得ます。当然、柴山氏やヘイト内閣の面々が見れば即座に脳の血管が切れるような教材ができあがるでしょう。