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2018-08-02 の記事 - 2018-08-02
杉田水脈議員に自民党が指導 「配慮欠く」と異例の見解

差別及び優生思想を垂れ流しておいて、処分ですらなく単なる指導ですか。しかもその内容もどこかで見たようなアレ。配慮を欠くだの不適切だのではなく、「LGBTに対する著しい偏見及び優生思想の両方に基づく極めて悪質な差別」です。LGBTヘイトと相模原事件の犯人の優生思想が合体した悪魔のような議員など辞職させるのが当たり前。そうなると自民党議員はほとんど辞めることにはなるでしょうが。
ともかく杉田氏は辞職、二階氏と「先輩方」も厳しく処分。それは最低限必要でしょう。

>石破茂・元幹事長や小泉進次郎・筆頭副幹事長が相次ぎ批判するなど、波紋が広がっていた。

ヘイト発言で気分が悪い中、ますます気分が悪くなります。杉田発言に対する人々の反応は早く、LGBTでない人も「差別を容認してはならない」「生産性の思想を放置すれば、問題はLGBTにとどまらない」として即刻LGBTと連帯、あっという間に抗議を作り上げました。
ただの市民がそれぞれ動き、抗議を作り上げたのに、自民党議員として一定の責任を持つであろうこの世襲坊やはその間一体何をしていたのか。抗議の声が激しくなったので石を投げてみせただけ。おかしいと考えているなら、問題が出始めた時点ですぐに頑としておかしいと主張し、党に対応を迫るのが当然ではありませんか。それでも党が全く対応せず、差別発言がどうしても許せないなら、考え方が全く異なるのだから離党しかない。
当然、氏はそのようなことは絶対にしません。実際には差別を許せないと考えているわけでも、差別政党である自民党と思想を異にするわけでもないからです。

二階氏「大げさ、この程度の発言で」 杉田水脈氏巡り

杉田もろとも辞職しろ、ゴミクズ以下の議員が。

ところで、やはり先日の自民党前抗議がかなりの効果をもたらしているようですが、これに東京レインボープライドが参加したのは、そもそも当然とはいえ画期的なことであったといえるでしょう。

レインボープライドのような運動体は、表面上の「政治性」を嫌う傾向にあります。それを明確にするよりは、曖昧のままで済ませた方が運動の広がりがよくなるという読みがあるためです。
その結果、運動が「政治的」にならないように細心の配慮するという、実は最も政治的な立ち位置の下にこうした運動体は存在してきました。
そもそも現代社会の人間にとって、その生活はそのまま政治に関わるものですし、ましてやLGBTの人権擁護と制度上の差別の撤廃を求める活動が「政治的」でないことなどできません。すなわち、その活動を「政治的」でないものとすること自体が極めて政治的な打算の上で成り立ち、政治的な方針として機能していたわけです。
そして、それは確かに途中まではある程度上手くいっていました。もともとマイノリティの中でもかなりの人口を持ち、多くの人が漠然と肯定するであろう「(性の)多様性」を題目とし、日本社会の中でも注目を築き上げてきたLGBTは、各自治体や企業・学校などにとっても無視のできない存在となり、徐々に権利を勝ち取ってきました。
これはいわば、主張する側と受ける側の双方が「政治性」にフタをするという非常に政治的な駆け引きの下でなされたものであり、LGBT運動体の側は政治的立場はさて置いて、とにかくLGBT差別解消を申し入れ、受け入れる自治体などの側も政治的立場はさて置いて、「多様性」や「人権」を題目として啓蒙活動を行ったり、制度を作ろうとしたりしてきました。
運動が進んでいくにつれ、この「大人の関係」が上手く回らなくなる(いずれ運動体の側は自らの「色」に自覚的になり、受け入れる側もより積極的な観点から差別解消に動くようになる必要がある)のは時間の問題でもありましたが、ともかく政治や自治体・企業・学校などの側としても、本音はどうあれ多様性や人権を表立って非難するわけにはいかず、とりあえずここまでは歯車がかみ合っていました。
しかし、ここで異常な政権である安倍政権の、しかもその異常思想を垂れ流すスピーカーとしての役割を持った杉田氏が、大変なことを言い出しました。彼らにとっては「多様性」も「人権」も、本音どころか建前の上ですら守る必要がないと考えているものですから、この場で「大人の関係」の構図は一瞬にして壊滅することとなりました。

こうなってしまっては、レインボープライドの側も決断を迫られます。そして、彼らは差別や人権、そしてその政治性などを十分理解している運動体のはずですから、抗議に参加しないことは、参加することよりもさらに政治的である事実を即座に認識したに違いありません。
例えば、政治家でも何でもないが影響力はある有名人なり企業・団体なりが強力なLGBT差別を垂れ流したとしましょう。そうすれば、LGBTの運動体はこれに抗議を出すでしょうし、一般にはそれが政治的と呼ばれることもありません。「透析患者は殺せ」の長谷川豊氏に関係団体が抗議を出したのと同じです。
ところが、それを垂れ流したのが自民党の議員であったならば、抗議することがその時点で「政治的」なものとなってしまい、自らを「政治的」ではないものと位置付けようとすれば抗議ができなくなってしまうのです。ただの有名人や団体などが相手なら抗議できるのに、それよりも責任が重く、実際に立法にかかわることができる議員へは抗議ができないとすれば実に本末転倒な話で、「政治的」ではないことの政治性をこれほど強く認識させられるものもありません。
結果、レインボープライドは抗議の道を選びました。妥当な判断でしょう。そしてまた、もはや「政治的ではない」という極めて政治的な立場を貫くことも不可能となった状況にとうとう直面したこれからが正念場であるといえるでしょう。

どのみち、それはいずれ必要な変化でした。
「LGBTの地位が向上するなら、それを訴える相手が人権を縮小しようとする勢力でもよい」「LGBTの地位は向上させるが、在日など他のマイノリティの差別問題にかかわれば政治的になるので関係しない」。LGBT運動を「政治的」ではないものとする代償が、このようなひずみを生んでいたのです。
例の「生産性」発言は、LGBTのみならず、障碍者やその他のマイノリティをはじめ、この社会のありとあらゆる人間に向けられた刃です。この腐りきった優生思想・差別思想を否定するのは、まさに人間や社会が持つ多様性に他なりません。
彼らが抗議で掲げたレインボーは、人種・民族・出自・その他あらゆる多様性の象徴であって、もはや単に性多様性のみを表すだけの記号ではないと信じます。
そして、これは本件だけに当てはまることではありません。「政治的」ではないという極めて強い政治性を帯びる様々なものは、いずれその皮肉な政治性と決別しなくてはならないのです。こと、政権与党が差別主義者として精力的に差別をまき散らす異常事態となってしまった現状においては、決してそれを避け続けることはできません。