Message PHP
[Homepage] [Script Top] [Administrator]

2018-06-17 の記事 - 2018-06-17
新潟県知事選。かなり絶望的な結果です。

無論、選挙結果自体が絶望的なのではありません。反差別者は今まで、「まさかあの自民がそこまではしないだろうし、する輩は党内が許さないだろう」に裏切られ、「いくら公明が権力の亡者になりさがっていても、さすがにそれは止めるだろう」に裏切られ、「民進がようやく野党共闘に動き始めた。ごく大まかな団結でいいから、差別に反対する軸を作れ」の矢先に小池ヘイト党への身売り。「差別議員を小池ヘイト党に引き取ってもらった立憲民主は対立軸を打ち出せるはず」は京都相乗りで打ち砕かれ、「小池ヘイト党や民進に所属せざるを得なかった志ある議員は立憲民主に加われ」の状況で国民民主党誕生。少々のことで絶望などしようがないわけです。
今回の選挙戦は予想よりもむしろ善戦していたほどですし、たかだか一敗でしかなく、いちいち嘆くようなことではありません。

では何が絶望的なのか。
今回、花角・自民党陣営は差別を全く隠そうとしていませんでした。自民党自体はもはや在特会と大して変わらない存在でしかなく、薄汚い差別主義者としての中身を「(伝統的な)自民」ブランドの服で覆い隠していただけでしたが、今回はとうとうその服さえも脱ぎ捨ててしまった感があります。
まず花角氏のTwitterアカウントはレイシストを何人もフォロー。露骨にもほどがありますし、政党色を隠してクリーンさをアピールしていたはずの花角陣営が、あえて自らに強烈な色をつける行為に出ることが驚きであり、それをすることが自身にとって有利になると考えた上での行動であったとしかみなしようがありません。
氏の応援に立った地元商工会の人物は「新潟に女性の知事はいらない」と演説。普通、このような発言は候補のイメージを下げるはずですし、陣営としてもこれが意に添わぬ発言であるなら「候補本人はこの発言を一切容認しない。極めて不適切であって、断じて許されない」などと必死でアナウンスするものですが、残念ながら花角氏の場合、このセクシズム発言が逆に票を増す方向に機能したことでしょうし、陣営もそれに自覚的であったものとみられます。
さらに、自民党は応援弁士としてどうしようもないデマレイシスト議員を何人も新潟に送り込みました。こうしたことからも、花角氏のヘイト戦略が陣営の暴走などではなく、自民党主導で明確に定められた方針であることが見て取れます。
また、これは花角陣営などが直接かかわったものではないのでしょうが、池田氏を貶めるために拉致問題を利用した卑劣なデマが、レイシストの手によって平然と垂れ流されました。たとえ陣営が直接かかわっていなかったとしても、レイシストを仲間にするというのはこういうことなのです。

この露骨なヘイト戦略については、さすがにあきれ果てて「自民党は新潟知事選を捨てたらしい。いくらなんでも人をバカにするにもほどがあるし、おそらく自滅するだろう」と楽観的な見方をする者もいましたが、一方で「いや、自民党はこれが効果的とみなしているからやっている。非常に厳しい選挙になる」と悲観的な見方をする者もいました。
私の見立ては後者でした。路上で「殺せ」を連呼する連中などいずれ消滅するだろうと楽観視していたら次々増加したことに始まり、書店や大手出版社にまでヘイトの浸食が及び、自民党がヘイトをすればするほど支持を集める構図など、到底信じられないような現実を散々見せつけられてきた以上、これを楽観視する要素はどこにも存在しないためです。
そして実際、悲観論は見事に的中します。
おそらく今後、今回のヘイト選挙の経験は自民党の選挙戦略に少なからず影響を与えることになります。安倍氏の支持率が下げ止まっていることを見ても、安倍氏や自民党の支持層はもう大半がレイシストであるとみなすべきで、レイシストでない層に手を広げても勝てるとは限らず、逆に徹底的にヘイトに振れば勝てることを実証してしまったのが今回の選挙であるわけです。
これからは自民党によってさらに露骨にヘイトが煽られ、社会はますますヘイト化し、多くの被差別者が踏みにじられることでしょう。たかだか野党の一敗などより、これこそが今回の選挙の結果がもたらす絶望的な点なのです。

では野党はどうすればいいのか。
レイシスト側のメディアなどはご丁寧にも野党の敗因分析をなさってくださっており、「野党が政権を批判していたので負けた」などと実に有難いアドバイスを提供しておられますが、普段あれだけ被差別者を徹底的に貶め、デマを垂れ流し、ヘイトを煽り立てている連中が、今回の知事選で急にスポーツマンシップに目覚め、野党のために一肌脱いで塩を送ってやろうなどと考えるわけがありません。
これはつまり「それをやられては困る」ということですから、国民民主党辺りがこれにつられて「現実的で建設的な対案路線の政治」などと散々言い尽くされて必ず失敗してきたことをまたしても言い出さないように注意しなければなりません。差別・文書改ざん・立憲主義の否定に温情も対案も存在し得ません。
ただし、このままで野党が勝てるかというと、やはり厳しいと言わざるを得ません。日本はおぞましいまでの差別大国であり、差別に反対する側を固めきっても差別側に勝つのは極めて困難です。しかし、だからといって自分も差別側に立つことは絶対に許されませんし、実際にそれをやれば小池ヘイト党の二の舞になるだけです。

はっきり言って、選挙の時に何かをするだけでは通用しません。普段から野党一丸となって全力で差別に対抗するしかありませんし、さもなくばジリ貧になるだけです。そして、何をやるべきなのかは差別カウンターや懲戒請求騒動が示してくれています。
レイシストは被差別者に対し、見るも聞くもおぞましいような異常な言動を平然と投げつけ、その命の存在や価値、生きる権利に至るまでも公然と否定し、人としておよそ許されざるような攻撃を仕掛けています。ところが、そこまで異常な暴挙に出る攻撃者でありながら、カウンターに激しく怒鳴りつけられたり、弁護士によって反撃を受けたりすれば、直ちに大狼狽して逃げ惑うような連中であることも判明しています。
であれば、野党が取るべき方法は1つ。まずは手始めに、デマやヘイトを垂れ流して不当な攻撃を仕掛けてくるレイシストに対し、刑事・民事による法的責任の追及を含めた徹底的で一切容赦のない反撃を浴びせることです。
これはそもそも、以前からその必要性を強く指摘されていたことです。レイシストは野党が反撃してこないのをいいことに、デマやヘイトで執拗に攻撃し、その延長線上で被差別者個人に対してもおぞましい攻撃を行っています。反撃できる力を持った者が反撃するのは社会の差別を減らすために必要な道であり、その者の社会的責任に他なりません。
自民党や日本会議らヘイト勢力は何年もかけて地道に差別の種をまき散らし、レイシストを培養してきました。結果、差別は空気のように当然に存在するものとなり、差別に加担しないことは政治的行為とみなされるという異常な社会となりました。野党もまた、レイシストを少しずつ押しつぶしていくという地道で面倒な努力を積み重ねてようやく、今すぐにとはいかなくても、徐々に有利な状況に立つことができるようになるのです。

民主主義の社会においては、より文化的で、より多様性を尊重し、より立憲主義を守る政治を選ぶことができます。その一方で、後で誰かのせいにしたり、騙されたなどと白々しいことを言わないのであれば、「苦しんで死ぬ」ことを選ぶのもまた自由です。言うまでもなく、差別に明るい未来はありません。被差別者の人権が無視され徹底的に踏みにじられる社会になったとして、被差別者以外の人権はきっちり守られる、などということは断じてあり得ません。
差別を一貫して否定しているにもかかわらず、その巻き添えを食うこちらとしてはたまったものではありませんが、それもまた社会の差別を止められなかったがための結果ですから、巻き込まれたとしても文句は言えないかもしれません。
ただし、その「苦しんで死ぬ」道を選んだ場合、まず最初に苦しんで死ぬ立場に追いやられるのは、外国籍などのため選挙権を持たない人々、あるいは障碍があるなどで選挙権を行使することに困難が伴う人々など、選挙によって自らの身を守る意思表示すらできない人々を含む、被差別者に他なりません。大日本帝国にせよナチスにせよ、差別で身を崩した国家は必ずそのような順序を経ています。
「苦しんで死ぬ」道を選ぶのは勝手ですが、「他人を苦しめて殺す」権利を持つ人間など存在しないのです。今回の知事選は、そういう意味で極めて理不尽な図式が一切隠し立てされずに顕在化した最初の選挙であったといえるでしょう。