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2017-12-16 の記事 - 2017-12-16
「完パケ」見ず放送...「ニュース女子」にBPOが指摘した6つの問題

ニュース女子制作会社、「中傷に屈しない」の見解変えず

あの悪質なデマ・フェイクニュース番組に対し、BPOの検証委員会から「重大な放送倫理違反があった」という意見書が出されました。あれで違反がない、または軽微だなどという結論が出せるわけがなく、当然の結果でしょう。

マスメディアはいい加減、大事な「報道の自由」を毀損させず、放送または活字メディアとしての信頼性を保つためには、自らが厳格に襟を正し、報道においてデマやヘイトを垂れ流す者は厳しく非難し否定することが必要であると自覚すべきです。
報道とは自由・寛容であるべきものですが、寛容主義というのはすなわち、不寛容に対して徹底的に不寛容であることを意味します。不寛容に対して寛容な姿勢を取るならば、その不寛容によって寛容が壊滅させられるためです。不寛容に対しては不寛容を、報道の自由の悪用に対しては自由でないとする姿勢を取らなければ、結局は不寛容や悪用に自分の首をもぎ取られることになるでしょう。

既存メディアはしばしば、インターネットなどと比較した場合の自らの報道の信頼性を強調します。現代の日本のインターネット上にはデマまとめサイト、デマ動画などが山ほど転がっており、およそありとあらゆるコンテンツがヘイトに汚染されているのを見る限り、これはある程度は正しいといえるでしょう。
ただし、産経新聞のようにまとめサイトも同然の記事を発信する、あるいは今回のMXテレビのようにインターネット上のヘイト動画と同等のデマ映像を垂れ流すということを続けていけば、それはもはや好き放題にレイシズムを垂れ流すまとめサイトと何ら変わらないものと成り下がります。
そうなれば最後、もはやインターネットのヘイトまとめに対する既存報道の優位性などはどこにも存在しなくなります。今回の「ニュース女子」なるフェイクニュースは、まさにその一歩となり得るほど悪質でデマにまみれた番組であったといえるでしょう。
そして、この期に及んでなおデマやヘイトをメディア全体で断固として否定できないのであれば、そのまま一歩を踏み出してしまうことになるのです。

報道の自由を大事にしたいのであれば、報道関係者にはその自由を保つような努力が求められます。
報道に対する権力の介入は適切でない事態を招くため、報道には自らが高い倫理を課し、BPOという自主的な審査機構がある。それ自体は良いことです。しかし、報道が倫理を捨て去ってしまい、しかもBPOも適切な判断ができなかったり、BPOの判断を放送局が重視しなかったりといった状況となれば、権力がその対処をする必要に迫られる、あるいは対処をするという口実を得られるようになりますから、報道の自由は損なわれていきます。
報道には巨大な力が与えられているのですから、その圧倒的なまでの力を使って被差別者や困窮者、犯罪被害者などを踏みにじりに行くようなことがあってはなりません。力が与えられているのは権力監視や弱者の権利の保護のためであると自覚した上での報道もできず、それを弱い者いじめにしか使わないのであれば、そのような力はいずれ剥奪される結果にしかなりませんし、また剥奪された方が人々のためです。
なお私は、BPOに関しても全く信用していません。「ニュース女子」は何をどう考えようとも異常なものですから、違反以外の意見は出しようがないとして、「保毛尾田保毛尾」問題を「バラエティーの表現の自由の範囲内」で片づけてしまうことからも、放送という強大な力によって差別や偏見を拡散し、報道の力をあらぬ方向に行使してしまった事態への危機感は全く見えません。

今後、放送メディアで今回の「ニュース女子」のようなデマ・フェイクニュース番組が報道されることがあってはなりませんし、あらゆるメディア関係者は本件を明確に、かつ目立つ形で非難すべきでしょう。
また、報道が差別や困窮者攻撃に加担するなどもってのほか、差別が社会的力関係の差を利用したものである以上は自称中立や両論併記も差別への加担という前提に立ち、人種・性別・LGBT・沖縄などあらゆる属性に対する差別を明確に否定する必要があります。
報道によるデマの垂れ流し、差別の垂れ流しや事実上の容認は、対象者の人権を著しく既存するのみならず、報道の自由や信頼に対する挑戦であるとみなすべきものであって、各メディアはそれらと戦わねばなりません。それすらまともにできないのであれば、報道の自由など自壊するだけです。