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2017-09-02 の記事 - 2017-09-02
高須氏に続き、麻生氏がまたしてもナチス発言。
あきれ果てるとはまさにこのことです。それも、よりにもよって「動機が正しくても」とは尋常ではありません。無理やりに擁護するならば、「動機が正しくても」自体が仮定法であると考えることもできなくはありませんが、その場合でも動機が正しい仮定の例示としてナチスを採用する必要が全く存在しないのであり、どう好意的に解釈しようともナチスを肯定する意図がないと取ることは不可能です。
確かに、ナチスが行ったことの「結果」は極めておぞましいものです。ユダヤ人をはじめとして、障碍者や同性愛者といった様々な人々が、その属性を理由として平穏な生活を脅かされ、踏みにじられ、最後には虐殺されることとなりました。
では、なぜそのような恐ろしい結果が生じるに至ったのか。人種差別、障碍者差別、優生思想、自民族至上主義などが動機として存在したからに他なりません。当然のことながら、昨日まで差別が存在しなかった社会において、被差別者が突然虐殺されることは考えられません。まずは恐ろしい動機が前提として存在し、それが当然に行き着く先として恐ろしい結果が待っていたのです。
言うまでもなく、その点において今の日本はほぼ動機がそろっている状態であり、極めて危機的な状況にあります。すでに障碍者殺戮事件は発生していますし、これから水晶の夜や関東大震災虐殺のような事件が発生したとしても、もはや驚くに値しません。このような状況下で、ナチスについて「動機が正しくても」などと言うような人間が日本のかじ取りを行っていることに、極めて強い危機感を覚えざるを得ません。

先日のJアラート騒動は支持回復のための茶番としか解釈しようのないものでしたが、この台風が来ると聞いて子どもが大はしゃぎするかのような低レベルな茶番もまた、案の定レイシズムの材料となっています。直接的な加害の意思を示すような言葉から、在日は加担とみなされたくなければミサイルに反対の声を張り上げろなどと踏み絵を迫るもの、穏健派に対しても攻撃性をあらわにするものまで様々ですが、予想通りの結果であると言わざるを得ません。
この官製パニックによってひとまず何も大事が起きなかったのは幸運でしたが、Jアラートをこのように悪用するのであれば、被差別者は生きた心地がしないことでしょう。ルワンダでフツ穏健派も殺されたのと同じく、穏健派も無事でいられる保証はありません。
そして、それでヘイトの内圧が非常に高まったとしても、当然ながら政府による火消しは全く期待できません。なにしろ政府が危機を煽り立てて火を起こしている側なのですから。ヘイトの内圧が高まれば高まるほど政府にとって都合が良いから必要もないのに危機を煽り立てるのであって、それを避けようとするのであれば最初から茶番アラートなど出しません。また、もし市民やマスコミが完璧に落ち着き払っていて、ヘイトの扇動など全く不可能であれば、ただ顰蹙を買うだけですから茶番アラートを出す理由はありません。
現状の日本において、茶番劇のためにJアラートを使用することは極めて危険です。そして、危険だからこそJアラートには茶番の道具としての利用価値があるのです。

9/1は防災の日ということで、メディアなどでも防災に関する報道がなされているようです。
では、「防災」とは何でしょうか。何をすればよいのでしょうか。
非常用物資を準備したり、避難経路を確認したりと、もしもの時に備えることは大事でしょう。家具が倒れないようにしたりと、災害のダメージを減らす対策を講じることも大事でしょう。消火器の使い方を学んだり、応急処置のやり方を学んだりすることも大事でしょう。
しかし、それだけが防災ではありません。平時から日本社会の差別と戦い、また自分やその周囲が持つ差別意識を克服し、過去にレイシズムが引き起こした事件を学んで繰り返さないよう備えることもまた、非常に大事な防災に他なりません。
熊本の震災をはじめとして、災害時には虐殺扇動を含む悪質な差別扇動デマが垂れ流されることが常態化しています。また、外国人が盗みを行っているなどといった噂も必ずと言っていいほど発生し、それを信じてしまう人も多いといいます。
過去よりも建築や予報などの技術が発達し、また物流や医療の進化によって災害後のケアも昔よりは充実しているであろう現代において、唯一危険性が大きく増している部分がデマの拡散速度であり、防災を考える上でここは決して避けては通れません。他の防災要素と違い、無知であれば自分がデマを拡散したり、デマに踊らされたりして加害者となりかねないという点でも特異です。
避難所においても、身体障碍者、発達障害を含む精神障碍者のいずれもが、肩身の狭い状況に置かれることがたびたび報道されています。障碍者殺戮犯が平然と称賛される世の中において、ましてや余裕のない避難所ともなれば、その立場の弱さたるや相当なものでしょう。すなわち、まさに差別をなくすことが、あらゆる意味・段階において防災となるのです。
マスコミも防災を訴えるのであれば、関東大震災朝鮮人虐殺の歴史修正を試みる小池氏を詰め、ナチスを正当化する高須氏や麻生氏を詰め、ヘイト扇動の火遊びをする政府を詰め、デマの拡散装置となっていながら手を打つ気もないTwitterなどを詰め、日本社会に存在する差別と断固として戦うことは最低限必要なはずです。それこそがマスコミがやらなければならない大事な防災であり、防災を訴える者の最低限度の責任というものです。