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2017-11-18 の記事 - 2017-11-18
「保守速報」の記事掲載、差別と認定 地裁が賠償命じる

悪質な差別デマサイト・保守速報。あの安倍氏がシェアしたということからも、その悪質さ・レイシズムの扇動ぶりがどれほどのものかは分かろうというもの。
この判決は当然すぎるほど当然です。ただ、金額はゼロが1つか2つ足りないようですが。

ヘイトまとめサイトやフェイクニュースサイト、ヘイト動画、書籍、講演、芸能、あるいは政治家による支持拡大のための差別行為など、日本では多くのヘイト商売が幅を利かせています。
これらはかなりの利益が得られるようで、うかつにGoogleやYoutubeの日本語版など使おうものなら山ほどのヘイトサイトや動画に直面することは珍しくありません。書店でもヘイト本を目立つよう掲げる店は珍しくなく、果てはヘイト本一色のコーナーまで見かける場合もあるほどです。講談社がヘイト書籍を出版、それに対して書店関係者や社内からも批判の声が出ている、という記事もありました。
ただし、こうしたヘイトビジネスは錬金術ではありません。レイシズムが商売となって金に化けるとしたら、その分の負担を必ず誰かが被っているのです。

社会において差別が煽られたならば、それは社会の無用な分断と対立を招きます。これは言うまでもなく、社会全体にとっての大きな損失であり、その補填と修復には長い年月と莫大なコストがかかります。
また、差別はマイノリティを著しく恐怖させ、萎縮を招き、さらにはヘイトクライムの危険によってその生活をも脅かします。日本国内でも散々繰り返されてきた「○○人をぶっ殺せ」や、延々と続いてきた人種・障碍・性別などへの差別、そしていわばそれが形となった相模原事件を見ても明らかです。
そして最悪の場合、戦争や内乱、大量虐殺にまで至ることになり、差別被害者は言うに及ばず、そうでない人々に対してまでも取り返しがつかないほどの被害を与えます。差別がそれほどまでに恐ろしいものであることは過去にいくらでも示されており、したがって絶対に差別を認めてはならないのです。
すなわち、差別によって生じる混乱の中で自分に都合の良い部分のみをかすめ取り、それによって生まれるありとあらゆる膨大な負担を社会と差別被害者に全部押し付けることにより、無責任に自分だけは利益を得ようとする行為こそが、ヘイト商売であるといえるでしょう。
本来、個人の行為であっても到底許されるものではなく、まして企業や政治家がそれを率先して行うなど社会的責任上あってはならない話なのです。

差別において最も理不尽に被害を受け、直接的に生活を脅かされるのは差別被害者の方々です。そして、原告の李さんは極めて理不尽で差別的な攻撃のターゲットとなっていました。すなわち、被告の薄汚くあさましいレイシズム商売のために、膨大なまでの負担をもろにかぶらされていたと言うことができるでしょう。
加えて、裁判で争うならその負担も相当なものとなります。今回、被告側は控訴するといいますからなおのこと。これで200万円は全くケタが少なすぎるのです。

希望の党の小池代表辞任 身勝手さが拭えぬ結末だ

おっしゃる通り。皆様そうおっしゃいます。で、そのメディアの皆様が3極詐欺に加担したことについて、何か弁解の言葉はないのでしょうか
特に毎日新聞の場合、「3極の議席は」などと称して「自公」「希維」「共立社」に議席を分けて合計を表示していたほどなのですが、これぞまさに3極詐欺への100%の加担としか言いようがないもので、他人のことよりまず自分がやったことについて反省すべきではないでしょうか。

小池氏はもともと日本会議系レイシストであり、それも在特系団体の講演会にまで出るほどの筋金入りの差別主義者です。なぜか特段話題にもなっていない外国人参政権を、他のもっと優先度の高い問題を差し置いてあえて踏み絵に持ち出すなどした上、有名なレイシスト・歴史修正主義者の中山氏を事実上の当選保証とするような小池ヘイト党が、第3極としての「穏健な保守政党」であることなど決してあり得ません。
当然、メディアには小池氏が相当なレイシストであること、そしてこの政党がレイシズムを主軸とする差別極右政党であると報じる責任があったはずで、それを放棄したがゆえに一時的にでも3極詐欺が成り立ちかねない状況となっていたわけです。
私は「排除」発言で小池ヘイト党が失速したという論調には一切同意しません。ツーショット3万円だの、振り込め詐欺まがいの手法だの、もう政治団体を作りたいのか、それともコメディチームを作りたいのかと問いたくもなるような政党でしかなく、たまたまタイミング的に目立ったのが「排除」であるとみなすべきです。ただ、「排除」の姿勢が少なくとも失速の一因になったとするならば、それまでは氏が差別主義者、すなわち属性など本人の努力ではどうにもならないことに基づいて他人を社会から排除しようとする者であることが知れ渡っていなかったということですから、メディアの責任は重いと言わざるを得ません。
レイシストがメディアによってその正体を隠された上で勝利して重要なポストを得る、ということがマイノリティにとってどれほどの脅威になるか、まさか分からないわけではないでしょう。

そして、これは最初から3極詐欺にすぎないわけですから、泥舟であると露呈すれば小池氏がとっとと船を捨てて逃げだすことなど多くの人が予想していたでしょう。逃げ出した今になって文句を垂れるのであれば、最初から3極など大嘘であると報じておけばよかったのです。
今後またまた3極詐欺師が現れた時にも、今回や維新の時などと同じことを繰り返す気でしょうか。

2017-11-11 の記事 - 2017-11-11
差別を徹底放置し、おかげで災害のたびに差別デマが飛び交うなど毎度お騒がせのTwitter社。このまま問題の放置を続ければ、いずれ人命にかかわるような結果を招くと散々言われていたにもかかわらず、ほとんど野放しの状態が続いていました。
それで起こされたのが、先日のTwitter社前抗議です。これに先立ってTwitter社及び代表の笹本氏は、No Hateを願って対策を進めていくと表明しましたが、案の定差別はその後も徹底的に野放しにされ、そればかりか差別に対抗していた側の人々が連続して凍結される事態となり、ますます批判が高まっていました。
そして今回、とうとう座間9遺体事件が発覚します。直接差別と関係する事件ではないにせよ、かねてから予想されていた最悪の事態が現実のものとなってしまいました。無論、SNSがかなり普及した現代において、SNSを利用した犯罪を完全に防ぐことは極めて困難ですので、運営が精一杯管理責任を果たそうとしていたなら同情の余地はありますが、実際にはあからさまなヘイトスピーチについてすら管理責任を徹底放棄し続けていたのがTwitter社なわけです。
これを受けてか、Twitter社は大慌てで自殺などに関する規約を改訂します。泥縄とはこのことですし、そもそも以前までの規約でも対処ができなかったわけではないはずですから、なんともお粗末な話ではあります。規約よりもまずは管理責任放棄を反省すべきでしょう。
ただ、ここでようやく悪質な人種差別扇動者・高田誠のアカウントが凍結されるに至ります。

〈時代の正体〉桜井誠氏のツイッターアカウント凍結 元在特会会長で日本第一党党首|カナロコ|神奈川新聞ニュース

これほど当然のことがニュースとなるのがある意味すごいというべきか、本来即刻凍結しか考えられないようなアカウントがここまで野放しにされていたことには驚愕せざるを得ません。9人もの命が失われて立場が悪くならない限り、この程度の対処もできないのでしょうか。
ところがその後も、百田氏や高須氏をはじめとする著名なレイシストは野放しにされており、Twitter社にヘイトスピーチと戦う意志がないらしいことがうかがえます。

ちなみにTwitter社、今度は「認証バッジ」(著名な個人や企業について、そのアカウントが本物であることを示すマーク)について「重要度を示すものと受け止められてしまっている」からと認証受付の一時停止を表明しました。
誤解されてしまってお気の毒に、と言いたいところですが、バッジを取得したような著名レイシストはどんな差別をしようと容易には処断されないとなれば、バッジがある種の意味や効果を持つものとみなされてしまうのは当然でしょう。誤解されたくなければ、認証済みアカウントに対しても一般ユーザーと同程度の基準で、あるいは拡散力がある分だけ責任が重いとしてより厳格な基準で対応し、バッジが何の重要度も表さないということを態度で示せばよいのです。

こうして管理を散々放棄した結果、どうなるかというと、こうなります。

SNSの不適切書き込み、規制強化指示 閣僚会議で菅氏

よりにもよってレイシスト政党である自民党がしゃしゃり出てくるとなれば、これは危険な兆候となり得ます。絶対に反対と言いたいところです。
しかし、規制に反対しようにもTwitter社はあまりにも無責任すぎます。Twitter社に対して何の規制もかけずにいれば、まず確実に差別のプラットフォームとして機能し続け、再び取り返しのつかない結果を呼び込むことになるでしょう。
つくづく、Twitter社の責任は様々な意味であまりにも重いと言わざるを得ず、あらゆる点において極めて有害な企業であるとみなさないわけにはいきません。

2017-11-04 の記事 - 2017-11-04
民進新代表・大塚氏「政権交代を」 立民、希望と3党中心

立憲民主、希望の三党を中心に政権交代を目指す決意を語った」そうですが、共産党との連携には慎重とのこと。

希望の党 落選者座談会「民進のままなら当選できた」

こちらは小池ヘイト党に移って見事に落選した連中の負け惜しみです。

私が(元)民進党の議員や落選者にぞっとしているのは、彼らからは全くレイシズムに対する怒りや忌避、それに加担したことに対する罪悪感などが見て取れないことです。
小池氏は在特会関連団体の講演に出たり、関東大震災朝鮮人虐殺事件への追悼文送付をやめるような稀代のレイシストですし、踏み絵の内容からも分かるように小池ヘイト党もまたレイシスト政党です。このような政党に移ること、あるいは合併を承認するなどということは、悪魔に魂を売り、かつ被差別者の平穏を捧げものにするのと同じです。
危機を煽り立て、マイノリティへの憎悪を煮えたぎらせて支持を拡大するというやり方は、現在の自民党が散々やっていることです。それに対抗し、また対抗する人々のよりどころとなるのが、現状での野党の存在意義に他なりません。したがって、党勢を拡大したり、政権交代を目指すためにマイノリティを踏みにじるようなやり方は本末転倒で、そのような勢力を支持することはできません。
ところが、レイシズムの問題に対して多少の知識があれば分かり切っているようなことですら、(元)民進党所属者にとっては理解ができなかったようです。結果、小池ヘイト党は負けるべくして負けていながら、移籍者は負け惜しみ。あのようなヘイト政党を「日本に右でも左でもなく寛容な中道の政党を作るという希望の党の理念は間違ってなかったはずです」と評するのは、何かの冗談でしょうか。もっと先に反省すべきことがあるはずです。
また、民進党残留組もこの点については同様で、要約すると「共産党とは組めないが、差別政党とは組める」といったアベコベなことを言い出すわけです。どこまでふざけているのか、反共や党利に目がくらんで人間として優先すべきものすら見えなくなったのかと唖然とせざるを得ません。
仕掛け人の前原氏についても同様。私は「All for All」の理念は素晴らしいものであると考えますが、ところが小池ヘイト党はレイシスト政党です。それぞれ属性の異なる人々が「みんな」尊重しあう社会こそがダイバーシティであり、逆に特定の属性の人を「みんな」から排除するのがレイシズムです。この合流は「All for All」の理念に真っ向から反するものに他ならず、すなわち前原氏は「みんな」にはマイノリティを含まないと考えていることになります。
共産党と共闘していても勝てていなかったとか、ウジャウジャ言い訳を並べ立てているようですが、レイシストに魂とマイノリティの平穏な生活を売り渡そうとした行為について他に言うことはないのでしょうか。

なお私は、立憲民主党に関しても現状ではあまり信用していません。
確かに、レイシスト政党である小池ヘイト党、そことは組めるのに共産党とは組みたくないという民進党よりはずっとまともでしょう。しかし、理由はどうあれ小池ヘイト党との合流を許し、レイシストと手を組むことを許した責任は帳消しにはなりません。あれが被差別者や反差別者をどれだけ震え上がらせ絶望させたか、まさか分かっていないわけではないでしょう。
また、演説にレイシストの小林よしのりを呼んでくるなど、疑問を覚えざるを得ない行動もみられます(なお、私は先の選挙で比例をどうしようか迷っていましたが、この一件にあきれ返って今回は立憲民主党に入れないことを確定しました)。これでは現状で信用などできようはずもありません。

小泉氏「このままなら自民党必要ない」 政策決定巡り

ある政党の内部からこういう論が上がったら、マスコミから「内輪モメ」扱いをされて不信感を煽り立てられたり、あるいは政界に限らず、事件・事故・不祥事・芸能などにおいて、当事者・関係者が自分のことを棚に上げた物言いをしたところ火だるまにされたりした例というのは結構見てきた気がしますが、マスコミの皆様におかれましては、氏に対してだけは一切そのような扱いをなされあそばせないのでございましょうか。
それではさすがにあんまりでございますので、他のお方がおやらかしになられた時と同様になされあそばしていただきたく存じる次第にございます。

ところで、

>日本にイノベーションなんか生まれないですよ

このセリフ、最近別のところで見かけました。それがこちら。

「だから日本は少子化だ」三菱UFJモルガンから休職命令を受けた幹部が激白

>これで日本はイノベーションが生まれるわけがありません

言葉こそほぼ同じですが、あまりにも重さが違います。
自分も関係者のくせにしれっと他人事を気取って安全圏からキャンキャンわめく、最初からレールが引かれている世襲政治家と、断崖絶壁に直面した当事者たちの地の底からの叫び(保育所に落ちた、学費が無理だ、差別されて苦しい、などなど)、後者こそが人々の耳に届き、後者こそが政治の中心となり、後者のためにこそ動く社会であってほしいと、私は強く望みます。

2017-10-28 の記事 - 2017-10-28
東京オリンピックまであと1000日を切ったとか。私は、2040年の日本(そもそも存在しているのか分かりませんが)がまともなものであるためには、まず2020年のオリンピックを返上して総力を福祉や災害復興に向けることが必要と考えており、よって今後とも東京オリンピックの返上を強く主張します。
どこぞのミサイルでもあるまいに、足元に飢えている人がいるのに大金をかけてお祭り騒ぎなどして何が楽しいのでしょうか。

「髪染め強要で不登校」高3、大阪府を提訴

すさまじい話です。
「髪を染めるべからず」と求めるのならまだ理解はできます。髪や頭皮にダメージを与え、アレルギーを起こす場合もありますので、必要もないのに染めることは健康に悪影響を与えかねません。それが校則で定めるべきものかは置くとしても、そう求めることに全く合理性がないわけではありません。
ところが、この件の場合は染めていない者に対して染めることを強要するという滅茶苦茶すぎる経緯となっています。髪染めの制限は「髪を染めることは健康によくない」という合理的配慮の下に行われている限りにおいては分かるとして、髪染め強要には合理的理由が全く存在しません。
なぜそのような規則が必要なのかという「規則の精神」を完全に無視して、規則のために規則を振り回し、その果てに規則違反を強要するという、まさに学校内治外法権のお手本のような例です。

また、髪の色は生まれつきの属性であり、本人の努力ではどうにもならないものです。黒人の生徒に「肌を黄色くして来い。さもなくば来るな」と「指導」するようなもので、これは完全に属性に対する重大な差別と言わざるを得ません。
さらには

>教諭から「母子家庭だから茶髪にしているのか」と中傷されたり、指導の際に過呼吸で倒れ、救急車で運ばれたりしたこともあった。

と、生育環境までもを差別
このダイバーシティの重要性が高まる世の中にあって、このような「みんなと違うことは、自分に責任のない属性に基づくものであっても許さない」なる指導が常態化した学校で生徒たちが何を「習得」し、それを後にどのように「活用」するのかと考えると、気が重くなります。
今回の被害生徒当人に対してはもとより、このような教育の場で多様性の否定を「習得」したあらゆる生徒もまた虐待被害者であると言わざるを得ません。

>学校側は生徒の代理人弁護士に「たとえ金髪の外国人留学生でも規則で黒染めさせることになる」と説明している。

そういう思想の異常性が問題になっているのに、わざわざ穴を掘って自分で落ちて何がしたいのでしょう。

また、この学校に「地毛登録」制度は導入されていなかったようですが、これを採用している学校もあるとのことで、

>複数の大阪府立高校では、頭髪が生まれつき茶色い生徒に誤った指導をしないように、「地毛登録」と称する制度を導入している。登録自体を問題視する声もあるが、府教委は「導入は各校に任せており、実態は把握していない」としている。

だそうですが、生徒の人権を守るためと称しつつ、これ自体が問題です。
「特定の少数派属性ならば登録しろ」というのがどれほど異様な話か、少し考えれば分かりそうなものですが、それすら分からないのでしょうか。
東京都の一部でなされているという地毛証明書に関しても同様。証明の提出が任意ならよいという問題ではなく、属性を理由として不利益な取り扱いをされる可能性があること自体がおかしいのです。
そもそも、「髪を染めてはならない」というのが人権侵害をしてまで守らねばならないほど絶対的なルールなのであれば、原理上は髪を黒く染めるという校則違反をしている生徒がいるかもしれないのですから、公平を期すならそれも人権侵害してまで徹底調査しなければならないはずですが、そういう話は聞いたことがありません。
「黒い髪が正しい、それ以外は間違い・異常だ」、どう言いつくろおうが根底にあるのはこれでしかあり得ません。これを肌の色、あるいは人種民族などに置き換えてみれば、極めて恐ろしい思想であることがよく分かります。そのような思想に立脚したいかなる制度も「指導」も存在してはなりません。

「みんな肌の色も髪の色も違っていい。人種でも民族でも性的立場でも色々な属性の人がいるが、それによって差別されてはいけない」、学校がしっかり教えるべきはこれであって、属性の違う者を差別し同化を強要することでも、少数属性者の登録制度を設けて登録させることでもありません。

2017-10-23 の記事 - 2017-10-23
選挙ですが、そもそも立憲勢力には候補自体が足りないため、与党勝利は始める前から決まっていたようなものです。したがって、私は次の3点に注目していました。

1.小池ヘイト党の議席を削り、可能ならば立憲民主党が野党第一党となること
補完勢力が野党第一党でなければ改憲がやりづらくなりますし、所属議員が小池ヘイト党に見切りをつけて飛び出したり、分裂し壊滅する可能性が高くなります。参院民進も小池ヘイト党への合流を拒否しやすくなり、リベラル派を中心に立憲民主への合流、協力なども行われるようになってくるでしょう。
逆に、小池ヘイト党が十分な成果を出してしまった場合、党の求心力が増してしまうことは避けられません。

2.共産党の議席をある程度維持すること
共闘関係を成功させるには、一者が一方的に不利益を被らないことが求められます。誰かに負担だけを強いるような協力関係は必ず無理が出ます。

3.差別主義者・歴史修正主義者の落選
といっても、自民党はあちらもこちらも論外のレイシストばかりですからきりがありませんが。当選保証も同然の中山なりあき氏や杉田水脈氏はともかく、ひとまず最低でも長谷川豊氏をはじめとする「落選の可能性は十分だが、差別を武器に人気取りをもくろむ」タイプのレイシストが当選なり善戦なりしては困ります。
レイシスト政治家の存在は、政治による差別と差別扇動効果の両面において、被差別者の身の危険に直結します。

まず1ですが、準備期間もほとんどなく、刺客など小池ヘイト党の嫌がらせもあり、メディアも「3極」なるデタラメで人々を散々混乱させていたことを考えれば、期待以上と言ってもよい結果でしょう。ともかく、立憲民主党は危機的状況の中でも躍進を見せ、立憲主義破壊かつレイシスト勢力である小池ヘイト党を大きく揺るがし、野党第一党の座を奪ったのは大きいといえます。
2は十分ではありません。もともと議席を減らすことは予想されていましたが、もう少し幅を抑えたかったところ。
共産が一方的に身を削る図式であることがはっきりした以上、立憲民主党はきっちりそれに報い、しっかりした互助協力関係を迅速に構築していく必要があります。連合やら出戻り組やらに影響されて非共産をやるなどもってのほか。私は現状、立憲民主党をそれほど信用しておらず、これが信用に値するかどうかのひとまずの試金石になりそうです。
3は長谷川氏などは見事なまでの落選でしたが、自民党からは大量のレイシストが当選していますので、レイシズムは今後とも深刻な問題であり続けることでしょう。

その上で、今回勝利した政党を選ぶとすれば、私は小池ヘイト党と答えます。
確かに党はボロボロです。化けの皮もはがれました。鳴り物入りで登場し、しかも野党第一党の民進党を乗っ取っていながら野党第一党になることもできず、この程度の成果しか出せないのなら、党勢という観点からは大敗北とみなしても間違いはないでしょう。
しかし、この党は補完勢力としての役割は十分に果たし、与党を大勝させることに大いに貢献しました。この党が勝てば補完勢力の議席が増え、負けても自民党候補をアシストできるわけですから、いわば最初からほぼ負けのない勝負をしていたわけです。
実際に小池氏が何を考えていたのかは分かりません。補完勢力としてふるまうことが前提にあったのか、権力欲の方が先に立っていたのか。その両方、つまり「補完勢力として選挙をかく乱し、情勢が悪ければぬくぬくと知事の椅子に座り続け、よければ出馬して欲望も満たす」が正解かもしれません。ただ、いずれにせよ党が補完勢力としての役割を立派に果たしたことについては疑いようがありません。
なお、小池ヘイト党の凋落について「排除」発言が理由であるとする論も見かけますが、おそらくこれは正確ではありません。こうなることは最初から見えており、その不可避の流れの中で時期的にも内容的にも特に象徴的な図となったのが「排除」である、と考えるべきでしょう。

今回のMVPを選ぶとすれば、私は前原氏と答えます。
小池氏は補完勢力の代表としては大きな活躍を見せました。枝野氏は時間がない中で立憲民主党を作り上げ、これだけの成果を出したのは奇跡的ともいえます。志位氏ら共産党メンバーの熱意も高い評価に値するものです。
しかし、とにもかくにも選挙の流れを大きく変化させ、与党を極限までサポートして大勝を呼び込んだ人物といえば、前原氏をおいて他にはいません。

衆院選前の地方選挙の結果を見ても分かるように、野党共闘は徐々に成果を上げつつありました。安倍政権はかなり追い詰められており、共闘路線を継続深化させて勢力をきっちり伸ばしにいけば、政権打倒は十分に射程内に入っていました。今回は本当ならそういう堅実な選挙でした。
また、補完勢力として登場した小池ヘイト党はないないづくしで裏付けとなる力はなく、だからこそ民進党を飲み込む必要があったほどで、しかも肝心の看板もまた容易にメッキがはがれる程度のものでしかなかったのは、今回の騒動を見ての通りです。
ところが、少なくとも与党の決定的勝利にはブレーキをかける術が明確に見えていたこの状況にあって、前原氏は民進党を壊滅させ、野党共闘も事実上破滅に追いやります。その後なんとか立憲民主党が結党され、また他の立憲野党も共闘の望みを捨てなかったため、すんでのところで二大ヘイ党の危機だけは回避できましたが、結果として立憲政党だけではそもそも全く頭数が足りず、戦う前から与党及び立憲主義破壊・差別勢力の勝利が決まっている選挙戦となりました。
しかも、小池ヘイト党では共闘が破綻していますから、共闘による票が乗れば当選の見込みが十分あったであろう、一応は「身内」であるはずの元民進候補の息の根を止め、自民に議席を献上するおまけつき。
これほどまでに強力な政権への援護は、自民党の面々にも小池氏にも到底不可能です。安倍政権の延命と与党勝利に最も貢献し、戦局を「与党にとって逆風の戦い」から「戦う前からの与党の完全勝利」というほどにまで変えてしまった前原氏の功績は、他のいかなる人物による比肩も許さず、MVPと呼ぶにふさわしいものでしょう。

今回、前原氏に代表される魑魅魍魎が集う民進党勢力が壊滅し、一応の立憲主義勢力である立憲民主党が成立したこと、事実上の政権アシスト者や志なき者がわざわざ好き好んで踏み絵を踏み、泥舟に乗り込んでいったこと自体はマシな動きとはいえますが、緊急事態条項が通れば日本は終わりなのですから時期が時期です。
改憲をする場合には国民投票があるにせよ、緊急事態条項についてはその異常性に比して大した話題とはなっておらず、9条に注目を集めておいて直前で9条改正を引っ込められれば、立憲勢力にとってはもはやそれで「弾切れ」です。発議さえされれば比較的簡単に通ってしまうのではないかと危惧しています。
また、ヘイト勢力である与党が大勝したのに加え、やはりヘイト勢力である小池ヘイト党や維新も無視できない議席は取り、レイシストもかなり当選していることから、今後の日本社会におけるレイシズムの拡大も懸念され、それは被差別者の生活の安全に直結します。また、マイノリティが排除されていけばいつかは自分の番が来ますし、「協力者」とみなされればマジョリティも攻撃対象となりますので、誰もが無関係ではいられません。
つくづく、小池ヘイト党と前原氏が挙げた成果は想像もできないほど大きく、その手腕は見事であると認めざるを得ません。

2017-10-14 の記事 - 2017-10-14
二大ヘイ党の危機の中で誕生した立憲民主党ですが、私は大いに期待しています。その一方、全く期待していません。
政党をレストランに例えるなら、立憲民主党の食事は食べることができ、かつ食べても倒れないものであってほしいと私は考えます。そういう意味で、この党には大いに期待しています。一方、味の方はこの際まずくても仕方がなく、少しでもおいしいメニューがあれば儲けものと考えています。そういう意味で、この党には全く期待していません。
レストランにおける食用可能な食事とは、すなわち政治では「立憲主義の尊重」「レイシズムの推進をしない」ことを意味します。これらは本来なら最低限度の条件であって、それすら守れない政党は猛毒入りの食事を提供するレストランと同様にみなされるべきものです。
ところが現状、その当然のことすら守れない政党が議席の多くを占めようとしています。したがって、味はともかく食べることはできるメニューを提供する政党を応援する必要があるのです。

ただ、私は立憲民主党を含む立憲野党、または今後結集するかもしれない立憲主義勢力には頑張ってほしいと考えていますが、そうした勢力が二大政党となることは特に望みません。それどころか、協力関係と選挙制度の両面で二大政党に限らない形を追求してほしいと考えています。
二大政党制とはすなわち、ポピュリズムの政治です。性質上も制度上も、風を起こし人気を得た方が1割2割の支持を獲得すれば大勝することができます。
ポピュリズム政治が絶対に悪だとまでは言いませんが、こと日本においてこれが極めて悪い方向に作用したのは間違いありません。なぜなら、日本におけるポピュリズムとは人種差別主義であったためです。まずは在特会に支持が集まったのを皮切りに、今までは一応まともとされていた政治勢力がそれに参入し、どの勢力がどれだけ派手に、残酷に、徹底的に、狡猾に、公に、差別できるかどうかを競い合うような状況となってしまったのです。
日本で適切な二大政党制が定着する可能性があったかどうかでいえば、絶対なかったとまでは言い切れません。民主党が政権を取った後、自民党が経団連政治を反省し、社会福祉や多様性を訴える方向にかじを切っていれば、そして民主党もその方面から競い合うようになっていれば、そして両者とも絶対に差別を容認しなければ、あるいはもう少し健全な政治があったかもしれません。
しかし、現実の自民党が選んだ道は「ヘイト化」でした。結果、自民党はたちまちのうちに中道保守政党から排外主義レイシスト政党へとその姿を変貌させ、しかも悪いことに民主・民進はそれに追随しようとする勢力と差別を拒む勢力が綱引きをする状況に陥ってしまい、全く明確なポジションが取れなくなります。民進党のそうした立場を象徴するのが、例の国籍問題問題に関する署名付き怪文書などをはじめとする自党代表差別です。
そうして政治が差別主義を推し進める中、投票者は選挙において決断を迫られることになります。すなわち、小選挙区において二大勢力のうちまだしも差別がマシな方を選ぶか、または確実に死票になると分かっていても差別とは無縁な者に入れるか、そのどちらかを選ばねばならないのです。
戦略的投票からすれば、前者を選ぶことこそが適切な投票行動とはなります。しかし、それは一応の差別勢力に投票することでもあり、差別ポピュリズムを止める方向には作用しません(実際、今回の件ではその党の人間の多くをヘイト政党に持っていかれる結果となりました)。かといって後者を選べば、差別の度合いが高い方を落とすための票がその分死票となってしまい、結局は差別政党がより有利になりますから、やはり差別が激化することになります。
実際には差別に反対する人々もかなり存在することは、参院選における有田氏の得票などを見ても分かります。選挙制度などの関係上、それを民意として示す方法が極めて限られてしまっているのです。

こうした流れはよく「右傾化」といった言葉で説明されますが、私はそれでは適切ではなく、「レイシスト化」の言葉を使うのが適切であると考えています(レイシスト政党を「極右」と呼ぶなら、極右化とは言い換えられるでしょうが)。
なぜなら、これが右傾化ならば「差別は日本の恥である。誇りある日本のため、断じて差別は許さない」「強い日本経済のためには、観光業その他の産業を邪魔し、日本の評判を落とす差別など不要」という意見が保守の間から生まれてきて本流の主張となるか、少なくとも差別勢力と十分張り合えるだけの力を持っていなければおかしいためです。
ところが、日本ではほとんどそのような流れにはなっていません。これはすなわち、日本における自称「保守」はほとんどレイシズム・排外主義とイコールであるか、または我が身を「保守」するためなら差別主義にでも何にでも魂を売るか、そのどちらかでしかないことを意味しています。否定する者もいるかもしれませんが、反差別の市民とリベラル議員が体を張って差別に対抗していたその時に、たかだか身内の暴走すらも止められなかった「保守派」とやらがそれを否定するなら噴飯ものです。
無論、その「レイシスト化」の源流自体はずっと昔から存在していたはずで、最近はそれが平然と表に出るようになっただけではあります。しかし、犯罪をやりたいと考える者が多くても、実際に犯罪が起きない都市は犯罪都市ではなく、犯罪がなされるようになった都市を犯罪都市と呼ぶように、レイシズムを平気で表に出せる社会状況はやはりレイシスト化していると表現するに足るものです。

これらのあだ花が、自民党とその補完勢力である小池ヘイト党による二大ヘイ党で、しかも同様に補完勢力である維新は「透析患者は殺せ」でおなじみの長谷川豊を立てるなど、国籍・民族・難民・貧困・性別・性的立場・難病などヘイトよりどりみどり、おぞましい限りの状況です。
しかも今回、自民党・小池ヘイト党(または維新)・共産党の構図となった選挙区も結構あり、前者2つはレイシスト、かといって共産候補では強い区でない限り死票となる可能性が高い、という頭の痛すぎる選挙戦です。民進ならまだ差別に徹底して対抗する人々が党内におり、鼻をつまむこともできましたが、小池ヘイト党は完全なるレイシスト政党かつ補完勢力ですからまた話は別です。
やはり自分の票をレイシストの武器にはできないので死票と知りつつ共産にするか、小池ヘイト党が元民進議員を抱えきれなくなって破綻することに賭けてあえてレイシストに武器を渡すか、あるいは小池ヘイト党より自民党の方が少しはマシと考えてレイシストに武器を渡すか、そのような実に非建設的な投票行動を取らざるを得なくなっています。
なお、私はこの構図ならば確実に共産を選びます。自民党と小池ヘイト党がレイシスト政党である以上は戦略的投票にこだわる意味はなく、そうした政治ごっこのために何の罪もないマイノリティの身の安全を勝手に売り払うわけにはいきません。死票として捨てられた民意となってしまうのでしょうが、仕方ありません。

そして、レイシズムは誰にとっても決して他人事ではありません。「透析患者は殺せ」であったり、相対的貧困を取り上げた番組に出た当事者が攻撃の標的にされたりすることからも分かるように、外国にルーツがある者の排除、障碍者の排除などが終わった後に待っているのは、病気や貧困などに苦しむ人々に対する排除です。
その過程で、LGBTの権利向上など何らかのパフォーマンスを並行しつつ排外主義化を進める可能性もありますが、これは「ピンクウォッシュ」と呼ばれる手法です。実際、こうした切り崩しや分断の手法はポピュリズムの王道と言ってもいいものです。ある属性の人々が差別されパージされる社会など、その他の属性の人々にとっても安全で平和な社会ではあり得ません。
日本においてレイシズムは常に軽視されてきましたが、沖縄いじめや貧困者叩きなどの源流は要するにこれですし、国家を戦争や摩擦に至らしめ、「非国民」の排除に走らせるのもまたこれですから、いい加減に最大のテーマの1つとして本気で立ち向かっていかなければ、そう遠くないうちに国や生活を食われることになるでしょう。
したがって、私としては二大政党を志向するよりマイノリティの声も無駄にならないような選挙制度こそが望ましいと考えていて、かつ各々が得意分野を持つ反ヘイト勢力が連合を組んで事に当たるような政治状況が、現状で可能な範囲としては最もまともであろうと考えています。

2017-10-07 の記事 - 2017-10-07
Ryzenの語を使ってクロスワードを組みたくなったので組み立て、組んだはいいものの捨てるのはもったいないので問題を作り、ECMAScriptで適当にプログラムを書いて動作するクロスワードに仕立ててみる。実にいい加減ですが、プログラムを書く人間などこんなもの。

Coffee Spring Crossword

そういう動機のため、設問は技術関連(動機が動機なので、どちらかといえばハードウェア)が多めです。古いのから新しいのまで。クロスワードはその性質上、答えが分かる問題はそのまま別の問題のヒントになるので、あえて色々バラけさせています。
特に理由はありませんが、なんとなく問題を切り替えられる仕様として実装したため、もともとの問題(通常)に加えて練習問題と大きめの問題をついでに作成し、さらにおまけとして技術系の知識がない人でも挑戦できる問題も作っておきました。
なお、名前は以前にJavaで書いたCoffee Crossword(なぜCoffeeかというと、Javaだから)と、このほど登場したCoffee Lakeを掛け合わせた洒落です。どうでもいいですが。

で、一番楽しかったのは問題をプログラムコード化するためのGroovyコードを書いた時、という無残ぶり。
やはりECMAScriptは嫌いです。あらゆる点で私が求めるものの正反対。進化速度はなかなかのものですが、いくら進化しようと焼け石に水。
私があまりこの手のを書かなくなったのは、Javaは過去のものとなり、Flashも終点が定められ、それでいて代替技術としてしっくりくるものがないため、というのがかなり大きいです。

2017-09-29 の記事 - 2017-09-29
日本人として現代に生まれ、日本に育ち、日本で選挙権を手にした、という日本のマジョリティにとって、選挙権とは実に「軽い」権利です。ただ口を開けているだけでも、成人年齢に達しさえすれば勝手に転がり込んできますし、誰が適当か考えて紙に候補者名・政党名を書いて入れればいい。ただそれだけのものです。
しかし、日本にはそんな「軽い」権利をも持つことができない、または原理上は持っていても行使することが困難な人々もいます。
例えば、様々な理由により日本で暮らしている外国籍の人、こと在日韓国・朝鮮人といった人々は、日本人として生まれたならば口を開けていても当たり前に手に入る権利を有していません。あるいは、知的・精神的障碍を持っている人の中には、「選挙制度を理解し、誰が適切か考えた上で一票を投じる」ということが困難な人も存在するでしょう。
そして、政治が差別主義や排外主義に傾いた時に、直ちに生活の平穏を脅かされ、命の危険にさらされることになるのが、まさにその彼らのようなマイノリティなのです。これはナチスなどの歴史も証明していますし、今の日本でも現在進行形でなされています。
彼らは「投票」という最も直接的な民主主義の手段によって、自らに降りかかる危険を回避することさえできません。ただ口を開けていても投票権が得られ、それを行使できる人々の投票行動によって、自らの生活が脅かされるかどうか、生命の安全が脅かされるかどうかが変わってしまうのです。
したがって、私はそうした人々に恥じないような投票行動をしなければならないと考えていますし、それはまた権利を持ち行使できる者の務めでもあると考えています。

私が野党共闘を支持し応援してきたのはなぜか。言うまでもなく、「立憲主義の尊重」は大きな理由の一つです。立憲主義が守られなければ国民の権利など容易に踏みにじられてしまいますし、さらには緊急事態条項が通れば日本は終わります。それをさせないための手段として、野党共闘は極めて重要な手段であると位置づけられるものでした。
そしてもう一つ、私が重視するものとして「多様性の尊重」があります。
人種、民族、肌の色、性別、性的指向、障碍の有無などにかかわらず、あらゆる属性の人々が尊重され、平穏な生活を送れ、差別されることのない社会。ヘイト政党の自民党では絶対に実現できないことであり、一方で野党内には自党の党首すら平気で差別してみせたレイシストもいるものの、有田氏のように差別問題に取り組んできた人もまた存在しており、私が野党共闘を支持する極めて強い動機となっていました。
差別政党に投票することは、すなわち自分の票が被差別者を攻撃するための武器の材料となり、被差別者を殺傷することを意味します。したがって、差別政党に投票することは絶対にあってはならず、多様性を尊重する政党が勢力を結集することが重要となっていたのです。

自民党はどうしようもないヘイト政党ですが、小池氏もまたそれに相当するレイシストです。「朝鮮人を殺せ」と叫びたてる在特系団体が行った講演会に出たばかりか、関東大震災朝鮮人虐殺の歴史修正まで試みるほどで、熊本の震災で虐殺扇動デマが大量に流された社会情勢を考えれば、極めて現実的な危機です。このような人物に力を与えることは、すなわち被差別者の生命に対する重大な脅威です。
野党共闘の目的は、「多様性を尊重する社会を作り、立憲主義を回復する」ことです。それを実現する手段として自民党政権を倒すことは避けて通れませんが、自民党政権を倒すのが目的なのではありません。被差別者の平穏や生命を脅かす政治が続くのであれば意味がありませんし、差別者へのブレーキとなるべきものが別の差別者のアクセルに姿を変えるなど悪夢そのものです。
多様性を尊重する多くの人々は、二大ヘイ党(しかも実態は補完勢力)など望んではいません。それは、力不足でもとりあえず野党が選択肢や歯止めとなる余地はあった「一強」状態よりもさらに最悪で、被差別者の平穏がより容易に脅かされる社会に他なりません。そして当然、これが緊急事態条項にまで至れば日本は終わります。
皮肉なことですが、「安倍政権を打倒するための合流」とやらが逆に安倍政権を打倒する意義を失わせてしまう結果となっています。

結局、共闘を訴える人々、投票者、非日本会議系野党の全員が飲んでみせた泥水を、前原氏は自分だけは最後まで飲もうとせずに逃げ続け、とうとう党すらもぶち壊したわけです。それも、被差別者の身の安全と立憲主義を日本会議系レイシストに献上するというおまけをつけ、労働者の生命を献上しようとした連合までがグルになって。
自分が泥水を飲むのが嫌だからと、人々が汗を流し泥水を飲んで生み出してきた成果を横取りし、他人の生命や平穏、人権を勝手に売り渡して逃れるような者など、政治家どころか人間としてクズ以下です。断じて許すことはできません。

この騒動、切り捨てられる可能性がある民進党リベラル派、しかも反差別に尽力していた人までもがあまりにすんなり合意し、しかもその歯切れも悪いことから、何か計画を持っている可能性はあり、もう一波乱あってもおかしくはありません。ただし、投票までにそれが分からない限り、何かがあるかもしれないという理由でレイシスト政党に票を投じることはできません。
私は小選挙区・比例区ともに二大ヘイト政党のどちらにも投票するつもりはありませんし、多様性を尊重する社会のためにその両方を打倒すべき存在と位置付けます。小選挙区でも非日本会議系野党候補、あるいは小池ヘイト党を蹴った候補を選ぶでしょう。
基本的に私は鼻をつまんで戦略的投票を行いますが、差別政党に「マシ」は存在しません。どちらに入れても自分の票が被差別者を殺傷する武器にされてしまうのなら、死票になってもまともな候補に投じた方がマシです。

2017-09-24 の記事 - 2017-09-24
実にくだらない解散劇ですが、解散名大喜利には「地獄の沙汰も金(キム)次第解散」でも挙げておきましょうか。
北朝鮮の脅威とやらを大騒ぎすれば国民は簡単に騙せると考えていて、それで勝利すれば「世論はこれらを問題とみなしていない」として森友・加計問題を葬ってしまうことでしょう。あれだけの問題を起こしてもなお追及ができなくなるのであれば、今後は国家の私物化でも何でもし放題です。国民は極限までなめられているのです。
もし本当に北朝鮮が差し迫った脅威であるならば、この時期に特に必要もない解散をすることは到底あり得ないはずで、すなわち政府は北朝鮮を大した脅威であるとは考えていません。そのくせ脅威だ危機だと大騒ぎ。もしこれで多くの議席を押さえられれば、緊急事態条項のごり押しが始まることでしょう。そしてその緊急事態条項では、緊急事態であるから衆議院を解散しなくてもいいということになっています。
もはや意味が分からないを通り越して、異常の域に達しています。そして、ひとたび緊急事態条項が通れば日本はそれで終わりです。意味不明な解散をするほど余裕たっぷりの政権が散々北朝鮮の脅威を煽り立てるのを前にすれば、緊急事態条項がどう使われるのかなど説明する必要もないでしょう。

ただ、自民党がもはやただのヘイト政党であって、人間として最低限の常識を適用して考えるのさえバカバカしい存在であることは今さら言うまでもありません。現状ではその異常な政党が民主主義の喉元に短刀を突きつけている状態であり、機が来たと見れば彼らは何のためらいもなく民主主義の喉笛をかき切ることでしょう。とにかく緊急事態条項が通ってしまえば何もかも終わりですから、まずは改憲の野望を阻止しなければなりません。
したがって、問題はそれに対抗する立場であるはずの野党、それも民進党なのですが、こちらもまたあまりに頭が痛いと言わざるを得ません。

野党共闘を応援する市民たちは、民進党を応援したところで何一つ自分の利益にはならず、それどころか民進党は期待をぶち壊しにするようなことばかりやっているにもかかわらず、それでも民進党候補を勝利させようと汗を流しています。毎回のように後足で砂をかけられ、泥を浴びせられ、それでも立憲主義の回復や多様性が尊重される社会の実現のために泥水を飲んでいるわけです。
野党共闘の意義を理解して野党候補に投票している市民たちは、毎回毎回共闘を台無しにするようなことばかり言い、果ては自党の党首すらも差別する民進党の姿勢に大いに憤っていますが、その怒りを飲み込み、しかも政策的に不満がある場合でも泥水を飲んで民進党候補に投票しています。
日本会議系ではない野党は、民進党のほとんど横暴とも言っていいような一方的な要求に答え、自党候補を国会に送るチャンスを捨ててまで民進党候補への一本化に協力するなどしています。民進党が共闘を否定するような暴言を吐いても、共闘のために尽力しています。毎度のように煮え湯を飲まされ、それでも泥水を飲んでいるのです。
では民進党はどうか。代表選の段階でもある程度予想されていたことですが、前原氏は早速、共産党を含む野党共闘に対し、控えめに言っても積極的とは言いがたい姿勢を取っています。共闘支持の市民が泥水を飲み、有権者が泥水を飲み、他の野党も泥水を飲んでいるのに、自分だけはきれいな水しか飲みたくないと駄々をこねるなら、勝てるものも勝てません
無論、大人の事情で共闘を表立って言えないという部分はあるのでしょうが、そんなものは外部の人間には何の関係もありません。いかなる理由によるものであれ、話をろくに進展させることができないのであれば、成果を出せないことに変わりはありません。
なぜ自民党が、それも改憲のためには議席を減らしたくないはずなのに、疑惑隠しであることがバレバレな自爆的解散など行えるのか。十分な野党共闘が成立する可能性が低く、したがって野党は民意の受け皿とはならず、さほど脅威とみなす必要はないと考えられていることが、要因の一つに挙げられるでしょう。
これは要するに、前原氏は「選挙に勝つこと」や「大義を実現すること」などよりも、反共だかハンバーグだか知りませんが、自身の個人的な好き嫌いの方を優先するであろうと読まれているわけです。
本来、野党共闘は2015年の時点で成立させ、ここまでで十分戦える姿勢を構築しておくべきものでした。あの時点でしっかり手を取り合い、その後に内閣の悪行がようやく報道されるに至ったならば、今ごろは善戦する下地が整っていたはずなのです。
ところが、2年経ってすらノロノロとして共闘一つまともに実現できず、その間にとうとう民主主義に王手をかけられてしまっているのに、未だこの状態です。目の色を変えて死力を尽くそうともせず、自分だけは泥水を飲むことを避け続け、それでどうして民意の受け皿になれるというのでしょうか。

なお、自民党も公明党も権力のためなら泥水程度は平気で飲んでみせます。自民は権力維持のためなら手段を選ばず、本来なら考え方の違うはずの公明とも平気で組んでみせていますし、改憲のためなら誰とでも組むでしょう。また、公明は権力のためなら「平和の党」なる理念をいくらでも足蹴にして踏みにじることができます。
市民も、有権者も、他の野党も、民主主義と立憲主義を守り、多様性を尊重する社会の実現のため、全員が泥水を飲んでみせました。後は民進党が飲むか飲まないかだけです。
安倍氏や日本会議のように、戦後日本に対する強い憎悪と、周辺諸国などに対するドス黒い差別感情で動いているような者たちですら、憎しみのために目の色を変えて動けば日本を終了寸前にまで追い込んでしまえることが、現在目の前で示されています。
立憲主義を守り、政権の国家の私物化を止め、多様性を尊重する社会を作る。実に重要なことですから、そのために本気を見せ、目の色を変えてみろと言っているのです。

2017-09-16 の記事 - 2017-09-16
〈時代の正体〉「差別ツイート野放しやめて」ツイッター社前で抗議集会

もし私がこの集会に文句をつけるなら、Twitterが作為的に差別を放置していることがほぼ確実な以上、「差別ツイート野放しやめて」「差別の道具になりたくないよ」などといった甘ったるい主張ではあまりにも手ぬるい、というものになるでしょうが、「差別ツイートを踏みつけにするのは異常だ」なるナイーブすぎる反応をする者さえ見かけるのは頭が痛い限りです。
差別が常日頃から被害者を踏みつけにしていて、そればかりか災害のたびに差別・虐殺扇動が発生したり、実際に障碍者の殺戮まで引き起こしてしまった現状において、差別にはまともに向き合おうともせず、紙切れを踏むことにはいちいち目くじらを立てるなどとは、どこまでのんきで価値基準が破綻しているのかとあきれ果てます。

現状、Twitterの差別拡散力はおそらく相当な水準にあります。
日本語版のトップページは、ここ最近でこそ認証アカウントを中心にするなど多少はマシな仕様となったようですが、ほんの少し前(私が知る限りでは1年以内は確実)まではヘイトデマを垂れ流すアカウントやら、他国を蔑称で呼んでいるような露骨なヘイトツイートやらが堂々と記載されていました。
トップページといえばサイトの顔であり、しかもログインしない(ユーザーが選んだものを表示しているわけではない)状態でこれですから、不特定多数のアクセス者がこのようなヘイトを見せられていたことになります。SNSなどのサービスにおいて問題のある書き込みがなされることは避けようがありませんが、それをピックアップしてトップページに掲載するとなると話は別で、これはもう運営による差別の拡散以外の何物でもありません。
トップページすらこの惨状となっていたほどですから、中身となるとむごたらしいの一言です。まさに差別の見本市、悪意のゴミ捨て場といった状況であり、おぞましいツイートをいくらでも見つけることができます。しかも運営はそれを取り締まる気を全く持っていません
一応、アリバイ作りのつもりなのか、どうでもいい差別アカウントが凍結されることはあるようですが、それ以上にひどい差別発言を繰り返していて影響力も段違いな有名ヘイトアカウントはほぼ野放しとなっています。それでいて、差別に反論したアカウントが処分された例はしばしば報告されています。
差別は本人の意思や行為とは無関係な「属性」に対する攻撃であり、また立場の差を利用して反撃が難しい相手を痛めつけるものです。行為に対する批判、対等な立場同士の言い合いなどとは全くわけが違います。この概念をまともに理解していないような運営が、どうやって言論空間を管理できるというのでしょうか。

その結果として当然に発生するのが、現実社会に対する脅威です。
Twitterにおいては、災害のたびに差別扇動、ひどい時には虐殺扇動を含む悪質なデマが垂れ流されることが恒例行事となっています。熊本の震災では、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」などの関東大震災時に実際に虐殺を発生させた、効果が実証済みの殺人デマを流す者が大量に発生しましたし、猟銃を持っている者は自警団に加わるよう呼び掛けるツイートまで存在したほどです。
実際、被災地のレイプ多発デマを真に受け、自警に乗り込もうとした者の存在も確認されています。しかも、レイシストはその人物を煽り立てて差別デマまで吹き込む始末で、一歩間違えば何が起きてもおかしくありませんでした。
日本社会はすでに障碍者殺戮事件という稀代のヘイトクライムを体験しており、もはや「起きるかどうか」ではなく「次はいつ起こるのか」の段階です。熊本その他の災害で特に何も起きなかったのは運が良かったからでしかなく、災害時・平時を問わず常にヘイトクライムと隣り合わせの状況にあります。政府が火消をするどころかJアラート遊びをして差別意識を煽っている現状ではなおさらです。
そして、Twitter社はこういった差別扇動に対し、全くと言っていいほど有効な手を打っていませんし、本気で対処するつもりもありません。熊本の震災でも多数の差別・虐殺扇動デマが放置され、有志が拡散しないよう呼び掛けたり、投稿者に対して法的な責任が及ぶ可能性をちらつかせて削除させたりといった活動で、できるだけ被害を押しとどめていたような状態でした。ちなみにその間、Twitter日本運営はいきものウィークなる企画に現を抜かしていました。
Twitter社の差別放置姿勢が生み出しているのは、現実の人々の生命や生活に対する脅威です。そして、自らの生命や平穏な生活をもってTwitterの差別放置の代償を払わなければならないのは、今までTwitterとは何の縁もゆかりもなく生きてきた無関係の人かもしれないのです。

水原希子出演のCMに「日本人を使え」など差別ツイート サントリーとTwitterに聞いた

こうなるのは当然というものでしょう。企業もいい加減、このような差別企業に広告を出すと余計な問題を抱えることになると認識した方がよいのではないでしょうか。
なお、Twitterの「対処している」が全くのでまかせであることは、有力ヘイトアカウントが野放しであることを見れば分かります。さすがにスポンサーの手前、一部を削除するなりしてポーズくらい見せようとはするでしょうが、それだけでは所詮ポーズであって実質的な意味はありません。

2017-09-10 の記事 - 2017-09-10
不倫がどうのこうのの騒ぎ。この深刻な状況下で一番大事なのが政治家を芸能人化して追い回すことなのか、日本の政治意識とはこの程度なのかと、頭が痛くなります。

一応断っておきますが、山尾氏を擁護する気は一切ありません。
横浜市長選において、氏に期待されている政策とは対極の候補である林氏の応援に出向いた時点で、山尾氏に期待していた人々からの評価は地に落ちました。しかも、政治家となれば不本意な応援をすることもあるでしょうから、すぐに丁寧に説明していれば怒りも和らいだはずですが、それもなされたとは言い難く、氏が「政治家として」人望を失ったのはこの時点と言ってよいでしょう。
実際、蓮舫氏の辞意表明後の一瞬は「ここは山尾氏を代表にすることを考えるべき」という意見さえ存在したほどでしたが(有田氏もそのような希望を持っていたとのこと)、直後に横浜市長選問題が話題になると潮が引いたように期待の声は消滅しました。氏の手腕と福祉への姿勢などを買っていた人々を、ただの一瞬にして地獄に叩き落したことがうかがえます。
そういう意味で、私も応援演説の件に加え、支持者からの疑問の声への説明責任もろくに果たせない山尾氏には不信感を覚えずにはいられませんでしたし、氏は詰問されるべき立場であるとは考えています。
ただし、それは当然不倫疑惑がどうこうといったものではありません。「林氏のどのような政策を支持した上での応援か」「林氏の政策と山尾氏の主張とは矛盾する部分があるようだが、どちらが本意なのか」「カジノについてはどう考えているか」などといった点をきっちり聞き、最低でも子どもの福祉やカジノといった大きなテーマについての立場は明らかにするものでなければならないのです。
したがって、この人物を支持して良いのか悪いのかの情報を国民に提供するため、政策の矛盾をまず問い詰め、正面からしっかり答えてもらうべきではあったが、一方で不倫疑惑とやらは優先すべきではなかった、というのが私の主張となります。

なお、この私の理念は今井氏にもそっくりそのまま適用されます。
私はあのタレントくずれは徹底的に非難され、政治の舞台から追放されるべきだと考えています。あのような人物が、1億数千万人の中からたった数百人しか選ばれない国民の代表、それも良識の府に属する人間であると考えるだけでうんざりしますし、政治の専門職として圧倒的な権限と待遇を6年にもわたって手にする者が、自身の専門業への知識を全く有していなかったとあれば、開いた口がふさがらない事態であると考えています。
ただ、氏が不倫問題によって人望を失い、物陰から頭を出せない状態になったことについては、到底正しい方法であったとはいえません。
これは言い換えるなら、もし不倫がなければその後も大手を振って参院議員様をエンジョイしていた、ということです。到底まともな政治状態ではありません。不倫以外の点において、このタレントくずれは徹底的に追及されなければならず、政治のプロとして当然分かるべきことも分からないようであれば、それを理由として追い落とされなければなりませんでした。
1億人以上の市民の生命や生活にかかわることを決定するのが、衆参合わせてもたった3桁の人数でしかない国政政治家たちの役割であり、市民の暮らしはそれだけの人々の動向に大きく左右されます。
このタレントくずれが追及されねばならないのは、医療の知識を一切持たない人間が手術をしてはならないのと同じことです。医療知識がないのに手術を行おうとした医者が、それを理由に排除されるなら問題はないのですが、それでは排除されずにいたのに不倫を理由に排除されたならば、いくら結果は同じといっても恐怖でしかありません。

無論、不倫は不名誉なことではあるでしょうし、それが倫理的にあまりに常軌を逸したものであれば、さすがに政治家としての資質を問わないわけにはいかない場合もあるでしょう。また、それが不倫どころか犯罪絡みである、すなわち性犯罪の加害者となった、あるいは権力を用いてお友達の性犯罪をかばったなどであれば全く別の問題で、議員でいる資格はありませんから、即刻議員を辞めるべきです。
そこはケース次第ともいえますが、ただ少なくとも政策的に矛盾している行動を取ったり、あるいは政治の専門職に就いていながら基礎知識すらない人物について、それらの点をそっちのけにして不倫やその疑惑で大騒ぎし、そちらが政治生命にとって大打撃となるような状態は、一般論として考えても全くまともではありません。

そして、現状の日本の政治は不倫疑惑よりも先に追及すべきことであふれています。
自らの政治権力を悪用し、お友達に利益供与を図るなどすることは、国民に対する著しい背信行為であって、民事問題である不倫とは到底比べ物になりません。不倫で引責しなければならないのであれば、こちらでは数千回は引責しなければならないでしょう。しかし、この問題ではどの議員がどのような責任を取ったでしょうか。
政治家が差別主義者であることは深刻な脅威であり、極めて高い差別扇動効果を持つとともに、一歩間違えば大量の人々を死に追いやりかねません。不倫は確かに倫理上問題のある行為ですが、ならばレイシズムは倫理上も実利上も市民の安全のためにも一切許されないものであるべきで、不倫ならば一発で壊滅級の打撃となる一方、保守速報をシェアしようがほとんど見逃され、差別による虐殺をなかったことにしようとしてもよく、ナチスかぶれのような者が政治家を続けられていることはおかしいと言わざるを得ません。
メディアは追及をするのなら、まずこれらを徹底的に追及すべきです。これらをことごとく追及し終え、もう民事問題しか追及するものがなくなったなら、不倫でもなんでも好きなように追及したらよろしい。

政治家がその地位を利用して行った不正より、政治家による差別扇動行為より、政策の矛盾より、不倫が一番大事。他は責任を取らなくていいし、政府要人ポストに居座り続けてもいいが、不倫疑惑なら党内ポストすら取り消しの上に離党モノ。これが日本の政治意識です。これでは日本の行く末は暗いと言わざるを得ませんし、政治腐敗も差別も社会に横行することになるでしょう。

2017-09-02 の記事 - 2017-09-02
高須氏に続き、麻生氏がまたしてもナチス発言。
あきれ果てるとはまさにこのことです。それも、よりにもよって「動機が正しくても」とは尋常ではありません。無理やりに擁護するならば、「動機が正しくても」自体が仮定法であると考えることもできなくはありませんが、その場合でも動機が正しい仮定の例示としてナチスを採用する必要が全く存在しないのであり、どう好意的に解釈しようともナチスを肯定する意図がないと取ることは不可能です。
確かに、ナチスが行ったことの「結果」は極めておぞましいものです。ユダヤ人をはじめとして、障碍者や同性愛者といった様々な人々が、その属性を理由として平穏な生活を脅かされ、踏みにじられ、最後には虐殺されることとなりました。
では、なぜそのような恐ろしい結果が生じるに至ったのか。人種差別、障碍者差別、優生思想、自民族至上主義などが動機として存在したからに他なりません。当然のことながら、昨日まで差別が存在しなかった社会において、被差別者が突然虐殺されることは考えられません。まずは恐ろしい動機が前提として存在し、それが当然に行き着く先として恐ろしい結果が待っていたのです。
言うまでもなく、その点において今の日本はほぼ動機がそろっている状態であり、極めて危機的な状況にあります。すでに障碍者殺戮事件は発生していますし、これから水晶の夜や関東大震災虐殺のような事件が発生したとしても、もはや驚くに値しません。このような状況下で、ナチスについて「動機が正しくても」などと言うような人間が日本のかじ取りを行っていることに、極めて強い危機感を覚えざるを得ません。

先日のJアラート騒動は支持回復のための茶番としか解釈しようのないものでしたが、この台風が来ると聞いて子どもが大はしゃぎするかのような低レベルな茶番もまた、案の定レイシズムの材料となっています。直接的な加害の意思を示すような言葉から、在日は加担とみなされたくなければミサイルに反対の声を張り上げろなどと踏み絵を迫るもの、穏健派に対しても攻撃性をあらわにするものまで様々ですが、予想通りの結果であると言わざるを得ません。
この官製パニックによってひとまず何も大事が起きなかったのは幸運でしたが、Jアラートをこのように悪用するのであれば、被差別者は生きた心地がしないことでしょう。ルワンダでフツ穏健派も殺されたのと同じく、穏健派も無事でいられる保証はありません。
そして、それでヘイトの内圧が非常に高まったとしても、当然ながら政府による火消しは全く期待できません。なにしろ政府が危機を煽り立てて火を起こしている側なのですから。ヘイトの内圧が高まれば高まるほど政府にとって都合が良いから必要もないのに危機を煽り立てるのであって、それを避けようとするのであれば最初から茶番アラートなど出しません。また、もし市民やマスコミが完璧に落ち着き払っていて、ヘイトの扇動など全く不可能であれば、ただ顰蹙を買うだけですから茶番アラートを出す理由はありません。
現状の日本において、茶番劇のためにJアラートを使用することは極めて危険です。そして、危険だからこそJアラートには茶番の道具としての利用価値があるのです。

9/1は防災の日ということで、メディアなどでも防災に関する報道がなされているようです。
では、「防災」とは何でしょうか。何をすればよいのでしょうか。
非常用物資を準備したり、避難経路を確認したりと、もしもの時に備えることは大事でしょう。家具が倒れないようにしたりと、災害のダメージを減らす対策を講じることも大事でしょう。消火器の使い方を学んだり、応急処置のやり方を学んだりすることも大事でしょう。
しかし、それだけが防災ではありません。平時から日本社会の差別と戦い、また自分やその周囲が持つ差別意識を克服し、過去にレイシズムが引き起こした事件を学んで繰り返さないよう備えることもまた、非常に大事な防災に他なりません。
熊本の震災をはじめとして、災害時には虐殺扇動を含む悪質な差別扇動デマが垂れ流されることが常態化しています。また、外国人が盗みを行っているなどといった噂も必ずと言っていいほど発生し、それを信じてしまう人も多いといいます。
過去よりも建築や予報などの技術が発達し、また物流や医療の進化によって災害後のケアも昔よりは充実しているであろう現代において、唯一危険性が大きく増している部分がデマの拡散速度であり、防災を考える上でここは決して避けては通れません。他の防災要素と違い、無知であれば自分がデマを拡散したり、デマに踊らされたりして加害者となりかねないという点でも特異です。
避難所においても、身体障碍者、発達障害を含む精神障碍者のいずれもが、肩身の狭い状況に置かれることがたびたび報道されています。障碍者殺戮犯が平然と称賛される世の中において、ましてや余裕のない避難所ともなれば、その立場の弱さたるや相当なものでしょう。すなわち、まさに差別をなくすことが、あらゆる意味・段階において防災となるのです。
マスコミも防災を訴えるのであれば、関東大震災朝鮮人虐殺の歴史修正を試みる小池氏を詰め、ナチスを正当化する高須氏や麻生氏を詰め、ヘイト扇動の火遊びをする政府を詰め、デマの拡散装置となっていながら手を打つ気もないTwitterなどを詰め、日本社会に存在する差別と断固として戦うことは最低限必要なはずです。それこそがマスコミがやらなければならない大事な防災であり、防災を訴える者の最低限度の責任というものです。

2017-08-26 の記事 - 2017-08-26
関東大震災の朝鮮人虐殺 小池都知事が追悼文断る

実際には「三国人」発言などで扇動する側に回っていた、あの稀代のレイシスト・石原氏ですら(仮に形式上であっても)やっていたことを見送りですか。在特会系の講演会に出ていた件からして分かり切ってはいましたが、やはり小池氏は相当なレベルのレイシストに間違いないようです。

関東大震災の朝鮮人虐殺事件は、決して過去の悲劇ではありません。むしろ現代においてその重要性が非常に高まりつつあります。
街角で平然と「朝鮮人をぶっ殺せ」の声が垂れ流され、書店に入れば韓国や中国などの他国やその国の人を貶める本の山。さらには障碍者の生存権を否定したり、LGBTを「ネタ」にして侮辱したりと、被差別者に対する暴虐の数々。現状の日本は極めて危うい状況にあります。
そして実際、熊本の震災では「朝鮮人が井戸に毒を入れた」なるデマが垂れ流されたり、猟銃を持っている家に自警に加わることを呼び掛けたりと、極めて悪質な虐殺扇動が垂れ流されました。いずれも関東大震災で虐殺を引き起こす原因となったもので、いわば過去の震災でその恐ろしさが実証された殺人兵器を、現代の実際の災害時に持ち込んだわけです。
その後もいくつか災害や問題が起こっていますが、そのたびに似たようなデマが垂れ流されるのがお決まりの状態となっており、東京の停電すらヘイトデマの材料とされました。今後大規模な災害が発生し、しかもタイミングが悪ければ、いつでも災害時のヘイトクライムは発生し得ると考えなければなりません。
そして実際、差別主義はとうとう障碍者殺戮事件にまで行き着きました。この事件はこの上なく明確に、差別は人を殺すことを日本社会に示しています。しかし、それで日本社会が自らを省みたかといえば未だ他人事と言わざるを得ず、さらには犯人に賛意を示す者も決して少なくないなど、「次」が起きないと考える方に無理がある状況です。

このように、まさに関東大震災の虐殺は現代の問題であって、今ここで昨年まで行っていた追悼文送付を断るというのがいかに恐ろしい行為か、わざわざ説明するまでもありません。無論、小池氏は「朝鮮人をぶっ殺せ」と叫び立てる連中の講演会に出ていたわけですから、過去の朝鮮人虐殺の教訓を否定したとしても思想的には全くもって矛盾しないのですが、それこそ逆に極めて恐ろしい状況です。
このような場合に歴史修正主義者の必殺技となるのが「人数の問題に持ち込む」ことですが、混乱状態にある中で人数を正確に把握するのが難しいのは当然で、また1か0かで切り分けること自体に無理がある場合も多く、この理屈で言えば広島・長崎の原爆もナチスの虐殺も、それどころか公害病さえも容易に否定できてしまいます。したがって、この間違った万能論法はきっぱりと拒絶しなければなりません。
「虐殺の犠牲者」を「災害関連の犠牲者」にすり替えるのも同様。現代においても、様々な工夫によって災害のダメージを抑えることはできますが、自然災害をなくすことはできません。それによって被災者が出てしまうのは、今の人類の力では仕方のないことです。しかし、災害によって被災者が出てしまうことと、その混乱に乗じて差別扇動デマが垂れ流され、虐殺が発生してしまうことは別の問題です。後者は自然災害でも不可抗力でもなく、そもそも発生する必要すらないことです。
それどころか、これはいわば災害を舞台装置に利用して自らの差別感情を満足させようとした犯罪行為ともいえるものですから、はっきり言って「隙を見つけたので、遊びたい感情を満足させるために現金を奪って殺した」「混乱が起きて邪魔が入らない状況になったので、性的感情を満足させるために他人を襲ってわいせつ行為の末に殺した」などと同等の行為と言ってよいでしょう。これは災害による犠牲などでは断じてなく、全く次元の異なるものです。
無論、世の中の人々は「朝鮮人をぶっ殺せ」と喚いたり、その連中の講演会に出たりするような、確信犯的に自らの差別欲求を満たそうとする人物ばかりではありませんから、虐殺加担者の中にはもともとの差別意識・偏見から流言を真に受けてしまった者、つまり差別感情を満たすことを明確に意識して犯行に及んだわけではない人もいたはずです。
しかし、まさにそうした無意識レベルの差別こそが何よりも恐ろしいのですし、もしそうした人々が差別意識を持っていないか克服していて、十分な知識と判断力を有していれば、虐殺を行うことはなかったわけですから、差別をなくし知識を継承することで悲劇の再来は阻止できます。したがって、日本社会が差別まみれとなった今こそ、なおさら関東大震災虐殺事件を教訓としていくことが大事なのであって、虐殺は虐殺として引き継いでいかなければなりません。
過去の関東大震災朝鮮人虐殺にケチをつけて否定の道筋を作ることは、今後発生する恐れがある差別による虐殺事件を肯定するのと同じです。

本件については、とうとうここまで来たかという印象です。しかもこのような尋常ではないレイシストが国政に進出してくるとなれば、市民やメディア、野党などが良識を示して拒否しない限り、被差別者の尊厳や人権はいとも簡単に踏みにじられることでしょう。
そして当然、生存権を脅かされるのは何も民族・国籍的マイノリティや障碍者、性的マイノリティなどに限りません。関東大震災朝鮮人虐殺ではそれと誤認された日本人も殺戮されましたが、差別において私たちは決して加害者になってはならないのと同時に、被害者の立場と無縁であることもできないのです。
「○○人を殺せ」が平気で垂れ流され、災害の混乱に乗じて虐殺扇動デマが垂れ流され、障碍者殺戮がなされた上に称賛までなされ、透析患者は殺せと言われ、政治家が差別を平然と行う国というのはつまり、人権を守られるべき人と守られる必要がない人がいる、生存権を保証すべき人と保証する必要がない人がいる、生存を認めるべき人と生存を認める必要がない人がいる、ということです。それが「差別」というものですから当然です。
これを容認するならば、いずれは必ず自分が「認められない側」に置かれることになるでしょう。自らが他人をマチェッテで斬り殺すことを拒否し、また自らが他人にマチェッテで斬り殺されることも拒否するには、差別やヘイトスピーチ、差別政党、差別事例の歴史修正などを決して認めてはならないのです。

2017-08-19 の記事 - 2017-08-19
8/15といえば日本の終戦の日ですが、よりにもよってこんな日に軍服コスプレ・お祭り大会が開催されることは周知の事実です。
そして、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(以下、連れション会)なる意味不明な会が存在し、コスプレ大会会場への進入すら1人ではできないような連中が、連れションでもするがごとく雁首そろえて大会会場へ出向くのもまた、恒例の行事となっています。
言うまでもありませんが、終戦の日にこのコスプレ会場に出向いた議員は党派に関係なく誰一人としてまともな者ではあり得ません。実際、主要な会場進入者は稲田氏、佐藤氏、小泉進次郎氏といった具合で、まさにろくでなしの見本市といった趣です。

議員、ことに首相や内閣の中心人物などがコスプレ会場へ出向くことは、かねてから慰霊ではなく政治となっていました。そして、「批判するのは中韓だけ」というデマに反し、この無意味で無価値な政治は米国・ロシア・EU・シンガポールといった主要な国や地域からも批判を受け、大敗北を喫します。
こうして政治の手段としては完全に役立たずとなってしまったコスプレ会場への進入は、現状では政治と呼ぶのもおこがましい、ただの売名のための行為となっています。ここへ行く国会議員の中には、慰霊を真剣に考えている者はほとんどいないと断言して構いません。
もし本気で慰霊がしたいのであれば、コスプレ会場に行く必要もなければ、連れション会などとして雁首そろえる必要もありません。静かに千鳥ヶ淵に行き、慰霊し、コスプレ会場を無視してそのまま帰ってくればよいのです。あるいは、日本には広島・長崎・沖縄をはじめ、東京近隣を含めて各地に祈念碑的なものがありますから、そこに行って慰霊をしてくればよいのです。
これには1つの利点、もしくは欠点があります。利点は、まじめに慰霊をしたい者にとって、メディアなどに騒がれることなく、また国際問題となることもなく、純粋に慰霊が可能であること。欠点は、実際には慰霊などどうでもよく、売名を目的としている者にとって、そんなところに出向いても暑くて疲れるだけであり、全く売名にならないことです。
まじめに慰霊を考えている者ならどうするか。実際には慰霊などどうでもよいと考えている者ならどうするか。言うまでもありません。

コスプレ会場こと靖国はもはやゴミの山です。慰霊の場としてはもう終わっています。
靖国をまじめに慰霊の場として位置付けたいと考えている者は、連れション会のような連中に徹底抗議し、売名参拝を誰よりも激しく非難し、また遊就館などにも激怒し、軍人コスプレお祭り連中を徹底排除しなくてはなりませんでした。実際、靖国以外、例えば広島や長崎、沖縄などの祈念の場でこれらが行われたなら、きっと遺族や地元の人々は激怒することでしょう。
ところが、実際にはこれらが放置されたばかりか、政治家の売名参拝を歓迎する者までいる始末。この時点でもう靖国の地位は決まったと言ってもよいでしょう。結果、ゴミの山にはさらにゴミが集まり、逆にまじめに慰霊を考えている者はどんどん遠ざかり、米国にも千鳥ヶ淵が慰霊の場とみなされ、首相や主要閣僚の参拝には国際的に非難が集まるようになり、名実ともにゴミ捨て場でしかなくなりました。
千鳥ヶ淵(ここも決して万全ではなく、個人的には新施設の方が望ましいと考えていますが)を正統な慰霊の場として位置付けるとともに、靖国以外の施設が慰霊の場としてスタンダードになれば、まず間違いなくその場をも第二の靖国に書き換えようとする者が現れますから、コスプレ会場と同様の経過をたどらないようにすることが必要です。
またコスプレ会場は、「英霊」を祭っているという地位を利用して好き放題を行っていますから、ここから「英霊」利権を一切剥奪し、日本国としてここの歴史修正主義を公式に否定することで、きっちりピエロにしてしまわなければなりません。
コスプレお祭り大会の参加者には靖国会場で好きなだけ楽しんでもらい、代わりに慰霊の場からは一切お引き取りいただき、慰霊をしたい人は千鳥ヶ淵その他の場を訪れて静かに慰霊する、という区分けをきっちり行うことが、慰霊を望む人とコスプレ大会参加者、両方にとっての幸せではないでしょうか。

2017-08-13 の記事 - 2017-08-13
やはり日本ファーストが登場してしまいました。
「日本第一党」であり、「日本会議ファースト」であり、かつ「日本ファシスト」な存在なのでしょう。なかなかシャレが効いています。

さて、民進党代表の候補である前原氏がヘイトツイートに「いいね」をしたことが少々話題となっています(現在は取り消されている模様)。
たかが「いいね」ですが、されど「いいね」。非常に残念です。どこまで失望させれば気が済むのでしょうか。
そこまで目くじらを立てる必要はない、あるいはスタッフがやった可能性があるといった意見もあるでしょうが、私は以前に安倍氏がFBで差別デマサイトをシェアしたことに憤りましたし、またそれは絶対にやってはならないことであると考えています。そして、それをしたのが本人だろうとスタッフだろうと発信力に差が出るわけではありません。取り消しをしたというなら安倍氏ですらしています。
無論、差別デマサイトをあえて自ら読みに行き、しかもわざわざシェアして再拡散する能動的行為と、自分へのリプライを「いいね」する比較的受け身かつ拡散を意図しない行為では大きな差がありますので、同列にはできません。ただし、その経緯についての説明と、意図したものでないなら「いいねは間違いでした。私はこのような意見に一切賛同しません」などの宣言をTwitter上で行うのは、差別の市民権確保や再拡散を防ぐためにも最低限必要と考えます。

私が民進党を応援するのは、立憲主義を守り、国民主権を守り、そして何より差別を許さず多様性を尊重する社会の実現のためには、現状ではそうするよりないと考えているためです。他の立憲主義・反差別野党のみでは政権交代どころか牽制をすることさえ難しく、たとえ徹底的に順風が吹こうとも1/3の確保さえ極めて困難であると言わざるを得ませんので、どうしても民進党を無視することはできません。
現状、すでに緊急事態条項さえ通れば日本が終わる段階まで来ており、立憲主義・国民主権は危機的状況にあります。また、路上では平然とおぞましいヘイトスピーチが垂れ流され、さらには災害のたびに虐殺扇動を含む差別デマが流され、いつ関東大震災のような事態に至ってもおかしくありませんし、現に日本社会は障碍者殺戮事件を経験しています。
この異常事態において、もし立憲主義を守り、差別を許さず、多様性を尊重する社会に近づける、あるいはそれらの喪失を少しでも食い止めることができるのであれば、私は腐った泥水でも何でも飲むつもりです。ヘイトクライムによる死者はもう1人たりとも出してはいけませんし、差別によって傷つく人も増やしてはいけません。民進党がどれほど頼りない政党であろうとも、立憲主義と多様性を守る限りは応援しますし、戦略的に妥当ならば民進候補に投票するでしょう。
そのような状況下で、この体たらくは一体どういうことなのでしょうか。

前原氏は、自身が日本会議であるとする噂について「デマ」として否定しています。無論、日本会議カルトと関係がないのは良いことではありますが、それだけでは意味がありません。
私は厳密には「日本会議」というもの自体を嫌っているのではありません。日本会議のように、立憲主義を否定し、国民主権を否定し、そして何より差別を推進して多様性を否定する存在を嫌っているのです。日本会議であろうとなかろうと、差別を肯定するのなら日本会議と同類の輩でしかありません。
少なくとも前原氏は、このような行為について納得のいく説明を行い(仮に操作ミスならミスと言ってもらえれば結構。説明なしにはあえて行ったのかミスなのかすら分かりません)、その上で多様性の尊重や差別の問題にどのように立ち向かうのかを、説明との間に祖語や矛盾を生じないような論理で明確に宣言すべきです。それが党首を目指す者としての最低限の責任です。
多様性を尊重する側としては、差別政党を倒すために別の政党を支持するも、その政党が差別をし始めるようでは意味がないのです。差別を推進する気がないのなら、ないと宣言する以外に疑念を晴らす方法はありませんし、また疑念を持った人々からの信頼を勝ち得るためにも必要です。
差別に反対して多様性を尊重し、立憲主義を守るならば、代表が(差別主義者でない限り)どこの誰であれ、私は泥水を飲む気でいます。一方、差別に賛同するのであれば、それが清水であろうとも床に叩きつけることでしょう。

小池都知事との連携に否定的=民進・枝野氏インタビュー

>小池氏は(自民党議員として賛成した)特定秘密保護法などで私たちと立場が違う。安保法制は間違いでした、特定秘密保護法は間違いでした、アベノミクスは間違いでした、と言ってもらわないと(連携の)前提が整わない。

こちらにはほっとさせられます。
民進党が立憲主義否定の差別勢力・日本会議ファースト(「日本ファースト」は政党名とはならない可能性があるようなので、仮の名称としてこう表記しておきます)と組むとしたら悪夢でしかなく、おちおち支持もできなくなります。いま必要なのはまさにこのような言葉に他なりません。
私は、そして多様性を大切にする人々は、多様性を守るのが目的であったはずの自分の応援が、そして自分の1票が、意図とは逆に在日外国人、外国にルーツがある人、障碍者、性的マイノリティなどを殺傷する凶器として使用されることを恐れていて、この党や候補なら応援して投票しても大丈夫だという確信を求めているのです。

2017-08-06 の記事 - 2017-08-06
内閣改造ですが、早速おかしな者が入閣しているようですし、このままいけば死に体内閣ですから、別にどうでもよいでしょう。
ただし、別に日本国民が立憲主義や多様性の尊重に目覚めたわけではないため、野党がくだらない仲間割ればかりしていれば再び盛り返される可能性も否定はできません。
実に4年以上にもわたる異常な政権運営の末、現内閣がどれほど狂った存在かがようやく報道される状況になったのですから、ここで手を緩めるべきではありません。どんな異常行為を繰り返そうが決して支持率が下がらないという異様な状況に再び戻ってしまえば、もはや手の出しようがありません。そうなれば無賃残業の合法化はおろか、下手すると緊急事態条項まで通され、それで終わりです。
いくら追い込んではいても、安倍・自民・日本会議一派はひとたび反撃の機会があれば日本を一撃で殺せる毒を持っていることを忘れてはいけません。野党結束を進め、確実にとどめを刺しに行く必要があります。

その上で、とりあえず今後徐々に問題になりそうなのはむしろ内閣外の人間、すなわち小池氏、小泉進次郎氏あたりでしょうか。

小池氏は日本会議カルト勢で、しかも在特関連団体で講演までしたという、まさに日本の汚点をすべて集めて発酵させたキメラのような存在です。国政で大暴れされればおぞましいことになるのは見えており、したがって国政に出てくる気があるようなら国民は良識をもって進出を阻止、あるいは進出してきてもお引き取り願う必要がありますが、そんな良識などがあれば安倍政権はとっくに終わっていたでしょう。
在特会と懇ろな有力議員で、小池氏並みのキメラといえば稲田氏ですが、こちらも別に在特会と懇ろであったことが致命打になったわけではなく、単に能無しであることがタイミングよく表に出たからに過ぎません。本来であれば在特会とかかわっていた時点で失格の烙印を押されなければなりませんが、日本はレイシズムに対して恐ろしいほどに甘い、というより支持材料にすらなり、したがって小池氏はボロさえ出さなければ台風の目となることができるでしょう。まさに「台風」です。通過した地点に暴風をもたらし、多くの人々が地元で地道に育んできた多様性の芽や幹を崩壊させる台風です。
たとえ国政への進出が成功しても、おそらく維新同様にいずれ賞味期限切れとなる可能性は高いでしょうが、要はその間だけ自民党をきっちり補完する自称第三勢力として存在すれば用は足り、おまけにそこで破壊された分の爪痕はその後も残るわけですから、そういう意味でも台風そのものです。たとえそこで民進党との連携をちらつかせたとしても、それはいわば日本会議カルト勢内での主導権争いに他なりません。
これに関しては、地方政治に集中して国政に出てこないでくれ、あるいはそれまでに大きなボロを出して本質を人々に知らしめてくれと神頼みをするしかない状況です(すでにほころびは出始めていますが、メディアが積極的に報道したがるかどうかは別)。といっても、相手は神社本庁・神道政治連盟・日本会議ですから、神頼みなどすれば逆効果かもしれませんが。

小泉氏は一個の人間としては恐れる必要もありません。氏に関しては登場当初から警戒しているため、発言なども少しは追っていますが、はっきり言ってただの凡人です。飛び抜けた能力などはほぼありません。
ただし、氏は重役になることが最初から決まっているという一点において恐怖です。そこに能力など何の関係もありません。早くからポストを割り当てられるなど相当厚遇されており、すでに終点まで作られたレールの上を順調に進んでいる状況であることは一目瞭然です。メディアも氏を好意的に取り上げるばかりで、このままなら重役確実なこの人物の思想について、今のうちから徹底して問題視するようなメディアはあまり見られません。
では、氏が重役になったらどうなるか。氏には中身らしい中身がなく、おまけに「きれいな長谷川豊」とまで揶揄されるような新自由主義者です。おそらく安倍氏が日本会議の軽い神輿として使われたように、氏は財界の軽い神輿として使われる可能性が高いであろうと見ています。
さらに、氏にはただ1つだけ凡人にはない能力があります。氏は政治家の家に育ち、堂々と父親から地盤と看板を受け渡され、党からも不自然に優遇されて地位を提供され、メディアも極めて好意的で、すべてが周囲のお膳立ての上、最初から重役になることが決定している人物です。もし私がこの立場であれば、「結果の平等より機会の平等」「努力する人が報われる社会」などといった種類の主張をすることはできません。さすがに厚顔にもほどがあり、「恥」の概念があれば到底不可能な主張であるためです。ところが、小泉氏は平気でそれをすることができます
厚顔で、恥の概念を持たず、自分のことは棚に上げる能力。安倍氏を見ての通り、これは日本の政治家にとって極めて強力な能力です。
安倍氏が立憲主義や多様性を引き裂いたように、小泉氏は労働者や富のない市民を引き裂くことを平然とやってのけるでしょう。

民進・細野氏が離党の意向表明 グループから同調者なし

どうぞどうぞ。
この状況下で、しかも多様性尊重勢力が意図しないような方法で野党を割られると極めて厄介です。最も恐ろしいのは、日本会議に親和的で差別思想を持っている連中が党を真っ二つに破壊して大混乱に陥れ、既存野党への大失望を招いた上で自分たちはまとめて都民ファーストに寝返り(おまけに仮に都民ファーストが国政進出をする気があまりない、または決めかねている場合でも、その進出を喚起しかねず)、幾人ものレイシスト国会議員を確保した都民ファーストが国政でも伸長することで、そうなれば日本の立憲主義や多様性尊重の概念は地底の底のさらにどん底に叩き落されることでしょう。
しかし、今のところこの離党は大した動きには発展していないようです。結果、「ようやくマスコミのコントロールが利かなくなってきて安倍内閣を追い込む機会が訪れ、一方で自党も急いで立て直す必要がある中、いちいち問題を起こす輩」にしかなっておらず、大変な時に平然と裏切る人間が自ら去るという願ってもない状況となっています。それでも厄介と言えば厄介ですが、こんな人間は後からでも裏切りますから、ろくに同調されていないだけマシです。
ついでなので、自党の党首すらも差別するようなレイシストはまとめて表舞台から消え失せてはいかがでしょうか。人種民族的なルーツの他、障碍や性的指向などでマイノリティに属する人々が、自党の党首さえ差別するこういった議員の存在に対して否応なく感じざるを得ない恐怖を考えれば、野党が少々弱体化するとしてもいなくなってくれて構わない存在でしょう。

ただ、余計な連中がいなくなっても民進党自体が不安な存在であることは変わりません。例えば都民ファーストまたは類似の第三政党が国政に進出してきて、思想として共産とその党のどちらを選ぶか踏み絵を迫られる状況となった場合、日本会議勢力かつレイシストの勢力を蹴って共産を選ぶことでしか多様性や立憲主義の尊重は実現し得ませんが、今の民進党にそれができるでしょうか。

2017-07-30 の記事 - 2017-07-30
蓮舫氏は結局、辞任。
党外の卑劣な人種差別主義者連中の攻撃にさらされたばかりか、党内にも署名付き怪文書を出したり、外部の差別主義者と一緒になって攻撃をかける人間がいた中で、よくもここまで踏ん張ったものです。
政治思想的にはあまり支持できない人物ですが、被差別当事者として差別にここまで対峙することはなかなかできるものではありません。被差別者を矢面に立たせてこのような苦しみを与える日本社会の在り方を深く恥じるとともに、率直に「お疲れ様」の一言を述べることとします。
奇しくも、稀代のヘイトクライム・相模原障碍者殺戮事件から1年。私たちはこれを「宿題」として、人種や障碍などによる差別を容認せず、あらゆる属性の人々が尊重される日本社会を作らなければなりません。

とにかく今後の民進党には、ある程度明確に展望を示してもらわなければ困ります。現状の民進党は何がしたいのか全く不明であり、したがって支持するのが適切なのか否かが全く分かりません。支持が割れそうなテーマはあいまいにするのも戦術のうちですが、それを散々やって支持者を混乱・失望させ続けてきたがために、民進党に待望が集まるはずの状況で失望が広がっているのです。
差別を許さず多様性を尊重すると言いながら、自党の党首さえも差別する。野党共闘への期待が高まっている状況で、平然と冷や水を浴びせかける。連合が無賃残業の合法化を一時的にせよ容認したこと、横浜市長選への対応の混乱なども、ちぐはぐな印象を与えています。労働者を守る気はあるのか、原発はどうするのか、子どもへの福祉をどうしたいのかなど、方針を定めるべきテーマは山積しています。
その結果として、たとえ「我々は自民党以上に差別を推進します」「共産党のような悪魔と組むなら自民党と組みます」と宣言することになったとしても結構。その場合、私は絶対に支持しませんが、「差別をなくし多様性を尊重します」と言っておきながら実際には差別し、共闘ムードを出しておきながら水を浴びせて裏切るよりはマシです。
無論、私としては民進党が党是通りに多様性を尊重し、野党共闘を行うことを望んでいるのは言うまでもありません。大筋で多様性の尊重や格差の縮小、立憲主義の尊重を訴え、日本会議勢力に対抗し、野党共闘を行う気があるのならば、ある程度政策的に折り合わない部分があっても、戦略的に投票先として妥当である限り、鼻をつまんで泥水を飲む覚悟で民進党候補を支持することでしょう。

なぜ安倍内閣の支持率が下がったのか、私には皆目見当がつきません。無論、森友や加計、防衛省などの不正問題や共謀罪などの国民軽視は十分不支持に値するものですが、これらは安倍内閣発足時点から一貫して継続されてきた姿勢であり、今に始まったことではありません。
すなわち、多くの人は国民軽視・不正行為・立憲主義否定などを踏まえて支持していたと考えるしかありません。それも、経済政策などを支持するためにこれらを我慢していたのであれば、経済政策の化けの皮がはがれた時点で支持は壊滅していたはずですから、要するにこれらをポジティブな要素とみなしていたと考えるのが妥当です。それで何年も支持率が高い状態が続いていたのなら、今ここで突然下がる理由は存在しないはずです。
要するに、何が何だか分からないが安倍氏に逆風らしきものが吹いている状態でしかなく、理由がよく分からない以上は今後の展開も予断を許しません。明日にも逆風が止んでも全く不思議ではないのです。今まではマスコミがコントロールされていたことも理由としては考えられますが、そうだとすればつまり国民が目覚めたわけではないことを意味し、マスコミを再掌握されればそれまでですから、やはり状況は極めて不安定です。
したがって、実際の野党には全く余裕はなく、党内での内輪もめ、共闘に冷や水を浴びせるなどの仲間割れをしていられる状況ではありません。
また、たとえ安倍内閣が実際に危機的だとしても、安倍・日本会議一派によってボロボロにされた日本の状況が回復するわけではありませんし、また日本会議にとっては安倍氏の代わりなどいくらでもいるはずで、客観的に見て危機的状況であることは全く変わっていません。本来ならば1秒でも惜しい状況であり、党としても野党連合としても一刻も早く体勢を整え、団結して戦うことが求められます。

ところで、辞任は辞任でも稲田氏の辞任にはほっとしました。まだ油断はできませんが、半年前までは「稲田総理」の悪夢が現実にあり得たわけですから、ひとまずそれが困難な状況となったのは幸いです。
以前には舛添氏も自滅してくれましたし、極めて不安視して警戒していた人物が自滅してくれるのは助かります。基本的になぜ不安視するかというと問題があるからで、つまりそういう輩は自滅の種を最初から持ってこそいますが、それが表に出ない場合が怖いのです。あとは小泉進次郎氏辺りが害悪が大きくならないうちに自滅してくれると大変助かるのですが。

2017-07-23 の記事 - 2017-07-23
結局、蓮舫氏の国籍問題問題は最悪の展開となりました。公表しても意味不明な言いがかりまでつけられる始末で、「差別主義者がこれを攻撃するのは差別が目的だから、戸籍を公表しようが無意味どころか追撃材料にされるだけ」という分かり切った憂慮が完全に的中する結果となりました。

反差別行動において、在日コリアンやLGBTなど被差別者の人々は必死です。この国では平然と「○○人を殺せ」がまかり通り、警察がそれを警護しています。災害のたびに流れるのは虐殺扇動デマ。障碍者はすでに殺戮されましたし、透析患者などへの殺戮を扇動する者もいます。LGBTにしてもアウティング死などが発生していますし、LGBTへの無自覚な偏見は国籍差別にも勝るものがあります。
要するに、実際に命がかかっているため、文字通り必死にならざるを得ないのです。
そして当然、そうした行動において「前に出て」いるマジョリティもまた必死です。醜悪でおぞましいヘイトスピーチを最前線で見ていて、またそれらが何を招くかも大いに理解しているためです。
したがって、差別に反対する人々は、差別主義者と対峙したり、行政や企業に申し入れをしたり、あるいはマイノリティとつながりをもって理解を深めたりといった、賽の河原に石を積むような作業をひたすら行ってきました。そしてそれは、その緊急性・必要性に対して非常にゆっくりとしたペースではあるものの、多少なりとも実を結びつつありました。
無論、そうした努力は現代の反差別者だけのものではありません。部落問題から障碍者差別、人種差別、その他ありとあらゆる差別に対し、昔から多くの人々が改善の努力を行ってきました。現代人はそれを引き継ぎ、少しずつ発展させてきたのです。
ところが、このほど鬼が出現し、部落問題全盛の時代から現在の人種差別に至るまで、人々が積み上げ続けてきた石の山をぶち壊していきました。その鬼を「民進党」といいます。差別を実質的な党是とする自民党や日本会議一派も間接的にはかかわっていますが、ここで直接的な鬼となったのは多様性を党是とする民進党でした。

蓮舫氏は「私を最後にしてほしい」と述べていますが、残念ながらこれは最初となるでしょう。本件によって差別主義者が気に入らないマイノリティに戸籍を要求する前例ができましたので、今後は国会から民間まであらゆる場所で類似の踏み絵を迫るケースが出てくる可能性が大幅に高まりました。
私は政治家としての蓮舫氏はあまり評価していませんが、被差別者としての蓮舫氏の立場ならまだ分かりますし、「私を最後に」の言葉に込められた意思も分かります。また、家族を気にかけていることも理解できます。
それゆえに、実際にはこれで「最初」が作られてしまい、しかも日本のダイバーシティを大幅に後退させ、差別主義者を勢いづかせ、これで差別の波が力を増せば蓮舫氏の子世代のマイノリティを直撃しかねない(例えばいじめや就職差別、結婚差別などは、いずれも若い世代の打撃が大きい)という皮肉で残酷なまでの結末は、非常にやりきれないものがあります。

この国籍問題問題については、差別政党である自民党ですら表立って攻撃するのを控えてきました。さすがに筋の悪すぎる攻撃であることを認識していたためで、つまりは自ら触れれば火だるまになりかねない地獄の扉であったわけです。そして自民党にすらできなかったことをやってのけたのが、あろうことか民進党なのです。
なお重ね重ね述べますが、私は本件において蓮舫氏を責める気にはなりません。何が何でも踏みとどまってほしかったのは確かですが、差別は行う者が100%悪いのであって、これは曲げてはならない大原則です。ここで被害者を攻撃するのは、「被差別者は右の頬を叩かれたら左の頬を差し出せ」と要求するようなもので、これが常態化した場合、殴られるのに耐えられるだけの体力や地盤のない多くの被差別者は表に出てくることが困難になるでしょう。つまり、それ自体が萎縮効果を生むのです。
となると、問題は民進党内での主導権争いを有利に進めるため、蓮舫氏の出自という自らの意思ではどうしようもないものを利用し、差別主義者に相乗りして攻撃をかけた身内の差別主義者です。彼らは単に蓮舫氏に対して人種差別を行ったのみならず、日本のダイバーシティに対して大きなダメージを与え、今までの日本社会の積み重ねをぶち壊しにした、安倍内閣に匹敵するほどの差別主義者連中に他なりません。

私は民進党内に多様な政治的立場の人々が存在すること自体を直ちに問題とはしません。立憲主義が破壊されそうな時に内輪もめに明け暮れたり、選挙の結果次第で緊急事態条項などを含む改憲がなされかねない状況下で共闘可能な相手に砂をかけたり、政府の不正が山ほど明らかになっていて切り込まなければならない状況下で、党内の権力争いにうつつを抜かしたりしないのであれば、多様な考えを持つのもご自由に。
ただし、差別を行う者のみは断じて容認できません。差別をすることに一切の正当性はなく、他人を差別してはならないのは小学生でも知っています。実際には差別が思想の根源である自民党ですら、口先だけでは「差別はダメ」と言うのです。民進党の一部の議員はそのレベルにさえ達しておらず、その度合いたるや臆面もなく怪文書に名を連ねたりするほどで、かつ党内の良識ある議員による差別反対の声でそれを圧倒できない状況は、深刻であると言わざるを得ません。
無論、現状でうかつに党勢を削ぐのは得策とは言い難い面もあり、蓮舫氏と差別を許さない所属者らが組んでヘイト勢力を抑え込めるのならそれでも良いでしょう。個人的には蓮舫氏の政治思想にはあまり賛同しませんが、こちらも泥水を飲んで選挙の状況次第では民進党を支持しているのですから、蓮舫氏も泥水を飲んで共闘でもなんでもやってくれれば結構(できなければ代表の座をそれができる人に明け渡してもらっても結構)。しかし、本件の存在は抑えが全く機能しておらず、蓮舫氏の側もそれを撃退するなり受け流すなりができない状態にあることを示しています。
もういい加減、それなりの決着をつけてもらわなければ困ります。これではもはや現状の民進党の存在自体が、石を積み上げるかのように地道に行われてきた反差別の動きへの妨害でしかなく、このままではいつ再び石の山を突き崩されるか分かったものではありません。

差別政党に対抗するため、にわか差別政党を作っても勝てるわけがありません。仮に勝てるとしても、差別政党として勝つのならば勝たなくて結構です。
日本会議一派による政治に反対する人々は、差別を否定して多様性を尊重し、政権交代または最低でも日本会議派政党の行動を牽制できる規模の政党を待ち望んでいます。そしてそれは、沖縄などへの地域・民族差別の否定に始まり、障碍者の生存権を守ること、基本的人権や立憲主義を守ること、労働者を無賃残業などから守ること、市民を貧困から守ること、教育を受ける権利を守ることなど、あらゆる人々の人権を守ることと地続きであって、これらはすべて日本会議・新自由主義の対立軸としての政党に求められていることです(これは逆もまたしかりで、人種国籍差別を行う層は、沖縄を侮辱したり、障碍者の人権を否定したり、テレビのインタビューに応じた貧困高校生などを攻撃した層とかなり重なっていて、さらにその多くが自民その他の日本会議勢力に親和的、かつ民進党に敵対的です)。
差別を否定し多様性を尊重すること。これが日本会議勢力と対峙する上での、おそらく実質上唯一の「解」となります。

なお本件に関して本音を書いておくなら、かなりの徒労感を覚えてはいます。差別に反対している人々、つまり選挙で戦略的投票先として民進党に投票することが期待できる人々が、差別に屈して戸籍を出せば日本のダイバーシティが後退すると必死で訴え、民進党に申し入れなどもしているのに、それを全部切り捨てて絶対に民進党に投票しない差別主義者の要求の方を取ったとあっては、「この党は私たちの言葉を聞く気があるのか?差別にかかわることですらこれでは、ましてや共闘や一般政策なら?」と考えるのは仕方のないことでしょう。

2017-07-15 の記事 - 2017-07-15
蓮舫氏の国籍問題問題(*)、実に頭が痛くなります。

(*)いわゆる「国籍問題」なるものに問題としての実体は存在しませんが、この「国籍問題」なるものを利用して蓮舫氏を貶め、ハーフなど外国にルーツがある人々に対する差別を扇動する問題ならば存在します。したがって、当サイトではこれを「国籍問題問題」と呼称しています。

当然のことながら、蓮舫氏が戸籍を(たとえ一部でも)公開することは絶対にあってはなりません。このような差別の前例を作ってしまえば、今後マイノリティが議員として活動するにあたって、マジョリティに対してなら到底要求され得ないような無茶苦茶な要求や言いがかりを突きつけられることが常態化する恐れがあり、これによる萎縮の効果はかなりのものとなるでしょう。
また、国民の代表である国会議員の間ですら堂々と人種差別がまかり通るならば、一般社会における人種差別はこの程度では済まなくなります。部落出身でないか確認するため結婚相手の戸籍を調べていた時代に逆戻りです。同時に、これで「ハーフは差別してもよい」というメッセージを発してしまえば、ハーフなどのマイノリティは今まで以上に容赦なく差別を受けるようになり、現状でまともに人権が守られているかどうかすら怪しい在日外国人などに至っては、それよりさらに「格下」に位置づけられることになるでしょう。
以下の記事によると、

民進:党内から差別助長危惧の声 蓮舫代表戸籍公開方針

>大串博志政調会長は「通常は絶対あってはならず、多様性を求める党是にも合わない。ただ、野党第1党の党首という立場を考えるとやむを得ない」と話した。

だそうですが、確かに野党第一党の党首は影響力が大きい存在です。したがって、絶対に戸籍を公表してはいけません
蓮舫氏はおそらく、日本で最も大きな政治的影響力を持つハーフです。多様性を党是とする野党第一党党首として、日本の多様性尊重をリードすることが期待される立場です。そのような人物が差別に屈したならば、日本中の多様性尊重の意識が大幅に後退するのは避けられません。「立場」も何も、差別主義者からすれば蓮舫氏1人を落とすだけで日本のダイバーシティを大きく破壊できるのですから、ここを落としに来るに決まっています。立場を考えるならば、絶対に落とされてはいけないのです。

ただ、私としてはあまり蓮舫氏を責める気にはなりません。
差別とは力関係の非対称性を利用して行われるものです。より立場の強い者が、より立場の弱い者を攻撃する。それが差別です。そして差別は属性に対する攻撃ですから、被害者はどうすることもできません。例えば「イエローモンキーは死ね」と言われたからと、黄色人種をやめることはできません。
これはいわば、巨人の大群に蹂躙されるようなものです。おまけに蓮舫氏の場合、人種差別と女性差別の複合差別にさらされています。結果、経歴上差別について考えることも多く、かつ今までも様々なバッシングにさらされてきたであろう蓮舫氏ですら耐えられなくなってしまうのです。はっきり言って、こんなものに耐えられる被差別者などそうそう存在しません。圧倒的な力の差で殴られるというのは、そういうことなのです。
その上、民進党議員の一部は署名付き怪文書を出すことに始まり、都議選の敗因を蓮舫氏の出自に押し付けたり、差別にタダ乗りして蓮舫氏を攻撃したりとやりたい放題。生身の人間が巨人に殴られている状況下で、友軍はそれを助けようとするどころか、背中に機銃掃射を浴びせかけているわけです。
その惨状たるや、むしろ今までよく耐えたものだと感心するほどです。
なお、「説明が二転三転している」として問題視する意見は、今回に限れば全くその通りであると私も考えます。すなわち、「戸籍を公表しない」で終わった問題を、なぜか今になって蒸し返して「公表する」と言い出し、批判を浴びたら「公表するのは必要な部分だけ」と言い出すのは、確かに全く必要のない騒ぎであると言わざるを得ません。何らかの形で公表すれば、差別に反対する程度の良識は持っている人々を大いに失望させますし、公表しなければ話が違うなどと言われて批判を浴びますから、わざわざ袋小路にハマりに行っているわけです。
といっても、氏をこういった支離滅裂な行動を取らざるを得ない状況に追い込んだのはまさに「差別」ですから、やはり氏ばかりを責める気にはなりません。

カウンター行動の基本は「マジョリティは前に出ろ」です。差別側と被差別側に圧倒的な力の差がある以上、被差別者を矢面に立たせておいてはならず、差別側と同じ立場にいる日本のマジョリティが前に出て被差別者の壁となると同時に、図式を「社会的多数者 VS 社会的少数者」から「社会的多数者(差別集団) VS 社会的多数者(反差別・多様性を尊重する者)」に塗り替える必要があります。
見て見ぬ振りも差別への加担と同じです。圧倒的に強い側と弱い側、放置しておけば弱い側が一方的に蹂躙されるに決まっていますから、放置は中立ではあり得ません。
したがって、本件についても「民進党議員のマジョリティは前に出ろ」の一言です。

民進党が受け皿となれないのはなぜか。国籍問題問題の一件を見ても明らかでしょう。
外国にルーツがある人、LGBT、障碍者などの社会的マイノリティにとって、排外主義・差別主義・立憲主義否定・人権軽視の自民党(あるいは日本会議)政治は現実的な脅威です。この社会ではすでに障碍者殺戮事件が発生しています。閣僚の中には「○○人を殺せ!」と叫んで街頭を練り歩く連中と懇ろであった者もいます。そして首相は差別デマサイトをシェアするような人物です。
現状でもマイノリティは人権が守られているかすら怪しい状況に置かれていますが、立憲主義の否定によって権力に権利を守らせることが難しくなり、また人権がこれ以上軽視されるようになれば、まずマイノリティがそのあおりを食うことになります。実際、ナチスでは障碍者や同性愛者への迫害が行われていましたし、相模原の事件への反応、長谷川豊氏の一件などを見ても分かるように、そういう「空気」は現代日本にも蔓延しています。
自身が何らかのマイノリティである者。親族や友人にマイノリティがいる者。そうした人が身近にはいなくても差別はおかしいと考える者。そうした人々は、多様性を尊重して差別を否定し、その上で十分な力のある政党を待ち望んでいます。
自らもマイノリティである人物が党首を務め、多様性を党是とし、また有田氏をはじめとして反差別に積極的な議員も存在している民進党は、そういう意味では理想的な政党であるはずです。
しかし、実際の民進党はそれほど信用されていません。一番肝心な時に裏切りかねない政党であるとみなされているためです。
今回の国籍問題問題はその典型的な例です。都民ファーストなる茶番劇の中でも、立場をはっきり示している共産党が堅実に議席を積み増す一方、民進党はいまひとつ存在感を発揮できませんでした。当然の結果ではありますが、そこで敗戦の責任を蓮舫氏の出自に押し付け、党内の主導権争いのために差別を利用するという離れ業をやってのけたのが民進党内部の議員であるわけです。
自党の党首すらかばうでもなく、差別を利用して背後から撃つ者さえいて、党首もそれに屈してしまうような状態の政党を、国民が「この党なら大丈夫だ。差別と戦い、多様性を尊重してくれるに違いない」とみなして信用するとでも考えているのでしょうか
少なくとも私は、今回の公表騒動には大いに失望し、「こんな政党、もし有田氏のような差別に立ち向かう議員がおらず、かつ現状が立憲主義の危機でないならば、絶対に支持しないのに」というほど強い憤りを覚えています。
このような有様で受け皿になれるとしたら、そちらの方が不思議というものでしょう。

現状、民進党は差別主義者に蛇蝎のごとく嫌われています。そして、差別主義者に嫌われるのは多様性を尊重する政党として名誉なことであり、よりいっそう差別主義者に嫌われるような態度を貫くべきではあっても、彼らのご機嫌を取る必要など一切ありません。蓮舫氏が戸籍を公表して彼らの目的(ハーフかつ女性である蓮舫氏に対する嫌がらせ、かつ日本のダイバーシティを大きく後退させ排外主義を推し進めること)を成就させたとして、彼らが民進党を支持することなど絶対にありません。味をしめて二匹目のドジョウを狙いに来る可能性ならあるでしょうが。
差別勢力はもう間に合っています。確かに差別主義は日本において相当なボリュームゾーンですが、自民・公明・維新・都民と魑魅魍魎がひしめき合う中、民進党が彼らの食べ残しをあさるような真似をしたところで、党勢回復などできるわけがありません。仮にできたとしても、それは単に日本会議システムに組み込まれ、傀儡として役割が与えられただけです。
民進党がすべきなのは、「反差別・多様性尊重・立憲主義擁護・基本的人権の尊重」を掲げて差別主義・排外主義・立憲主義否定・人権軽視に対峙することです。党として差別を許さないという強力な態度とメッセージを即刻示すべきであって、この状況ですらそれを示せないようなら手遅れです。
党内ですら多様性を尊重できず、党首すらも差別から守れないような政党が、日本社会の多様性を尊重し、一般市民を差別から守れるわけがありませんから、これは極めて重要です。そして、これは蓮舫氏の決定だけの問題ではありません。民進党内のマジョリティのうち、誰が前に出て、誰が前に出たがらないのか。これもまた問われているのです。

2017-07-08 の記事 - 2017-07-08
さて、「自民 VS 都民ファースト」なる図式が演出された、茶番劇の都議選について。結果は実に予想通りのものでした。当選者・関係者の経歴やらその後の展開もまた実に「らしい」もので、こちらもひとまずは予想を裏切らない状況です。

勢力選挙前選挙後増減
日本会議カルト勢86102+16
共産党1719+2
民進党75-2
ネット31-2
無所属130-13


※「日本会議カルト勢」には都民ファーストによって追加公認された無所属候補も含む。

日本会議カルトが大幅増、その他の政党は微増または微減となっています。もともと議席の多くを保有していた日本会議カルトが、さらに躍進して大勝したのが今回の選挙です。これは地方選挙ながら、今後とも日本会議一強は続くものとなりそうです。

今までの異様な政権擁護姿勢にしてもそうですが、今回の都議選もまた報道に問題がありすぎました。
少しでも物事の分かった人なら誰でも知っている通り、今回の選挙は「自民大敗・都民ファースト大勝」で片付くものではありません。言うなれば、日本会議カルト・ヘイトスピーチ・アンド・リビジョニズム・ホールディングスの子会社である自民党から、同じく子会社の都民ファーストに対し、リソースの移動と人事異動が行われただけです。
自民党や安倍氏が勝ったか負けたかでいえば微妙なところですが、あれだけ山ほど問題が噴出した中で上手く日本会議勢力を躍進させたという意味では、勝ったともいえるでしょう。一方、茶番ながらも逆風が見える形で示された意味では負けたともいえますが、そんなものは単なる日本会議HD内での派閥争いであって、日本会議グループ各社の上層部以外の人間には関係がありません。
X社傘下のA社が不祥事を起こして批判を浴び、そこでライバルとしてB社が登場、話題をかっさらって大きなシェアを獲得するも、実はここがX社の子会社だとバレたらどうでしょうか。マスコミは大喜びで非難合戦を繰り広げるのではないでしょうか。
東京は知事としてレイシストを何度も輩出している場所であり、実際の図式を伝えたところで日本会議勢力の躍進にはそうそうブレーキはかからないでしょうが、この際議席がどうのこうのは置いておくとして、これを伝えなくてよいということにはなりません。都民ファーストが何らかの方法で国政にまで浸食してくる可能性もあるとなれば、これがまともに報道されなかったことは日本全国に後々まで響いてきます。

ところで、こちらも大方の予想通り日本第一党候補は余裕で落選だそうです。小池氏が在特とのかかわりを持っていたり、お騒がせの稲田氏が在特と蜜月であったように、自民・都民ファーストともに「きれいな在特会」ですから手放しには喜べませんが、とりあえずはおめでとうございます。どうか手遅れとならないうちに、日本会議カルト勢もこれと同じ道をたどりますように。

2017-07-02 の記事 - 2017-07-02
なぜ声をあげた障害者がバッシングを受けるのか?バニラ・エア問題、本当の争点はどこにある

バニラ・エアに事前連絡したが乗れなかった車いす女性

どこかで見たような問題ですが、それもそのはず。なにしろ日本社会は何度も何度も何度も何度も似たような問題を繰り返してきたのですから。
反差別カウンターへの批判、デモへの批判、「保育園落ちた日本死ね」への批判などは、どれもこれも本件と極めて類似した構造を持っています。また川崎バス闘争など、公共交通機関のバリアフリー自体がこのような方法で勝ち取られてきた経緯があります。

本件を「やり方が悪い」などとしてつるし上げ、糾弾する者がいますが、ならばその者は自らが考える「正しいやり方」を実行し、それによって障碍者と健常者の間にある差を縮めるなり、問題を可視化するなりしておけばよかったのです。この問題が発生するまでに実践する時間はいくらでもあったはずですし、それをしていれば当事者自らが行動を取る必要もありませんでした。
また、障碍者・バリアフリーの問題はこれで終わりではなく、今後とも社会の重要なテーマであり続けますから、今まで何もしなかったことはもう仕方ないとして、今後は「正しいやり方」を用いてバリアフリーを推進すればよろしい。きっとその「正しいやり方」によってさぞや目覚ましい成果を上げてくれることでしょう。
なお、1人の人間が持っているリソースは有限ですから、社会にバリアフリーなどの問題にかかわらない人が存在すること自体は仕方がなく、直ちに責められるべきものではありません。ただ、それなら障碍者が行動を起こした場合にもその方針を貫けば済む話であって、頼まれてもいないのに「やり方が悪い」などとつるし上げることで能動的に問題にかかわるという選択を自ら望んで行った以上、その者には当然、「正しいやり方」を実践することが求められます。
無論、以上は糾弾者の大半がそんなことをするわけがないと分かった上で言っています。自分は何もしないくせに一人前に文句だけは言う人間の望み通りにしてあげたとして、それによって彼らが障碍者の側に立って行動することは決してありません。なお、自分は活動を行っていて、かつ今回の件に懸念を示している人にはお気の毒としか言いようがありませんが、そうした人の割合は少数であろうことは想像に難くありません。

本件について、問題提起をした人が活動家であるなどとして非難する動きもありますが、同じことでも活動家のAさんがやった場合には問題にするが、道の端っこを歩いているしおらしい障碍者のBさんがやったら許してやるとでも言う気でしょうか。また、当事者は自分たちの立場を向上させるための活動をしてはいけないのでしょうか。そのような遠回しな言い方などせず、「障碍者は健常者様に注文など付けず、道の端っこを歩いてろ」とでも本音を言った方がまだ潔いというものです。
もし問題提起者の主張なり思想なりが気にくわないとして、それを批判するのは言うまでもなく自由です。それが属性への攻撃の要素を含まない限り、単なる批判であって必ずしも差別とはなりません。ただし、「自分が気にくわない者であれば、障碍を理由に排除・否定されても構わない」なる理屈を認めることは断じてできません。
「障碍者優遇」的な言い分に至っては論外。問題提起者が「障碍者にはキャビアと高級ワインをよこせ」などと言ったなら不当な要求でしょうが、実際には「搭乗」を求めて得ただけです。バリアフリーなどの是正策が実現されたとしても、それは障碍者にとっては「どんなに良くても健常者と同等、通常はそれより不便な範囲において、施設内の移動やサービスの利用ができる」程度のものであって、当然ながら健常者以上の利得が得られることはありません
また、実際にバニラエア側も対策を打ち出したように(それ以前から対策を進めていたとの情報もありますが、いずれにせよ合理的な範囲での対策であることの証明ではある)、必要となる対策は合理的・常識的な範囲のものでしかなく、実現困難で不合理な対処が求められているわけではありません。通常の航空会社ならともかくLCCだから配慮の必要はないとの意見もあるようですが、通常航空会社なら差別はいけないが格安なら差別をしてもいい、などという理屈はどこから出てくるのか、理解に苦しみます。

そして前述の通り、これは日本社会において何度も繰り返されてきたことです。
例えば保育園問題では、批判者はそれまでにいくらでも活動をして問題の解決を試みる機会があったはずですが、実際には何もしませんでした。また、強い言い方がなされる以前には、より穏健な言い方で何度も問題提起がなされてきていますが、やはり批判者は何もしませんでした。そしてとうとう、「保育園落ちた日本死ね」が社会的な注目を集めるに至り、批判者は何もしないくせに批判だけは一人前に行い始めました。
より穏健な言い方で問題提起がなされている時点で何もしなかった人間が、「保育園落ちた日本死ね」に対して「言い方が悪い」と文句をつけるのは質の悪い冗談でしかありません。結局、「良い言い方」を用いようが「悪い言い方」を用いようが、批判者は批判以外は何もしないのです。
反差別カウンター問題でも同様で、よく「あんなやり方ではダメだ」と文句をつけてくる者がいますが、そうした人物が「ダメではないやり方」によって差別と対峙することはまずありません。もしやり方が気に入らないのであれば、自分が正しいやり方を用いて差別を解消すればよく、そうなれば誰も「ダメなやり方」などする必要はなくなりますが、批判者は反差別側に文句を言う以上のことは決して行いません。
差別者と反差別者に対する「どっちもどっち」論もまたこの類型です。別に「どっちもどっち」でも構いませんが、それなら差別・反差別の争いという点においては少なくとも差別側も同罪、かつ差別側は被差別者を一方的に攻撃しているわけですから、その分も足さなくてはいけません。しかし、「どっちもどっち」論者はほぼ間違いなく反差別側を一方的に攻撃し、差別側にそれと同等以上の攻撃を加えることはありません。
「保育園落ちた日本死ね」は日本社会に対する強力な問題提起となり、カウンターは差別デモを規模・回数ともに大きく縮小させるなど、現に成果を上げました。一方、批判者の望むようにふるまったところで彼らは何もしませんから、聞き入れていれば単に問題解決が遠のいていたでしょう。

デモとは何か。カウンターとは何か。本件や保育園問題で問題提起者が行ったのは何なのか。早い話が、ピエロ役を買って出ることです。
自ら体を張って汗を流して、それで得られるのは嘲笑、中傷、罵声、批判のみ。無様なものです。しかし、公民権運動から障碍者差別、人種差別の問題に至るまで、ピエロがいなければ世の中は変わらなかったでしょう。
そして、そのいずれの場合においても、ピエロをバカにする人間が何かをしたことはありません

なお、障碍者やその他のマイノリティに対して合理的な配慮ができる社会、あるいは不当な差別的言動がなされない社会は、健常者にとってもフレンドリーになることはあれ、その逆はまずありません。また、人間はいつでも病気やケガなどで弱者の立場に置かれる可能性がありますし、誰でも生きていればいずれ老います。また、仮に健康は維持できても、社会的立場は時の社会情勢によっていくらでも変動します。
「障碍者叩き」は実際には、「他人をも巻き添えにした自分叩き」に他なりません。

2017-06-25 の記事 - 2017-06-25
ヘイトスピーチで在特会が再び敗訴 大阪高裁が一審支持

女性差別との複合差別も認定され、それ自体は申し分のない判決です。ただ、賠償額がたった77万円なのは行いに対して安すぎますし、裁判費用や労力を考えると金銭的には無駄であり、被害にあった人々が訴えを起こして被害を回復できるような額では到底ありません。
つまり、散々侮辱されて傷つけられた被害者が、さらに時間と労力と金をドブに捨て、傷をえぐられることを覚悟の上で立ち上がり、いわば捨て身か痛み分けのような方法で反撃しなければならず、さもなければ差別主義者には何の被害もないわけですから、被害者の訴え任せではヘイトスピーチの拡大を防ぐことは極めて困難です。
さらに言えば、現状のヘイトスピーチ自体が法の欠陥を突いていて、今回の件では李信恵さんという特定個人が対象であったために裁判が起こせたものの、特定の個人・団体を指定せずに属性を攻撃する行為には明確な被害者が存在しないため、裁判などの手段すら取れない場合が多いのが現実です。
ヘイト本があふれかえった理由もここで、実在の人間についてあることないこと書き連ねるのと比べてリスクが圧倒的に低く、嘘でもデマでも何でも書くことができます。李さんはヘイトデマサイトの保守速報も同時に訴えていますが、これにしても自身に対する誹謗中傷を理由に訴えているのであって、特定個人を対象としない差別にはまともに対抗できません。結果、差別は極めて手軽で安全な趣味や商売道具と化しているわけです。
ただし、実際にはヘイトスピーチは被差別者を傷つけ、さらには重大なヘイトクライムを引き起こします。熊本の震災では虐殺扇動デマが垂れ流され、相模原では障碍者の殺戮が発生しました。戦前や海外の例まで含めれば、最悪の事態に至った実例はいくつもあります。事の重大性に法が全く追い付いていないのです。

「民族差別と女性差別の複合差別」在特会に賠償命じる

>判決について在特会=「在日特権を許さない市民の会」と元会長の代理人を務める弁護士は「思想統制や表現規制を招くヘイトスピーチ規制の危険性について警鐘を鳴らし続けたい」というコメントを出しました。

ヘイトスピーチこそが立場の弱い人々を委縮させて自由な言論を封じ、また甚だしくはルワンダでフツ穏健派も殺害されたように思想統制を招くため、ヘイトスピーチを認めることと表現・思想の自由の保証は決して両立し得ません。表現や思想の自由を守るには、ヘイトスピーチと戦う必要があります。

2017-06-17 の記事 - 2017-06-17
共謀罪。まさにデタラメを絵にかいたような異常な法案が、名前をテロ対策のように見せかけただけであっさり通過してしまいました。国民は相当侮られていますし、これでますます侮られるでしょう。
言うまでもなく大変なことですが、これですら自民・日本会議一派にとっては通過点でしかなく、最後から2歩目です。この次には最後の1歩である緊急事態条項が待っています。

民主主義とは何か。ごく簡単に言えば、本来なら全然難しくもないことをいちいち面倒にすることです。すぐにやればすぐにできることを、いちいち所定の手続きを踏み、書類や資料などを用意し、あれこれと回りくどい方法によって実行しなければなりません。ただ、そのおかげで失敗の可能性も最小限に抑制できるシステムでもあるわけです。
トランプ政権は早速、その壁に阻まれています。異常な大統領令などは三権分立によって無力化され、地方政治家などからも公然と反対の声が上がり、好き放題ができなくなっていますので、民主主義によるフェイルセーフがある程度正しく機能しているといえるでしょう。
日本ではそのようなことは全く期待できませんが、それでも国民には止める機会が与えられてきました。しかし、安保の時には野党を勝利させれば立憲主義を守る望みがありましたが、国民はその機会を自ら放棄しました。共謀罪に関しても、森友や加計の問題も浮上している状況であり、世論によって実質上通すことが難しい状況に追い込むことは可能でしたが、その機会すらも放棄しました。
終了へのラストステップである緊急事態条項に対しても、国民投票により踏みとどまる機会が設けられることでしょう。それでは、国民はその機会を生かすのでしょうか。それとも放棄するのでしょうか。

共謀罪が成立しても、その日からただちに暗黒の時代になるわけではありません。今後「共謀罪が成立したが、世の中何も変わらないじゃないか」と嘲笑する人間も出てくるでしょうが、そんなものは当たり前です。日没の直後に深夜となることはありませんが、民主主義の日没もそれと同じです。
そして私は、共謀罪はそれ単体でも十分に強い力を持ってはいるものの、緊急事態条項と合わせて手元に置いてこそ、その本来の破壊力を発揮できる武器であると考えています。
それでは、緊急事態条項が成立したらそれですぐに暗黒の時代になるのかというと、これもまたそうはならないでしょう。ただ、成立すれば終わりであることに変わりはありません。
緊急事態条項が通ることは、出口のない迷路に放り込まれるようなものです。アドベンチャーゲームで言うならば、同条項の成立はどうあがいても死ぬしかないルートに進んでしまうのと同じと考えればよいでしょう。その後も物語は何事もなかったかのように継続していきますし、その途中ではおそらく分岐も現れるでしょうが、どう進んでも最終的には死ぬしかありません。

今回をもって、戦後民主主義に張り巡らされてきたフェイルセーフ、「遊び」の部分はほぼ使いつくされました。これまでは何とか今までの民主主義の貯蓄で破滅だけは免れてきましたが、この次こそが本丸で、ここを落とされれば破滅が待っています。
なお当然ではありますが、共謀罪にせよ緊急事態条項にせよ危険性は少し調べればすぐに分かることで、踏みとどまる機会を自ら放棄して足を踏み出したなら、もはや後で他人のせいにはできません。これもまた民主主義というものです。

タイミングよく以下の判決も出ています。

稲田氏の上告棄却、敗訴確定 サンデー毎日記事

当然の判決ですが、それにしても昨日までの友達とつるんでいたことを書かれただけで「名誉棄損」呼ばわりなのですから。森友の時といい、よくもまあここまであっさり、しかも臆面もなく尻尾を切れるものです。
連中にとってはこういった「昨日までお友達であった鼻つまみ者」が一番邪魔なのです。ゴロツキ集団と組んでのし上がった成功者が、成功した途端に邪魔なゴロツキを始末するなどというのはフィクションですら定番ですし、昔から「狡兎死して走狗烹らる」という言葉もあります。それが「走狗」どころか無能な犬となればなおのこと。また、反対派だけを攻撃するとなると角が立つ場合、放っておいても邪魔なだけの身内をついでにゴミ箱に叩き込めば、批判を回避した上にゴミ処理までできるので一石二鳥です。
未だ「共謀罪に反対するのはテロを行おうとしている人間だけ」などといった寝言を言える人々のおめでたさにはあきれますが、この手の尻尾切りを見ても誰がターゲットなのか分からないとしたら、おめでたさも極まれりといったところでしょう。

2017-06-11 の記事 - 2017-06-11
表現は自由…でも差別的? 百田氏、一橋大の講演中止に

この問題、こうして新聞で取り上げられるまでになっていますが、こちらもまた頭が痛くなります。メディアはいつまで傍観者を決め込む気でしょうか。

マスメディアが堂々と「人殺しはいけない」「いじめは許されない」「酒を飲んだら運転するな」「ドラッグはダメ」などと報道しても、行動の自由の侵害やら、特定の思想に肩入れしているとして言いがかりをつけられることはありません。むしろ「娯楽のために人を殺すのは自由」「いじめを止めるのは弾圧行為だ」などと主張する方が、特定の思想とみなされたり、問題視されることでしょう。
当然、「差別は許されない」もこれらと同様であって、「差別をするのは自由」こそが特定の思想とみなされるべきものです。それを未だに、「差別はいけない」との立場を明確にした上での報道もできないのでしょうか。
まして、先日もイオ信用組合での放火未遂事件、アメリカで差別を止めに入った3人が殺傷される事件など、凶悪なヘイトクライムが発生したばかりです。相模原での障碍者殺戮事件にしてもそうですが、差別が何を招くかが明確に示されている状況にありながら、一体何を見ているのか全く理解できません。

記事では百田氏が「言論弾圧」などと主張していることにも触れられていますが、権力者でもない人間が「言論弾圧」などできようはずもないのは当然として、対して「差別は加害行為である」「差別こそが言論を圧殺する」ことにはまともに触れられておらず、全体的に差別が極めて過小評価されています。
また、百田氏の言動について、

>昨年11月には、千葉大生の集団強姦(ごうかん)事件の犯人像をめぐって「在日外国人たちではないかという気がする」とツイートし、「人種差別」と批判を浴びた。

>ARICの梁英聖(リャンヨンソン)代表(34)は「百田氏は差別を扇動してきた。講演会を開けば、大学が差別を容認することになる」と主張。

などといった書き方を行い、書き手として百田氏の言動を差別であると記述することを八方手尽くして回避しており、非常に煮え切らないものとなっています。グレーゾーン的な言動に対して差別であるとの批判が出た場合ならまだしも、このツイートの件などは人種差別ど真ん中なのですから、最低でも「〜と人種差別ツイートを行い、批判を浴びた」と書くべきでしょう。

差別は属性に対する攻撃です。すなわち、ただ単にマイノリティに属しているだけで理不尽な攻撃の対象とされ、自分に罪もないことで人としての尊厳を否定されるのです。しかも差別は力関係の差を前提として行われるものですから、マイノリティの側は抵抗するのも極めて困難であり、ほとんどの場合において押しつぶされて沈黙を強いられることになります。
そして、先のアメリカの事件は「差別に反対の声を上げた者ですら命の危険にさらされる」ことを可視化しました。止めに入った人でも平然と殺されるのですから、直接のターゲットであるマイノリティが自ら抵抗するならそれこそ命を捨てる覚悟が必要です。
それは今回の百田氏の問題でも同じで、記事中では

>梁代表のツイッターには百田氏を支持する人たちから「圧力かけたバカ」といった非難のコメントが相次いだ。

とだけ書かれていますが、たかだか「バカ」程度のどうでもいいものでは全くなく、おぞましいヘイトスピーチの嵐です。脅迫まで来ていることを梁氏は明らかにしており、さらには氏の写真などの情報をさらす者も出現しているなど、極めて危険な状況となっています。
差別扇動を受けて憎悪をたぎらせ、脅迫までするようなタガの外れたレイシスト連中が、氏の写真などの個人情報を閲覧し、それをもとに氏を襲撃する者が1人でも出てきたならば、これでもう重大なヘイトクライムが完成します。そこまでの距離は非常に短いのです。また、実際に身体への危害にまでは至らなくても、その可能性があるだけでも十分な脅威ですし、本人だけでなく家族や身近な人にも危険が及ぶかもしれません。そのような脅迫にさらされてもなお萎縮しないでいることは極めて困難です。
差別という重大で理不尽な加害行為について、抵抗をすればさらなる差別や脅迫を受け、何をされるか分からない。これこそがまさに言論の圧殺と呼ぶべきものに他なりません。

すなわち、よくある「差別に反対するのは言論の自由の侵害」論は次のように言い換えることができます。
「言論の圧殺もまた言論の自由であるので、認められなければならない。しかし、言論の圧殺に反対することは言論の圧殺であり、言論の自由を侵害する。したがって認められない」
「ナチスに反対するのはナチス」「不寛容に対して寛容でないのは不寛容」と並ぶ、いつものレイシスト論法です。「言論弾圧」なる差別主義者の言い分を取り上げた以上、差別こそが言論の圧殺であることを解説して打ち消すのは報道機関の責務であって、それをしないなら記事はレイシストの主張の垂れ流しでしかありません。

ここまで危機的な状況にありながら、記事中の「表現規制に詳しい」とされる人物のコメントはあまりにものんきです。

>話す機会を奪うのではなく、講演を聴いておかしいと思えば議論するのが高等教育の場にふさわしい姿では

実際にはおかしいと思った時点でもう手遅れです。
ヘイトスピーチとは街中で機関銃を乱射するようなもので、実際に人を殺傷します。これはもう、ルワンダ虐殺などを引くまでもなく分かり切ったことです。散々差別の銃を乱射して人々を傷つけてきた人間が、今度もまたゆうゆうと機関銃を搬入して組み立て始めれば止める人が出てきて当然ですし、それに対して「機会を奪うな」などと言うならばおふざけにもほどがあります。
そして、「おかしいと思えば」の時点ではもう機関銃が火を噴いていて、何人もの人が血を流しているのです。同時に、災害時などに芽を出しかねないドス黒い差別の種が、聴衆や社会に植え付けられているのです。その時点になって「あなたが銃を撃ったから人が傷ついた。やめてくれ」と言いに行き、しかも銃乱射者と「議論」を開始しなければならないのでしょうか。おまけに実行委側は注意事項として「企画を妨害する行為」を行ったら退場していただくと明記しており、それも厳重な警備体制が大きくなりすぎたために中止にしたとしているほどですから、差別がなされた場合にそれを指摘したり、「議論」を開始するなど到底困難であることは想像に難くありません(ちなみに、このコメントにおいて「議論する」相手は百田氏であると明記はされていませんが、「百田氏が差別をしても放置し、後で百田氏以外の人々の間でその正当性を議論する」と解釈するなら、要するに講演では差別を垂れ流しにさせろと言っているに等しいですから、好意的に取って百田氏が相手だと解釈しておきます)。
また、この記事は誤解を招くような内容となっていますが、もともとARIC側は必ずしも講演会の中止を求めてはいません。「運営側で差別を許さないルールを策定し、百田氏などの登壇者に遵守を確約させ、絶対に差別をさせないようにするか、それができないなら中止せよ」がARICの求めで、極めて妥当かつ相当譲歩した要求です。
なお、中止が決まった後で実際にどうなったかといえば、百田氏はこの中止の件を最大限活用してデマに仕立て上げ、相変わらず人種差別を繰り返しています。氏が今までの差別を深く反省し謝罪しているのに壇上に乗せなかったというならまだ話は分かりますが、こんな人間を壇上に登らせ、おかしなことを言ったら議論しろなどとはどこまでふざけたことを言うのかと怒りを覚えます
差別の銃火にさらされれば傷もつくし死にもする生身の人間を、マネキン人形か何かと勘違いしているのでしょうか。

アメリカで発生した事件を見ても分かるような現実的脅威に対し、差別を止めようとして現に脅迫にさらされている人がいる状況で、「識者」が机上の空論にて注文をつけ、メディアは「差別をする自由」と「差別をしてはならない」の中間を中立であるかのようにして、差別を差別と言うことすら避けて報じる。これもまた、今まで何度も繰り返されてきた光景です。ただ、この記事はそれらの点でかなり徹底しており、数年前に戻ったかのような錯覚を受けました。
そうしている間にも災害時の虐殺扇動やら障碍者殺戮やら色々起きていますが、数十人もの人々が殺傷される大事件があってすらもなお理解できないのなら、一体どれだけの規模のヘイトクライムにまで至れば理解するのでしょうか。

なお私は、差別に反対するとは実に命がけであるとアメリカの事件(と今回の問題)で改めて認識させられたところですが、レイシストの眼前に立って抗議するのをやめることはありませんし、社会もそれをやめてはならないと考えます。「差別を黙認しなければ、自分が危害を加えられるかもしれない」の図式が極限までエスカレートしたものが「マチェッテで被差別者を斬り殺さなければ、自分が殺される」であり、現状を放置して社会をそのような状況に近づけるならば、後でもっと大きな代償を払うことになります。

2017-06-04 の記事 - 2017-06-04
先日の件の続報。一大学のことなど本来どうでもよいといえばそうなのですが、百田氏の悪質な差別扇動及びテロ予告に関する問題でもあり、また差別に対する日本社会の出来事として実に典型的な経緯をたどった一件ですので、取り上げておきます。

百田尚樹氏 講演会中止

百田氏が登壇することによる直接的な差別被害発生の可能性、かつ差別・テロ扇動者を国立大学側が登壇させることにより、レイシズムに社会的な裏付けが与えられてしまう事態、すなわち被差別者に対する加害行為が回避されたのは、ひとまずは喜ばしいことです。
この講演会は外部の被差別者に対してもダメージを与える危険を持つものでありながら、企画側は外部の声には耳を傾けない理不尽な姿勢であったため、差別に反対する一橋大学内部の方々が抗議の声を上げておられ、その効果は大きいものがあったようです。そうした方々に深い敬意を表するとともに、今後ともアウティング事件などの教訓が無にされることがないよう願っています。

しかし、この中止の言い訳は一体何なのでしょうか
悪質な差別扇動者として知られる百田氏を(それも否定的な意図によらず)登壇させようともくろみ、おまけに氏がテロ予告発言などを行って批判が高まっても、運営側として何ら有効な対策を取ることもなく、それどころか神経を逆なでするような行動を取り、差別被害を憂慮する多くの声に真摯に答えるどころか開き直ったような態度を取った果てに、「本講演会がKODAIRA祭の理念に沿うものでなくなってしまった」から中止の発表とは、怒ったり悲しんだりという以前に意味が理解できません。
このような決定はテロ予告後の騒動の時点でもできたはずですし、この時点で下手を打てば批判が高まることも容易に予想できたはずです。その時点で「さすがにテロ予告は容認できないのでお断りする」と伝達すれば角も立ちにくく、テロ予告を事実上容認する状態ともならず、直前中止などより相当傷が浅くて済んだであろうことは疑う余地もありません。
また、たとえ登壇させるにしても、例えば「今までの差別やテロ予告をすべて公に謝罪し、今後一切同様の加害行為をしないことを確約、Twitter上及び壇上でこれを宣言することは最低限必要となる」「差別は許されないものであるから、これを宣言できないなら登壇させられない」と百田氏に通告して了承を得た上での登壇であれば、ここまでひどいことにはならなかったでしょう。
わざわざ車輪がさび付いた荷車を持ち出し、油をさすどころか接着剤を流し込み、運ぶ必要もないガラクタを大量に積み込み、それを引っ張ろうとしても抵抗ばかりが大きくなることなど最初から分かり切っています。散々注意されていながらそれを強行し、案の定到底引っ張れるものではなくなってしまい、注意の声を容れなかったことに対する自省もなしに、道の真ん中に荷車をポイ捨てして逃げた、というのがこの騒動でしょう。
むしろ、ここまで徹底して自ら抵抗を増やしておきながら、他の参加団体の企画が犠牲になるなどのしわ寄せが発生する理解も覚悟もなかったとすれば、そちらの方が驚愕に値します。なぜこれだけ露骨なことをしておいて、本件が降って湧いた災難でもあるかのような書き方となっているのでしょうか。

そして、この文章に「差別」の言葉が全く用いられていないことには失望を禁じ得ません。本件における問題の中心は「差別」であって、これに言及せずに本件を語るのは不可能です。
運営側が立場上、百田氏を差別主義者として非難することが難しいのは理解しますし、さすがにそこまでは求めませんが、例えば「差別に関する指摘を多くいただきました。これを差別について考えるきっかけにしていきます」といったような無難な書き方で触れることは可能であり、また最低限求められていることでしょう。
なお、反レイシズム情報センター(ARIC)が4月末、差別のない学園祭を求める提案を送付した際にも、運営側からは差別に一切言及しない回答が寄せられたとして、ARIC側が失望を表明していました。差別への意思表明を意図的に避けていなければ、ここまで奇妙なことにはなりません。
本件を差別の問題として認識できない、あるいは差別の問題として認識することをあえて避け続けるならば、たとえ本件が中止になろうと根本的な問題は全く解決されていないと言わざるを得ません。
ちなみにARICなどが求めていたのは「差別を許容しないこと」であって、厳密には「講演会の中止」ではありません。私もほぼ同意見です(といっても、百田氏が差別を手放すとは考えられませんので、中止するしかない状況となった可能性は高いですが)。要するに、講演会と差別を許容しないことを両立できるならすればよく、どちらかを放棄せねばならないなら講演会の方を中止すべきと述べているわけです。したがって、講演会中止の決定をしてまで差別と向き合うことを回避し続けている運営の態度は極めて残念です。

やはりというか例によってというか、百田氏は言論弾圧がどうたらと大はしゃぎしています。「差別はダメだから」ではなく「厳重な警備体制が大きくなりすぎたから」中止などと表明すれば、こうなることは分かり切っていました。
無論、差別扇動・テロ予告者が国立大学側の招きで堂々と登壇するならそちらの方が異常ですし、元NHK経営委員で権力とも近い関係でありながら気に入らないメディアをつぶすなどと発言している百田氏でもあるまいし、氏の差別を批判している側には何の権力もありませんから、批判側に言論を「弾圧」することは不可能ですが、デマ発信者にとっては事実など何の意味も持ちません。これもヘイトの材料の1つとして「消費」されてしまうことでしょう。
一体どこまで、外部に迷惑をかければ気が済むのでしょうか。差別という一方的かつ本来必要のない蹂躙行為に関する問題について、内部の件だとして外からの口出しを拒絶するのなら、外の社会にこういった害毒を一切まき散らさずにすべて内部で処理する責任感くらいは持つべきです。

そして困ったことに、この手の対応は日本社会において標準すぎるほどに標準的なものです。「差別」と批判を受けている状況で、運営が誠実に対応するどころか放置や燃料投下を行い、問題の中心であるはずの差別の論点に向き合うことを避け続け、散々延焼させた末、正面から差別に言及せずに中止表明を行い、レイシストが「言論弾圧」などとバカなことを言い張って被害者ぶるためのネタを提供する、といったようなパターンが何度繰り返されてきたことか、一向に学ばず進歩しない日本の現状に頭が痛くなります。

2017-05-27 の記事 - 2017-05-27
台湾 同性婚認めない民法の規定は憲法違反

日本がみんなで楽しく後退国をやっている中でも、世界は日に日に前へ進んでいっているようです。

私は未だ、同性婚を認めない合理的な理由を見たことがありません。
生物学的に子を残すのが婚姻の目的であるとするならば、子を持つつもりがないカップル、高齢のカップル、身体的事情で子が持てないカップルの結婚は一切認められてはならず、また病気や負傷、年齢などの事情で子を持つことが望めなくなった既婚者は即時離婚することが義務付けられていなければならないはずですが、そのような規定は存在していませんし、仮に存在するなら私は断固として廃止を主張するでしょう。
結局、これに反対する主要な理由は「異質なものに対する拒否感」であり、要するにホモフォビア、レイシズムです。他にこまごました理由を挙げる人もいるかもしれませんが、それらはおそらく大半の反対者の間で広く共有されたものではなく、この感情こそが大半の反対者によって共有された動機でしょう。
人間である以上、自分とは異なる属性に対する感情的な排除欲求、すなわち差別感情を覚えてしまうところまでは仕方がありません。しかし、それは理性と知性によって克服すべきもので、それを言動として表に出すならば差別的言動やヘイトスピーチとなりますし、ましてや政治的な主張の根拠にするなら大問題です。
ヘテロセクシャルであることも、ホモセクシャルであることも、いずれも偶然そちらに属しているだけのことでしかありません。そして、たまたまヘテロセクシャルに生まれた人は結婚制度を利用でき、たまたまホモセクシャルに生まれた人は制度の外に置かれるのですから、理不尽であると言わざるを得ません。

同性婚に賛成する立場と反対する立場には、絶対的な非対称性があります。すなわち、同性婚に賛成する人のほぼ全員が異性婚を完全に認めていて、異性婚に対して一切の否定を行わない一方で、反対する側は他人が同性婚を行うことを否定している、ということです。
これと同様の非対称性は夫婦別姓にも見られ、多くの別姓支持者は同姓にしたい人の権利を完全に守る意思を示している一方、別姓否定者は別姓にしたい人の権利を否定しています。自分が同姓にすることは全く否定も妨害もされていないのに、別姓を希望する他人を否定して妨害しようとするその根性を、私は全く理解することができませんし、また理解したくもありません。
この両方の問題において、根底にはLGBT差別や性差別があり、賛成側は非対称性の解消を求めていて、否定側は非対称性の維持を求めています。この絶対的な非対称性が存在する限りにおいて、私は否定側に「理」を認めることは一切できず、したがって同性婚・別姓婚はどちらも認められるのが妥当であるものと考えています。

2017-05-21 の記事 - 2017-05-21
一橋大学がよりにもよってあのテロ予告レイシストの百田氏を学園祭の講演会に登壇させる予定となっており、批判を受けている問題について。

KODAIRA祭 百田尚樹講演問題

一橋大学内部からの視点のようですが、まとめの部分がなかなか良くできています。

>今回の取材を通じ、気になる点があった。それは、本件について論じる際、往々にして百田氏の政治的立場と、レイシスト的言動が混同されているということだ。政策について左右いずれかの立場を取ることと、特定民族を誹謗中傷する行為は「言論の自由」という言葉で一括りにして語られるべきではない。後者については明確に否定されなければならないという前提を共有したうえで、慎重な議論を期待したい。

例えば「殺人」や「傷害」は思想ではありません。思想に基づく殺傷事件が発生することはありますが、それは動機が思想性を帯びているのであって、殺傷が思想なのではありません。
百田氏のようなレイシスト的言動、すなわちヘイトスピーチは魂に対する殺人や傷害であり、また物理的な殺傷をも扇動する加害行為です。したがって、ヘイトスピーチもまた思想とみなすことはできません。しかも、殺傷などの加害行為には正当防衛などやむを得ないもの、動機には一応考慮する余地があるものなどもありますが、やむを得ない差別なるものは原理上存在し得ません。差別は現代日本における娯楽であり、ヘイトスピーチは例えるなら快楽目的の通り魔殺人(商売レイシストの場合は金銭目的の通り魔殺人)に近いものです。
言うまでもなく、「快楽目的の通り魔殺人」は思想に関係なく確実に否定されるべきものです。「快楽殺人をしてもよいとする立場と許されないとする立場を同格に扱い、そのどちらにも肩入れしないことを中立と称する」「快楽殺人を思想の1つと認め、思想を問う場ではないという理由により批判を排除する」「思想に関しては話さないという条件付きだから問題ないと言い張り、快楽殺人鬼を登壇させる」、これらはいずれも快楽殺人に市民権とお墨付きを与える行為に他なりません。
現実に起きた例で考えるならば、「快楽殺人」の部分を「相模原の事件」や「(ナチスやルワンダなどの)ジェノサイド」に置き換えてみてもよいでしょう。それがいかに異常なことであるか、そして現実に生命の危険を引き起こしかねないものであるかが良く分かるはずです。
ヘイトスピーチという加害行為をさも思想であるかのように扱う時点で、差別主義者に対して100%の肩入れをしている状態であることを忘れてはいけません。

なお私は、川口氏の「外部からの反発に応じてイベントの中止や趣旨変更を行うべきではないでしょう」には全く賛同できません。
呼んだ以上は歓待の義務がある、外部からの反発でどうこうというのは、一橋大学内部の都合です。被差別者の立場からしてみれば、そんなものは知ったことではありません。一方、(実際に会場で直接的な差別的言動を行うか否かにかかわらず)レイシズムにお墨付きを与えることは被差別者の生命や身体の危険につながります。ある大学内の都合のために、どうして何の落ち度もない被差別者が危険を押し付けられなければならないのでしょうか
まして、百田氏はこの前にもテロ予告をしたばかりであり、そこには扇動された者らによる大量の賛同・同調コメントが寄せられるなど、氏は被攻撃者・被差別者に対する現実的な脅威となっています。批判的な立場から百田氏を呼ぶならまだしも、肯定的な立場から登壇を要請して歓待する以上、それは大学としてこうした差別・攻撃扇動行為を容認するというメッセージを社会に送ることを意味します。
「外部からの反発に応じるべきではない」は問題が内部で解決する場合には成り立ち得ますが、外部に被害を与える可能性がある場合には成り立ちません。公害など生産活動の副作用としての加害でさえ、外部の被害と向き合わないとすれば無責任も甚だしいですが、それどころか加害自体が主目的であり、かつ実行せずとも特に困るわけでもないヘイトスピーチの問題となればなおのこと。「ルワンダのラジオは放送局内部の問題であって、外部からの反発に応じて中止や趣旨変更などを行ってはならない」が成り立たないのと同じことです。
「差別には必ず被害者がいる」、このあまりに当たり前すぎてよく忘れられてしまう事実を、常に忘れてはならないのです。

2017-05-14 の記事 - 2017-05-14
日本人でよかった!? ポスターの“波紋”

神社本庁カルト連中による異様なポスターとして、人種差別に反対する者の間では以前から結構有名な代物でしたが、とうとうNHKにも取り上げられる始末。

>そして、高さんは次のように指摘しています。
>「ネット上に投稿された『日本人でよかった』という言葉が、とりわけ『外国人・他民族ではなく日本人でよかった』という含意をもって受け止められ、ナルシシスティックな気持ちの悪さや、日本人というメンバーシップを共有しない人々への無神経さを読み取った人々に批判されているのだと思う」


「含意をもって」というより、「そっくりそのままその通りの意味で」受け取られたと考えるのが正確です。

神社本庁・日本会議が人種差別を思想の根底の一つとしていることは知られており、それは森友学園の問題でも裏付けられました。彼らの言うところの「愛国」は「他国を貶める」ことと不可分であり、ポスターは他国への直接的な罵詈雑言こそ用いられてはいないものの、排他主義的な本質を全く隠せていなかったために当然批判された、というだけのことに過ぎません。
仮に彼らが「日本社会の一員として、国内の差別をなくそう」「日本は世界と交流し、相互理解を深めよう」といった、自国と同様に他国も尊重するまともな「愛国」の持ち主ならば、どこをどう間違ってもこのようなポスターが作られることはなかったでしょう。

>ポスターが作られたのは、6年前の東日本大震災の直後。
>当時、被災者が避難所で整然と並んで支援物資を受け取る姿が海外メディアから称賛されていました。
>神社本庁の担当者は「日本人は、譲り合いの精神や礼儀正しさを当たり前のことと考えていたが、海外からの称賛を受け、すばらしさに気付かされた。そうした社会状況を踏まえ、あのコピーを考えたと聞いている。当時は広く受け入れられたようだ」と話しました。


東日本大震災時には外国人が犯罪を働いているといったデマが流されたり、実際に排外主義者がヘイトクライムをやりかねない状態にまで至っていましたが、その程度のことも知らないのでしょうか。
また、その時には中国や韓国は日本に様々な支援を提供していますが、これに対して散々デマを流して侮辱したばかりか、挙句の果てには世界第5位の義援金を贈ってくれた韓国に対し、韓国から日本赤十字に直接送られた金額が20位以内に入っていないことを理由として大喜びで侮辱した(そもそも金額で評価するのは間違っているが、その金額すらデマによって捻じ曲げてヘイトの材料にする二重の救いようのなさ)のが日本の「愛国者」なのですが、これをどう考えているのでしょうか。
さらに熊本大震災では、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」だの「猟銃持っている家は自警団に加わるべき」だの、関東大震災にて効果が実証済みの虐殺扇動デマまで流され、実際に事件が多発しているなどのデマにつられて熊本に乗り込んで自警しようとする者まで現れたのですが、これについて何か言うことはないのでしょうか。
日本人への称賛とやらを無邪気に受け入れるのは結構ですが、ではこうした最低な行為を日本人の恥として受け入れる覚悟はあるのでしょうか。事の重大性から言っても、「被災者が称賛される行いをした」ことを「自分ら(日本人)はすごい」にすり替えなくても特に誰かが死ぬことはありませんが、人種差別や虐殺扇動デマは被差別者の生命や身体の危険に直結するもので、かつ自分自身が能動的に差別をしなくても日本社会としてそれを放置・容認すれば大事に至りますから、後者こそ深刻に評価しなければならないはずです。
結局のところ、この手の日本スゴイは称賛は日本人の手柄とし、醜態は見ないふりをするか、または外国人のせいにしているだけ(例えば被災地で犯罪があった場合に外国人犯罪と決めつけたり、安易にそうしたデマを信じたりするなど)です。

>担当者は「いろいろ誤解を招いているようだが」と前置きしたうえで、「昔は祝日に多くの家庭で国旗を掲揚していたが、今は少なくなっている。日本の伝統と文化を尊重する意味で、祝日に国旗を掲げることを啓発しようと作った」と説明しました。

別に誰も「誤解」などしておらず、そっくりそのままその通りの意味で認識された結果として批判が起きているだけですから、その辺は前置きの必要はないでしょう。

このポスターが訴えているのは「誇りを胸に日の丸を掲げよう」ですが、では神社本庁の連中は日の丸を掲げて「○○人をぶっ殺せ!」と怒鳴り、街中を練り歩いている連中に対して何か対抗行動を取ったのでしょうか。排外主義者がああいうことをするたび、日本社会において誇りを胸に日の丸を掲げることがどんどん難しくなっていくのは想像に難くないはずですが。
当然、やっているわけがないことは承知の上で言っています。神社本庁・日本会議と在特一派らは排外主義の点において価値観を共有する存在であることなど今さら言うまでもなく、せいぜい口先でこそ「あのようなやり方はよくない」くらいは言うかもしれませんが、本気で止めに入るわけがありません。
ちなみに差別に反対する人々は、日の丸を掲げて殺せ殺せと騒ぐ連中に対して「日の丸下ろせ」ときっちり叱りつけています。日の丸の誇りとやらを汚損しているのがまさに神社本庁・日本会議や自称愛国者であり、それに対抗する人々が日の丸の誇りを守っているというおなじみの図式です。

そしてついたオチがこれ。

>話題のポスター、今週になってさらに新たな事実が明らかになりました。
>起用された女性モデルが、日本人ではなく中国人なのではないかというのです。
>広告や報道向けに画像を提供するサイトに同一の写真があり、この写真に関連づけられたキーワードに「中国人」という表記があるのがネットで指摘されました。
>サイトの運営会社に取材すると、「モデル自身が国籍などを記した書類から中国人であることが確認できた」と話しました。


こうした事実が分かってみると、なかなか味わい深いポスターにも見えてきます。この華麗なまでの自爆芸により、これまでは排外主義ポスターであったものが、どこの国の人だろうと関係ないという、世界的な立場からのポスターに早変わり。
日本人スゴイ信奉とでもいうべき排外主義は本屋やメディアなどにあふれていますが(そして京都にもあふれていたのが今回の問題の発端でしたが)、それがいかに無意味でくだらないものか、このポスターを見て再確認してみるのもなかなか悪くないものでしょう。

2017-05-06 の記事 - 2017-05-06
NHK世論調査 憲法の改正 必要43% 必要なし34%

憲法変えるかの議論 “深まっていない”が3分の2

かなり危険な状況です。

現在の自民・日本会議一派にとって、もはや9条改正は悲願でもなんでもありません。憲法違反の法律を無理やり通し、それを国民が追認してしまった以上、必要があればまた憲法を無視すれば足りるのであり、せいぜい「別に変えなくてもいいが、変えた方が気分が良いので機会があれば変えたい」という、部屋のカーテンの色か何かを変えるのと同程度の存在でしかありません。
自民・日本会議一派にとっての本丸は、あくまで緊急事態条項に他なりません。共謀罪は最後から2歩目で、その後は最後の1歩である緊急事態条項をごり押ししてくるであろうことなど、少しでも物を知っている人なら誰でも予想していたことでしょうし、実際にそうなるでしょう。
緊急事態条項が通ればもはや終わりです。そして当然、これさえ通してしまえば後はどうにでもできると知っている自民・日本会議一派は、あらゆる詭弁や見せかけの譲歩を用いて緊急事態条項を通そうとしてくるでしょう。
そのために使い勝手が良いのが9条の存在です。9条の改正を最大の論点であるかのように位置づけ、国民の注目や反対派の批判の矛先を9条に向けさせておいて、これを改正しないか現状追認程度の改正にとどめると表明すれば、さも唯一最大の問題が解決されたかのような印象を与えることができ、かつ反対派は批判の手立てを失います。すでに無力化されていて主要な論点ではない9条の改正を譲歩の材料とすることで、たやすく本丸を落としてしまえるのです。
現行憲法に定められている基本的人権その他の規定、立憲主義などに関しても同様です。現在の自民案に見られる、立憲主義を無視したり、人権を制限したり、国民を縛るような規定などは、緊急事態条項を通す上で邪魔になると見たら緩和または削除してしまうこともあり得るでしょう。とにかく緊急事態条項さえ通してしまえば、基本的人権など後でいくらでも踏みにじることができます。その場合に縛りとなるものがあるとすれば、同条項内の「最大限に尊重されなければならない」という具体性も何もない有名無実的な文言だけです。

以上はいずれも、ここでかねてから述べてきたことの繰り返しでしかありませんが、今回のNHK世論調査は私の危惧を完全に裏づけるものとなっています。

>9条改正「必要」25% 「必要ない」57%

もし9条を守るべきと考えるのであれば、違憲の法律を通された後の選挙で与党側を敗北に追い込むしかありませんでした。国民はその最後の機会を与えられていながら、それをわざわざ自分の手で放棄した以上、もう自民・日本会議一派の目的は達せられており、「名(9条改正)を捨てて実(緊急事態条項)を取る」ためであれば、彼らは9条改正に対して無制限の譲歩が可能となっています。
無論、自民・日本会議一派に「名」も取らせないために9条を守ることは否定しませんが、それは「実」を守れて初めて意味を成すものです。まずは「実」を取らせないようにする必要があります。

>国民が憲法で国家権力の行使の在り方を定める「立憲主義」について、憲法解釈や憲法改正を議論するにあたって重視すべきかどうか聞きました。「重視すべきだ」が65%、「重視する必要はない」が7%、「どちらともいえない」が14%でした。

今の自民党案は立憲主義も何もあったものではない内容となっていますが、必要に応じて立憲主義を無視した改正案を破棄または緩和して譲歩の姿勢を見せることは、自民・日本会議一派にとっては許容できる範囲でしょう。
ただ、おそらく自民・日本会議一派が2番目に狙っているのがここで、9条よりもこちらの方が重要とみなしているはずですので、通せる見込みがあるようなら積極的に通そうとしてくる可能性はあります。「公共の福祉」が全く異なる概念である「公益」にすり替えられていたり、拷問の禁止から「絶対に」が消えていたりと、極めて露骨な内容となっているため、通れば終わりの緊急事態条項に比べればいくらかマシとしても害悪は極めて大きく、到底認められるものではありません。

>テロや大きな災害などが起きたときに、政府の権限を強める「緊急事態条項」については、憲法に加えるべきだという意見がある一方で、法律で十分対応できるので、憲法を変える必要はないという意見もあり、どちらの意見に近いか聞きました。
>「憲法に加えるべきだ」という意見に、「近い」と「どちらかといえば近い」を合わせると53%、「憲法を変える必要はない」という意見に「近い」と「どちらかといえば近い」を合わせると40%でした。


そしてこの通り、まさに危機的です。
要するに、9条や立憲主義の面で譲歩する姿勢さえ見せれば、もうこの瞬間にも緊急事態条項を含む憲法案を通せる可能性は高いわけです。しかも実際に改正の段となれば、テロや災害などの危機をさらに煽り立て、また教育など本来憲法とは無関係な規定を憲法に入れるなどのイメージ戦略も用いてくるはずですから、なおさら改正成立の危険は高くなります。

ここが終了に至る最後のステップです。踏みとどまることができるのか、それとも国民が「不断の努力」を忘れたらどうなるかを実践してみせることになるのか。後者の可能性が高いであろうと考える程度には、私はこの国について期待も信用もしていません。

2017-04-30 の記事 - 2017-04-30
アマゾン アカウント乗っ取り被害相次ぐ 勝手に出品

私は基本的に店頭で買えるものを通販で買うことはなく(割引クーポンなどで非常に割安になる場合などは例外)、輸入品や地域限定品を購入するのに利用しているため、今のところAmazonの出品物を購入したことはなく、利用した例のすべてがマーケットプレイスの出品者出荷商品です。

それで本件ですが、このところあり得ない値段の商品がそこかしこに出品されており、当然のごとく出品者フォーラムは大混乱、という状況になっていました。
これでは出品者の方々も大変だ、などと考えつつフォーラムを見ていましたが、そこで「シナ人」なる蔑称が用いられた書き込みを見てしまってげんなり。たとえ中国の詐欺グループがかかわっていたとしても、悪いのは詐欺師であって、中国人を侮蔑的に呼んでいい理由にはなりません。
実際、このフォーラムには返品詐欺にあったなどの切実な声がたびたび書き込まれていて、その詐欺犯の多くが日本人であることは疑いようもありません。しかし、日本人の詐欺師がいることを理由として日本人を蔑称で表記した書き込みなど見たことがありません。
詐欺師に対して憤るのは当然の感情ですし、商売に大きな打撃を受けた出品者、あるいは乗っ取りの被害者ともなればなおさらでしょう。しかし、この異常事態における怒りが詐欺師ではなく、特定の人種・民族などの属性に向いてしまったらどうなるか。これがレイシズムの恐ろしさです。

そして当然ながら、マーケットプレイスの出品者について評価や出品物、価格などの下調べを行い、詐欺やトラブルにあう可能性を十分に下げることはできますが、出品者がレイシストであるか否かなど調べようがありません。
運悪くヘイト出品者に発注してしまったとして、もし何らかの理由で自分がマイノリティなど「攻撃しても構わない属性の相手」と認識されたらどうなるか。あるいは、日本に暮らす中国人や韓国人の方、日本人でも海外にルーツを持つなどの理由から中国・韓国風の名前の方などが注文したらどうなるか。公開のフォーラムにおいてすら、中国人からの注文はキャンセルしているだの、Amazon日本法人の社長が中国系だから詐欺と結託しているだの(Amazon上層部への批判はあっていいが、人種を持ち出すのはおかしい)と発言されるほどですから、フォーラムにはとても書けないような差別的対応を受けたとしても不思議ではありません。
今回の詐欺の件に関しては、一部で「マーケットプレイスの商品には危険がある。Amazon販売の商品を選ぶべき」のような報道がなされている例があるようで、出品者から憤りの声が出ていましたが、別の意味ながら報道は正しいと言わざるを得ません。少なくとも私は、この詐欺問題によって利用を控えようとは考えない一方、フォーラム上のレイシズムは利用への警戒を呼び起こすのに十分なものでした。これでは特にマイノリティの方々などは、不安なく利用できなくなってしまうでしょう。他者の批判的な報道には敏感である割に、自分たちが負の広告塔になっていることには無自覚ないい例です。
しかし、歩いていたら透明の棒にあたった気分というか、なぜこんなところでまでヘイトを目にする羽目になるのか。頭が痛い限りです。

「国内の敵を潰す」という百田尚樹氏 つぶやきは「共謀罪」認定?

残念ながら、自民党一派に尻尾切りされるようなことをやらかした場合を除き、百田氏が何を放言しても共謀罪に問われることはないでしょう。

ところで、問題はここです。

>百田氏に発言の真意を問うと、こう答えた。

>「冗談半分に決まっているじゃないですか。言葉が過ぎたのは事実なので、その文言は削除しました。ただ、それだけ朝日の記事に腹が立ったということです」


まさに予想通りの返答です。
百田氏の望みは、マイノリティや「敵」を自らの手を汚して殺すことではありません。世の中の差別を扇動し、他人が「敵」への攻撃行動を取るように誘導するのが目的なのです。
これはつまり、ルワンダのラジオや関東大震災の流言、幸いにも大事にはなりませんでしたが熊本の虐殺扇動デマツイートなどと同じです。ラジオ放送や流言、虐殺扇動ツイートなどをいくら行ったところで、物理的に人を殺すことはできません。しかし、これらによって他人を扇動し、虐殺を起こさせることなら可能です。

もしヘイトスピーチの危険性を理解していない有名人が、つい冗談のつもりで過激な差別的発言をしてしまい、そこに「参加します」「自分も殺ります」などといった狂気じみた返信が寄せられたら、さすがにこれはまずいと気づくことでしょう。このような不用意な発言は冗談では済まされないものと悟り、その後は控えるようになるはずです。
しかし、百田氏はヘイトスピーチを長きにわたって何度も繰り返してきた人物です。たまたま冗談のつもりで言ったら大騒ぎになった、などというラインはとっくの昔に超えています。そして当然、ヘイトスピーチがどれほど重大で危険なものかはこれまで多数の人から散々指摘されているはずですが、意に介す様子もありません。百田氏はまず間違いなく、自分の差別扇動行為の効果を理解しています。
しかし同時に、自分が手を汚すつもりもありません。差別デモ参加者の中には自ら事件を起こして逮捕される者もいましたが、百田氏はおそらくそうはなりません。今回の件を「本気です。日本の敵を半殺しにして何が悪い」と答えるならまだ異常者ではあっても筋は通っていますが、「冗談半分に決まっている」なる返答の仕方からも、巧妙に逃げ道を残すように立ち回っていることが見て取れます。
もし百田氏の発言に扇動されて事件を起こす者が現れても、百田氏は間違いなく何食わぬ顔で犯人を切り捨てにかかるでしょう。それこそ「あんな発言は冗談半分に決まっている」と鼻で笑いながら。

差別扇動といえば、このほど今村氏がまたバカをやって辞任しましたが、それで「復興大臣が避難者に対する攻撃を解禁した」事実が消えることはありませんし、今村氏や内閣はそれを打ち消す努力をしてもいません。それどころか氏を擁護する論外な者までいる始末で、事の重大性が全く見えていないようです。
内閣のメンバーが事実上の対被災者版在特会となり、避難者に対する差別を扇動した余波は、人種や障碍などに対する差別ほど表立ったものとはならないにしても、今後とも社会に残り続けることでしょう。

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