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2018-11-16 の記事 - 2018-11-16
変わるWindowsのアプリ戦略 UWPからデスクトップアプリに原点回帰か

(問)あなたの会社は、PC向けOSで高いシェアを持っています。一方、スマートフォンなど携帯端末向けでは存在感を発揮できていません。この分野で存在感を発揮し、シェアを獲得するためにはどのような方法を取るべきでしょうか。
(答)PC向けOSのユーザーインターフェイス、及びアプリケーションの自由度をスマートフォン並みに劣化させる

こんなもの失敗して当たり前
スマートフォンの市場がほしいと考えるのは自由です。魅力的な製品を作るなり、開発環境を整えるなり、好きにしたらいい。しかし、なぜそんなもののために、もともとのPCユーザーがUIやアプリケーションの劣化を受け入れなければならないのか
結果、スマートフォン事業は成功せず、おまけにUWPやよく分からないUIに対して不満が噴出することになります。もともとスマートフォンではシェアが低いのに、PC向けアプリケーションをスマートフォン並みに劣化させてもPCユーザーや開発者がそんなものを使うわけもなく、誰が使うのか分からない状況になるのは必然です。
しかもStoreがまたとてつもなく不便。そもそも有用なソフトウェアが十分にそろっていないのもそうですが、仮にそろっていたとしても上手くはいかないでしょう。自由なPCに慣れたユーザーが、あんな刑務所の運動場のようなもので満足するわけがありません。あれはスマートフォンだからこそ機能しているのです。

デスクトップアプリケーションへの回帰は当然として、個人的にはスマートフォンに引きずられたゴミUIの一掃も希望したいところ。
もともとスマートフォンのUIは、画面領域や入力方法などが限られ、一方で多種多様な入力・出力デバイスへの対応はあまり考えなくてもよい中で効率よく操作するために作られているのであって、PCにそれを持ち込んだとしても最適なものとはなり得ません。
ユーザーの使用思想にも違いがあり、スマートフォンはデフォルト設定でパッパと動き、設定も容易かつ簡素で、難しい部分は隠蔽されている方が好まれるのでしょうが、PCではある程度細かく設定ができ、ユーザーが動作を十分コントロールできることが好まれます。
とにかくWindows 10のスマートフォン的な部分にはかなり足を引っ張られている感があり、これがすべてなくなるだけでも使い勝手はかなり向上するのではと考えています。OSのUIは当然として、Windows 10でUWP化された標準プログラムも全部元に戻してもらえると非常に助かります。
劣悪さの究極系としてはEdgeが良い例。Microsoftはまだ自社でブラウザを作る気なら、いい加減Edgeはゴミ箱行きにして、最低でもIE並みの機能とUIは備えたブラウザを開発すべきです。あれは到底PCで使うようなものではありません。

不適切投稿 青森市議当選の山崎氏「辞職も検討」

即刻辞職すべきです。
国政の自民党があまりにもヘイトまみれで、全員ヘイト内閣の異常ぶりもあり、感覚がマヒしてしまいそうなところですが、これは本来絶対に見逃せない問題です。
国会議員にせよ地方議員にせよ、議員とはいわば国や自治体のシステムを作ったり書き換えたりできる立場です。そのような人間が差別思想、つまり属性に基づいて人間の価値や尊厳を否定したり、ある属性は別の属性に劣るといった思想に基づいて活動したらどうなるか。当然、国家または自治体のシステムとして差別が行われることになります
ひとたびそのようなシステムを認めてしまえば、もう歯止めが利きません。たとえ最初は自分がシステムによって排除されなくて済んでいたとしても、システム的な排除を認めてしまっている以上、いずれは自分の番がやってきます。そうなってから文句を言っても遅いのです。
ヘイト国会議員も含めて、こういう輩には必ずお引き取りいただかなくてはなりません。

9条に専守防衛の理念を 立民山尾氏、改憲議論提唱

なぜこうもセンスがないのか。

この考え方自体は十分理解できますし、その方向性自体が悪いとは考えません。私もどちらかといえばこれに近い考えを持っていました。
が、しかし。それはあくまで現状追認の上でそれ以上を認めないという、憲法による制限を強化するための手段なのであって、違憲の安保法制が登場した時点で事実上意味のない考え方と化しているのです。
もしそれをやりたいのであれば、少なくとも違憲の土台の上に憲法改正を築くことはできませんから、違憲法制を完全廃止するのが先ですし、それまでは憲法を変える議論を提唱するなど(軍事とは一切関係ない部分で、国家権力を明らかに強く縛る方向に変えることを除いては)到底あり得ません。まして緊急事態条項など民主主義を完全に破滅させる案が出されている状況ではなおさらです。

なお、私はかねてから憲法は改正してよいと考えています。ただ、同時に自民党と日本会議を日本から消滅させるまでは改憲論を封印せねばならないと考えているだけ。この連中が日本に存在する限り、自らの改憲論を主張して我を通そうとするよりも、立憲主義を守る方を優先すべきであることくらいは分かります。
山尾氏もいい加減、その程度は理解しては。それすら理解する気がないのなら、「立憲」民主党はおやめになり、改憲大日本党でも立ち上げたらよろしい。立憲主義を尊重した上での積極的改憲派から徹底した護憲派まで、多様な市民が小異を捨て、自論をとりあえず凍結してでも手を取り合い、立憲野党を応援している意義を理解できないのなら、氏はいずれ必ずその足を引っ張ることになるでしょう。

2018-11-11 の記事 - 2018-11-11
安倍政権による移民政策。当然、私はその一切に反対です。
理由は簡単で、奴隷の取引は多様性の尊重と真っ向から対立する行為だから。多様性の尊重の観点から、日本で暮らしたい外国の人々が日本に来るのは大歓迎ですが、例えば白人が黒人奴隷を連れて来ることを多様性の尊重とは言いません。相手の人権や尊厳を認めないのは、多様性の否定でしかありません。
制度的な公正性が担保され、社会の差別を解消する方向に動くことがなければ、それは労働者の権利や社会の平穏などはもとより、何よりもまず多様性の観点から否定されなければなりません。

そもそもこの移民政策、はっきり言って悪魔との契約に他なりません。
安倍氏や現在の自民党の主要な支持層といえば、一つは財界と称する奴隷商人、もう一つは差別主義者です。これが自民党を走らせている車の両輪であり、しかも日本ではこの両者は非常に相性が良いのです。
財界としては自己責任論、生産性論は非常に都合がよく、そして差別主義者は障碍者やLGBT差別を正当化するために生産性論を用い、他人を攻撃するために自己責任論を多用します。財界からの搾取を受けている人間は、その不満を財界や政権にぶつけるよりも、より弱い被差別者をそのはけ口として利用するため、財界にとっては一石二鳥。しかも財界の人間にも差別主義者は少なくありません。また自民党はこの両者を混ぜて煮詰めたような存在であり、事実上この2つを分離することはできなくなっています。
強いて言えば、安倍氏はヘイト寄り、小泉進次郎氏は奴隷商人寄り、といった程度でしょうか。ただ、安倍氏は無賃残業合法化や奴隷取引などに注力し、小泉氏も自民党の異常な差別に対して戦うわけでも離反するわけでもないため、本質的な違いはありません。

この両方の集団に共通するのは、他人の人権や尊厳などゴミ以下としか考えていないという点です。
財界は平然と人間を使い捨てにしてきており、その結果が相次ぐ過労死や労働問題、不正、壊滅的な貧困などによって身動きが取れなくなりつつある今の日本です。外国人労働者よりも立場が強いはずの日本人ですら、彼らにとっては使い捨てのパーツでしかありません。
また、差別主義者は街角での「○○人をぶっ殺せ」、インターネット上でのジェノサイドの扇動などを日常の光景としてしまい、書店にまでおぞましい本が並ぶようになりました。人を人とみなしていれば、このようなことはできません。
差別主義者による、例えば「チョウセンヒトモドキ」というような蔑称、あるいは京都朝鮮学校襲撃事件の「約束というのはね、人間同士がするもんなんですよ。人間と朝鮮人では約束は成立しません」といった発言などは、差別主義者が実際に被差別者を人とみなしていないことを端的に物語っています。
ここへ移民と称する奴隷を連れてきたらどうなるか。彼らを虐待すればするほど、搾取がしたい財界は大喜びし、自民党を支持するでしょう。また、彼らを虐待すればするほど、差別がしたい差別主義者もまた大喜びし、自民党を支持するでしょう。もとより人を人とみなしていない連中のこと、ここに歯止めなど存在しません
当然、日本の悪評は国外に広がるでしょうし、連中の大好きな歴史戦とやらでも「今ですら奴隷取引をしているような国が、昔は身ぎれいだったなどと主張している」と鼻で笑われて大敗北をするだけです。日本に奴隷階層を作り出そうとする試みは社会のひずみを生み、後になって徐々に噴出してくるでしょう。財界と差別主義者のくだらない娯楽のために払わなければならない代償は、決して小さくはありません。

ところで最近気がかりなのは、排外主義者に対してはどんな形であれ移民制度は評判が悪く、しかし生命線の北朝鮮は融和に動いてしまい、頼みの中国にも「中国包囲網」なるトチ狂った大妄想を放棄して友好をアピールする状況に陥ったことから、安倍政権や自民党が韓国ヘイトへの回帰を強めている傾向がうかがえる点。
この状況が続けば、またしても愛国者の皆様が「なでしこアクション」や「The Facts」、慰安婦像足蹴並みの大活躍をやらかして、日本の評判と品位を地の底まで叩き落とすのではないかと危惧せざるを得ませんし、またも差別を扇動されるとあっては在日などのマイノリティにとって迷惑千万もいいところでしょう。

国民民主党、新キャッチフレーズ発表も足元揺るがす問題に直面

それはそうでしょう。
民主主義の回復、差別の否定のためならば、私は泥水でも腐れ水でも飲むつもりでいます。例えば立憲民主党については、演説で筋金入りのレイシストである小林よしのりを呼んでくるわ、肝心なところで相乗りするわでかなり腹が立っていますが、それでもこれくらいの泥水ならば(小)選挙区では飲んでも構いません。少なくとも小林氏を否定しない限り、衆院比例で入れるつもりはありませんが。
しかし、国民民主党となると別です。野党共闘候補ということで必死で応援し、多数の市民の尽力で何とか議席を獲得させてやったとして、その議席を使って裏切られてはたまったものではないからです。

現状、野党が分散すればヘイト政権・政党に漁夫の利を与え、レイシズムと民主主義否定の嵐が吹き荒れることになります。したがって争っている状況は好ましくありませんが、これを利用して国民民主党が共闘の中で良いポジションを占めようと画策し、共産党以下の支持率でありながら共産党にハラスメントを仕掛け、立憲野党・市民に対して譲歩を迫り、おまけにその議席を丸ごと政権アシストのために使ったらどうなるか。
与党や維新といった明確なヘイト勢力と違い、正面から戦うこともできない。かといって、味方にすれば重要な部分をごっそり奪った上で裏切りかねない。そもそも小池ヘイト党に魂を売り渡そうとした連中の成れの果てなのですから、ヘイト側について差別を推進し始めても全く不思議ではない。好き勝手に新しい判断、もとい新しい答えを出されては困るのであり、一言で言えば「邪魔」なのです。
民主主義を取り戻したい、差別を解消したいと願って投じた1票が、民主主義を破壊し被差別者を踏みにじるための武器として使われるとしたら、これほどバカげたことはありません。
しかもこの状況下で、自民党との会合なんぞの騒ぎまで起こす。会合をやると言い出して立憲市民・野党を激怒させ、寸前で幹部の出席を取りやめて自民党まで怒らせる。ある意味で人を怒らせる才能があるというかなんというか。わざわざ両方を怒らせるなど安倍外交でもあるまいに、そもそも何がしたいのかさっぱり分かりません。本来なら自民党にでも引き取ってもらえれば一番ですが、杉田氏のような驚愕モノのレイシストを引き入れ、壮絶なヘイト内閣まで組閣した自民党からすれば、差別をやる気があるのかないのかも分からない連中などいらないでしょう。つまり、どの立場からも鼻つまみ者。
この調子できっと立憲市民をもカンカンに怒らせるような暴挙に出るのは見えています。

2018-11-02 の記事 - 2018-11-02
なぜ起きた?弁護士への大量懲戒請求

これ。前半はそれなりによくできていると言っていいでしょう。

どこからどう見ても異常なことばかり主張しており、弁護士らは外患誘致で死刑に相当するとまで言う狂気のヘイトブログ。それを信じ込み、書いてある通りに懲戒請求をかける人々。ところが、反撃を受けたことで反省している者はいるものの、どいつもこいつも差別を反省している様子は全くない。そして当の余命は「個人の判断でやってるんでしょ」「責任を感じるわけない」と日本しぐさ。
懲戒請求をした者にせよ、あおった者にせよ、どちらも異常者としか言いようがない連中であり、これをありのまま報道すればそのまま強力な問題提起となります。どうして安倍政権に対してそれをしないのかは知りませんが
そういう意味で、これがマスメディアの報道、それもバラエティではなくドキュメンタリーで流れた意義は大きいといえるでしょう。

ただし、問題は後半です。なぜここからこのような結論に持っていくのかが理解できません。
まずはまたしてもエコーチェンバー論を唱える辻大介氏。「両極側」とのことですが、本件は民族浄化を扇動するような狂気のヘイトブログを信じ込んだ差別主義者が、懲戒請求とはいかなるものであるかをまるで調べもせず、自らの差別意識を満たすために懲戒請求を行った、というものであり、この話に「両」極など出る幕はありません。どうしてここで「両」極、すなわちこんな狂気の行いをするような者の「対」となる存在が必要なのでしょうか。
この分では、いわゆる両極のみならず、穏健派なるものも極の一つであり、それもまたエコーチェンバーによって自説を強化する存在であるという事実には、未だにたどり着けていない模様。本件の場合、余命ブログは例えば民族浄化を扇動していて、反差別側は当然民族浄化など否定していますが、ここでどちらの極にも属さないようにすると、「余命ブログも問題だけど、民族浄化を否定するのもおかしいんじゃないの?」という主張にならざるを得ず、これは非常に極端な主張です。そして事実、「自称中立」「冷笑系」といった連中は日本のインターネットの一大勢力となっています。
社会の分断も何も、社会の分断を目的とした思想が差別思想なわけで、本件については単に「差別はダメだ」「民族浄化は否定されるべき」で済む話でしかないのです。

なお、動画サイトなどに関しては私も問題であると考えます。
といっても、好みに応じた動画を出してくるシステム自体が問題であるとは考えません。私はYouTubeでは中国語の動画を用いて勉強をすることが多く、したがって同様の動画ばかりをおすすめしてくるのは非常に助かります。一方、日本語の動画は見ませんし、どうしても見る時には別のブラウザを使って汚染を避けるようにしています。
が、しかし。最近は大量通報のおかげでかなり快適になりましたが、少し前までは「DHCシアター」やら文字ヘイトやらのヘイト動画を次々におすすめしてきていたというのが偽らざる事実です。中国語の動画を積極的に見て、ヘイト動画どころか日本語の動画すら一切見ない者に対し、(おそらく日本のサーバーからの接続というだけの理由で)ヘイト動画を次々にすすめてくるのはどう考えても興味として正反対ですし、エコーチェンバーも何もあったものではありません。
ちなみにTwitterでは、やはり最近は少しマシになったようですが、以前まではトップページにレイシストのヘイトツイートがバンバン載っていました。サイトの顔にこんなものを載せれば、その影響力は極めて甚大なものとなるのは言うまでもありませんし、ここからたどっていけば自然にヘイトアカウントやヘイトツイートばかりを目にすることになります。
結局、エコーチェンバーというよりは、単に差別に引きずり込まれやすい状況が確立されてしまっていたわけです。こうして差別に引きずり込まれた人々の末路はといえば、懲戒請求への反撃を受けての大狂乱、家族が離れていくといった悲劇的なもの。特に年配者が染まった場合、正常な人格に戻れる可能性は低くなります。しかも、これらは本人にとってはまだしも自業自得ですが、差別される方にしてみればたまったものではありません。

私はこの状況をかねてから憂慮していますし、これを解消するためには実は(ここで言うところの)エコーチェンバー論を打破する必要があると考えています。すなわち、「差別も反差別も極端である」ではなく、「差別はダメ」といった普遍的な公正性を尊重し、とにもかくにも被差別者がぶん殴られている状況を止める立場にまず立たなくてはなりません。
その上で、外国に親和的な者に対してヘイト動画をすすめるようなお粗末なものとは逆、つまりヘイト動画をよく見る者に対して差別を否定したりデマを暴く動画をすすめることで、差別に染まる事態を減らすべきであると考えます。無論、「差別はダメ」なのですから、反差別動画を見る人にヘイト動画をすすめる必要はありません。
Twitterでは自殺対策などとして、自殺予告らしきツイートに対しては相談窓口の紹介などがなされているそうですが、差別とはそれどころか他人への加害行為ですから、少なくともそれ以上の対策がなされるのが当然です。
これはサービス提供者の社会的責任と言ってもいいでしょう。

西田亮介氏の「多様」に至ってはますます頭が痛いと言わざるを得ません。

>公共性を共有することも難しくなる。ある人が公共だと思うものが、他の人にはそうではなく見える。人の思考や考え方が極限まで多様になっていくと、他人に対して想像力を向けることが難しくなっていく。

「多様」だからこういうことになるのではなく、多様性を否定する連中が起こしたのがこの騒動でしょうが。どうしてこの大前提が抜け落ちているのか。
民族浄化を扇動したり、差別的取り扱いの解消を求める弁護士を外患誘致で処刑しろなどというのは、それこそ多様性の否定の究極形です。自分とは異なるある属性の集団、またはその集団への差別を否定する者について、最悪の物理的な人権侵害行為を用いて対処しろと言っているのですから。そして、この問題はそんなブログを信じる連中によって起こされているのです。
多様性を尊重するとはすなわち、多様性を毀損するような言動を否定することです。これは「多様性」や「寛容主義」を考える上での大原則。したがって、この手の連中の差別的言動を否定することが多様性に沿う行動に他なりません。

ある人が公共だと思うものが、他の人にはそうではなく見える」の言い分はある意味で象徴的です。確かに、その点で意見が分かれることはあるでしょうが、何をどう間違っても民族浄化の扇動なんぞが公共であるわけがない。朝鮮学校の差別的取り扱いに反対する弁護士について、外患誘致で死刑にしろなどというのも同様。
「差別はダメ」という極めて普遍的な公正性を尊重し、多様性を尊重すれば、このような珍妙な疑問が生まれる余地はそもそもないのです。

2018-10-27 の記事 - 2018-10-27
安田さん無事解放、おめでとうございます。

ところで、私は基本的に差別と自己責任論に反対していますが、いかなる場合でも反対しているのではありません。現実にそれを行うべきかはともかく、理論としては「差別をしたり、自己責任論を唱える者は、自らが差別されない権利、救助を受けられる権利を自由意志で放棄しているのだから、彼らだけは差別したり、助けなくともよい」と考えています。
すなわち、

・差別・自己責任論者でない人は、他の差別・自己責任論者でない人を攻撃してはならない。
・差別・自己責任論者でない人は、差別・自己責任論者を攻撃してよい。差別・自己責任論者は自由意志で自らの権利を放棄したのだから、その意思を尊重すべきである。
・差別・自己責任論者は、他の差別・自己責任論者を攻撃してよい。
・差別・自己責任論者は、差別・自己責任論者でない人を攻撃してはならない。差別・自己責任論者でない人は差別されない権利、救助される権利を持っており、それを侵害することは許されない。

こうすれば誰にとっても丸く収まるものと考えますが、いかがでしょうか。
自己責任の哲学を持つのは当然ながら自由なので、自分たちにはそれを適用すればいい。ただし、それを自己責任論を否定する他人にまで適用する権利はない。同時に、自己責任論を否定する人々もまた自己責任論者にそれを押し付ける必要はなく、彼らの自由意志による選択を尊重し、彼らに対してのみ自己責任論を適用すればよいのです。

大量懲戒請求:在日弁護士への不法行為認定 男に賠償命令

末尾に0がもう1つ付いてもいい気がしますが、とりあえずは良いことです。
このまま不当懲戒請求を受けた他の多数の弁護士からも順番に訴えられ、徹底的に痛い目に合えばよろしいのではないでしょうか。
「差別はダメ」という児童でも理解できるようなことを理解できず、ジェノサイドを扇動するブログにハマり込んで本当に攻撃を始める人間など、要するに児童以下の倫理観や理解力しか持たないわけですから、理を尽くして説得したところで無駄骨です。また、そのような手間を割いてやる義理もありません。
理解力が十分育っていない子どもなら成長を待てばよいですが、こちらは信じられないことに大人がやっていますから成長は望めませんし、おまけに本当に懲戒請求をしたり、下手をすると人を殺せるだけの力があります。悪いことをしたら痛い目に合うときっちり知らしめるのが世のため人のためです。

ただ一つ残念なのは、これが欠席裁判となってしまったこと。懲戒請求がいかに正しいもので、在日がどのように日本を支配していて、ジェノサイドで在日と反日の勢力を駆逐しなければ日本を取り戻せないといったことを法廷で熱弁していただければ、もっと素晴らしい判決が見られたかもしれません

大量懲戒請求:賛同した女性「洗脳状態だった」

「おぞましい」の一言しかありません。
差別を行っておいてこの態度。それも、真に自らの差別を認めて謝罪するならそれが一番として、差別をやめるつもりがなくとも「おイタをやらかした後のマスコミ取材だから、とりあえず差別をしたことを謝っておこう」として打算や取り繕いくらいはするものですが、それすら必要と考えていないらしい、相当重度の差別主義者です。
この手の人間は責任逃れのために判で押したように同じことを言いますが、「洗脳」などとはちゃんちゃらおかしい。もし余命から監禁でもされたり、子ども時代に嘘ばかりしつけられ、思想を刷り込まれたとでもいうなら、洗脳されたと表現しても間違いではないでしょう。しかし実際には、何から何まで支離滅裂でジェノサイドまで扇動している、最低限の知性と感覚を持ち合わせていれば一目でまずいと分かるようなものを、いい年をした大人が自らの意思で受容し、自らの意思で行動したわけです。
こんなものが洗脳だというのなら、それこそ「私はジェノサイドを扇動する支離滅裂な差別ブログを信じ、書いてあることを忠実に実行する危険人物です。便所の落書きレベルのものでも見れば洗脳され、他人に対する攻撃行動を取ります」と宣言しているようなもの。徹底的な慰謝料請求と社会的制裁によってこの手の連中が二度と日向を歩けないようにしなければ、被差別者は安心して表を歩くこともできませんから、このような言い逃れは徹底的に責任を取らせる必要性を強化するものにしかなりません。
私自身は差別に反対ですので、連中からすれば反日日本人ではあるのでしょうが、マイノリティではありません。しかし、こんな異常者が近所をうろついているかもしれないと考えると恐ろしいことこの上ありません(実際、不当懲戒請求では日本人弁護士も攻撃対象となっている)。まして被差別当事者にとって、これはどれほどの恐怖でしょうか。我が子や家族がこの異常者と同じ空気を吸っているかもしれないのはどれほどの脅威でしょうか。

手段が悪かったなどと取材の場ですら平然と言ってみせるのもまた、狂気じみています。
「いじめをしたことは間違っていない。しかし今回、強烈な反撃を受けて青ざめた。手段が悪かった」などと平然と口にするいじめ加害者を想像すれば分かりますが、問題の根本を理解する気が最初からないばかりか、これでは「今度は弱い相手を狙おう」「法的に反撃されない方法を使おう」といった結論しか導き出されません。
結局、この人物は何一つ変わっていません。せいぜい殴りつければ殴り返されて痛い目に合う場合もあると学んだ、というか「しつけられた」だけ。自分がやったことがどうして重大な結果を招いたのか、そもそも本件の根本に正当性はあったのか、などと考え、その疑問を調べてみるようなことは決してしない。これほどまでに必要に迫られてさえ絶対に学ぼうとはせず、そのくせ荒唐無稽な差別デマは貪欲に吸収して次々と他人に殴り掛かる。有害無益とはまさにこのことです。
この連中に効く唯一の薬は、殴ってきたらきっちり反撃し、責任を取らせること。それも、可能ならば立場の弱い被差別当事者ではなく、同格のマジョリティが対応するのがベストです。法的に対処できる立場の人なら容赦なく法的に対処し、路上に出てきたら罵声を浴びせかけて「路上で好き放題に差別をして楽しむはずだったのに、実際には徹底的に罵倒されるだけだった。もう嫌だ」と引っ込ませる。差別主義者は確実に反撃を受け、その責任を取らされる状況を作っていくしかありません。

2018-10-20 の記事 - 2018-10-20
パラ選手のポスターに「配慮欠く」と批判 都が撤去

これはいくらなんでも。なぜこのようなものが通ってしまったのか、理解に苦しみます。

もともとこの言葉は、文脈まで踏まえれば特段問題のあるものではないようですが、それを何の留保もなく掲示するような使い方をした以上、障碍者に対する加害の言葉と化していることは確かです。そういう意味でも掲示すべきものではなく、撤去の決定は妥当です。
しかしながら、真に恐ろしいのはこの言葉が直接障碍者を傷つけることではありません。こうした言葉が平然と掲示されることにより、この言葉の意識がマジョリティの間に浸透してしまうことです。

この言葉、一言で言い表すなら、「極めて名誉マジョリティ的」とでも形容できるでしょうか。
LGBTにせよ障碍者にせよ女性にせよ、被差別属性を持つ者が自ら差別の存在を否定してみせ、ポジティブな言葉で上書きすることは、マジョリティにとって非常に人気のあるコンテンツです。話題になる自民党女性議員は大体がこのパターンですし、先のLGBT差別でもその手の人物が出てきていました。これをすることで自らは名誉マジョリティのポストを得られ、マジョリティから高く評価されるというわけです。
しかし当然のことながら、名誉マジョリティが自分は差別されていないと主張していても、その属性を持つ他者も差別されていないことにはなりません。被差別属性であっても、実際に差別されるか否かは生まれや社会的立場、運などによって大きく変動します。そして、差別というものが他人を劣ったかのようにみなす行為である以上、劣っていると特段みなされていない幸運な例よりも、より劣ったかのようにみなされている例こそを見て、それを是正しなければなりません。

この言葉の元発言に関して言えば、おそらく名誉マジョリティ的なものではありません。パラリンピックでは障碍を言い訳にできないという意味でなされた発言であると指摘されており、そうであればアスリートの言葉としてごく自然なものです。
しかし、このような安易な掲示の仕方では、まず間違いなく名誉マジョリティ的な発言としての機能を持つことになります。これが意識的に行われたものか、無意識になされたものかは分かりませんが、結果的にはマジョリティ側によって「作られた」名誉マジョリティ発言となってしまったといえるでしょう。
この言葉をこのような方法で用いようと考えた者にしても、あるいは先日問題になった退去バラエティ番組にしても、さらにはヘイト本出版社にしてもそうですが、現状のこの国のマイノリティにとって、レイシズムに染まったマジョリティの存在は生存権にかかわるほどの脅威であるという観点が完全に抜け落ちていると言わざるを得ません。

相模原事件はおそらく戦後日本史上最悪のヘイトクライムであり、障碍者であることを理由とした殺戮行為です。本来、このような異常行為は到底許されるものではありませんが、肯定する者が少なからず現れているのが今の日本です。おまけに、肯定する連中は誰か具体的な特定個人について「そいつが憎い」とみなしているのではなく、障碍者という属性に対する殺戮を肯定しているのです。相手に恨みがあるわけでもなんでもなく、顔を見たこともないような相手の殺戮を肯定しているわけです。極めて恐ろしい状況であると言わなければなりません。
あるいはLGBT差別。与党議員の杉田氏が大手出版社と一緒になってLGBTをいきなり攻撃しにかかった件は記憶に新しいところですが、小川氏に至ってはLGBTについて詳細を知らなければ、知るつもりもないことを文章中で公言しています。最初から知るつもりもないような属性について、大手出版社までが手を貸してわざわざぶん殴りに行くのですから、まともに考えれば正気の沙汰ではありません。
マイノリティは何もしていなくても、特に恨みを買うようなことがなくても、与党議員や大手出版社などを含む身勝手な差別主義者からいきなりぶん殴られたり、最悪殺されてもおかしくない状況に置かれているのです。
この両者に共通するキーワードは「生産性」ですが、この上さらに「障がいは言い訳にできない」などという価値観が社会に蔓延したらどうなるか。「生産性」による差別思想をより強化する結果となるであろうことは目に見えています。

しかも、マイノリティは理不尽にぶん殴られても反撃することは困難です。少しでも抵抗の動きを見せた途端、「黙って殴られるのに耐える涙ぐましいマイノリティ像」を求め、そうである限りはお目こぼしをしてやろうと考えているマジョリティ様が、大挙して攻撃してくるためです。こういった連中にとっては、名誉マジョリティこそがまともに扱うに値する唯一のマイノリティであって、それがマイノリティが自らの身を守り、成功するための手段となっています。
一方、複合差別に抵抗した辛氏、性犯罪を告発した伊藤氏などは、苛烈な攻撃を受けて海外に「亡命」することになりました。被差別側が名誉マジョリティや泣き寝入りを選ばないのは、これほどに困難なのです。

それにしても、これがよりによってパラリンピックを盛り上げるイベントのためのポスターとして作られるとは、なんとも残念な話です。パラリンピックの意義を理解できているのでしょうか。

2018-10-14 の記事 - 2018-10-14
柴山文科相、教育勅語「アレンジし道徳に使える分野も」

ヘイトデモ参加者名簿と見間違うような内閣だけあって、早速これです。

どれほどひどい料理であっても、材料が腐っていたり一般に食されない代物であったりしない限り、普遍的な材料が用いられています。それこそ「教育勅語」のような異臭を放つ大失敗ゲテモノ料理であっても、素材自体は例えば塩や野菜、魚といった普遍的なものが用いられています。
しかし当然のことながら、異臭を放つ異常な料理を子どもたちに食べさせようとしたり、ましてや「これを食べられないということは、塩や野菜、魚を否定するのか?」と意味不明なことを言い立てるのは完全に間違っています。
素材が普遍的であるならば、異常な料理から多少はマシに見える部分を取り出して食べさせようとする必要はありません。同じ素材を使ってまともに食べられる料理を作れば済むことです。
それを、なぜこの手の人々は何が何でも教育勅語にこだわるのか。それが教育勅語でなくてはならないからです。彼らは子どもたちに野菜や魚を食べさせたいのではありません。何が何でも、見た目や異臭をごまかしてでも、ゲテモノ料理を食べさせたいのです。
当然、こんなものには断じて賛同などしようがなく、全否定されなければなりません。

ところでこの教育勅語、普遍的でまともなことも書いてあると主張する人はいるものの、私としては「普遍的でない」人に対して全く普遍性を持たない点が気になっています。もっと踏み込んで言えば、こんなものは教育で押し付けるような内容ではなく、むしろ普遍的から外れた人々の権利を守ろうとする内容こそ今の道徳教育に必要ではないかと考えます。

以下、「教育勅語は普遍性を持つ」と柴山文科相が言ったので、現代語訳を読んでみましたの戦前の文部省図書局による口語訳より。

・父母に孝をつくし
「父母」がいない者がいるのもさることながら、親から嫌がらせ・暴力行為・性的行為・ネグレクトなどの虐待を受けた者にとって、「孝をつくせ」は呪いの言葉です。それを言う方には悪意がなく、それ自体は世間的には正しいとみなされており、言われた方は真正面から反論することが難しく、それでいて魂を深々とえぐる、まさに言葉の凶器に他なりません。
こんなものは国や学校が押し付けるようなことではありません。それよりもむしろ、虐待の概念や知識を道徳などの授業でしっかり教育し、相談窓口などの情報を十分に提供し、虐待を受けた本人、または虐待らしき事例を見かけた周囲が動ける環境を整えて、父母や保護者による虐待から身を守れるようにする方が重要でしょう。

・兄弟姉妹仲よくし
これも同様。事情は様々ですから、仲よくしろと押し付けられるようなものではありません。肉親だろうが誰だろうが、他人を踏みにじったりするような輩を嫌うのは当然。

・夫婦互に睦び合い
これもまた呪いの言葉。睦び合いたくてそうするのは個人の自由ですが、配偶者が家庭内暴力(精神的・物理的を問わず)を行うような場合、そのような者と睦び合う必要など何一つないのです。
実際に学校で教育すべきは、家庭内暴力の知識でしょう。精神的な支配なども家庭内暴力となり得ること、ハネムーン期というものがあってなかなか逃げられない心理状態になること、しかし即刻逃げて身を守るべきであることなどを教育し、身を守る知識を提供すべきなのです。
ちなみに、破滅的な夫婦関係なのに、子に対しては親が無理に配偶者を立てようとするケースも珍しくないようで、当然子どもはそれを完全に見抜いていて、逆に白けていたという話をしばしば耳にします。とはいえ、こんなものが正常な状況と勘違いされれば世代連鎖の可能性があるわけで、白けた方がまだマシなのですが。「睦び合」うべしという呪いの成れの果てです。

このように、「普遍的」な呪いの言葉で人をがんじがらめにするのではなく、「普遍的でない」人が命や権利を守れるような教育こそ、本来目指すべきものでしょう。これは教育の理念、すなわちあらゆる人に一定の知識を提供するという点からしても妥当なものです。
他にも、教育勅語のほとんどは「部分的には正しいと強弁できなくはないものの、国がそれを言い出してはどうしようもない」「反面教師としては役に立つ」「むしろ国がそれを守れ」と言わざるを得ない事柄で構成されています。

・朋友互に信義を以て交り
友人関係も人によって様々なのでは。どうして友人とのあり方までああしろこうしろと言われる必要があるのか

・ヘりくだって気随気侭の振舞をせず
麻生氏にでも言っては?
それと、インターネットやら書店やらテレビ欄やらには「日本スゴイ」「中韓はダメ」が並んでいるようなのですが、これはどうしましょうか。
これらを事例として挙げた上で「こういう最低な行為は人間として恥です」と教育するなら大いに結構。また、こうした行為は「愛国心」を御旗として行われますから、当然「愛国心」とやらを疑う教育もセットにする必要があります。

・人々に対して慈愛を及ぼすようにし
福祉・被災地切り捨て真っ最中の政府に言っては?
自己責任バッシングや「生産性」論を一切否定する教育を行うなら、あってもいいでしょう(ただし、これは本来「慈愛」とは別の次元で否定されるべきものなので、あくまでとっかかりとして)。
逆に、人々の慈愛や助け合いによって国の責任をあいまいにするようなことがあってはなりません。例えば被災地ボランティアは慈愛に含まれるでしょうが、災害対策や復興は本来国の責任であって、ボランティアはその隙間を埋めるものでしかありません。

・学問を修め業務を習って知識才能を養い
これは国に言われるようなことではありません
学問を収め、知識才能を養うのは、言うまでもなく非常に素晴らしいことです。しかし、それはあくまで本人が自分のためにやるものであって、国のためではありません。せいぜい「国に還元されたらラッキー」程度。国が教育環境を整備すべきなのは、学問・教育は人の権利であるからです。
国がウダウダと言い出し、学問や知識は国のためということを隠さなくなると、人間としての見識を広げ、時として発見ももたらす「無駄な知識」は第一に切り捨てられ、果ては「法学部では憲法や刑法ではなく、大型二種免許を取得しましょう」「工学部では機械力学ではなく、トヨタの機械の使い方を覚えましょう」などと頭のおかしい案を大真面目に言い出すことになるのです。

・善良有為の人物となり
同上。善良とか有為とか、なぜいちいち国に決められねばならないのか。それに、国からすれば邪悪の極みでも、市民にとって善良有為な人もいるでしょう。
例えば多くの沖縄県民に評価された翁長氏は、安倍政権にとっていかなる人物でしょうか。与党議員・杉田氏にとって「生産性のない」LGBT、そしてLGBT差別に抵抗する人々はどう見えるでしょうか。

・進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし
教えるべきは「公共の利益」よりも「公共の福祉」です。

・常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し
法令にせよ典範にせよ規則にせよ、それらは公正性を保つ上で必要だから守られるべきなのであって、そうでない場合にもとにかく守れと言い立てるのは正しくありません。
例えば、ローザ・パークス、杉原千畝、ナチスへのレジスタンスなどは、いずれも規則を尊重しなかったから評価を受けている人々です。
政府がお友達に多額の国有財産を提供する汚職をしたならば、それを知った人は規則としてそれを公開してはいけないことになっていても、公正性のために世に出すのが正しい行動です。その記録の改ざんを命じられたならば、本来従わなくてはならないとしても、それを拒否するのが正しい行動です。
児童・生徒にとってもっと身近な例で言うなら、人権を侵害するブラック校則は守らないことこそが公正性に資する行為です。
不公正な規則であっても、とりあえず遵守しておいた方が楽ではあります。しかし、その規則によって蹂躙されるのに耐えるだけの余力が残っていない人もいます。そうした人を理不尽な規則から守るためにも、公正性に反する規則に対しては、余力がある人や直撃は受けない人が率先して抵抗しなければなりません。
なお、「憲法」の「尊重遵守」に限ってはしっかり教育してよいと考えています。憲法を守るのは権力であって、それを守らないような権力は即刻退場させなければならない、ときっちり教えるべきでしょう。

・万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧けて皇室国家の為につくせ
論外
特攻犠牲者や戦没者に関して、よく「亡くなられた方々のおかげで今の日本の発展がある」などと言われたりしますが、つまり第二次世界大戦で仮に日本人全員が一身をささげて一人残らず玉砕していたら、日本には相当に分厚い礎が築かれていたことでしょう。そうなれば、きっと日本は米国や中国など到底相手にならないほどの大発展を遂げ、世界一の国となったに違いありません。全員死んでいるのに誰が発展させるのかは知りませんが
なお私は、教育勅語のこのフレーズを道徳教育で取り上げることには反対ではありません。「こんなふざけた幼稚なスローガンのもと、若者は命を投げさせられた」と教育する上で、これほど有効なものはないからです。ついでに、特攻などを命じて若者を散々死なせた連中がしばしば生き延びて天寿を全うしたり、国のために身をささげた人ではなく逃げ延びた人こそが戦後の発展に関与できた事実もしっかり伝えるべきです。

天皇がどうたら、先祖がどうたらといった妄想文の部分はバカバカしいだけなので、武士の情けで取り上げないでおきます。なんであんな恥ずかしい文章と「ヘりくだって気随気侭の振舞をせず」が同居できるのか。さすがはヘイト政権お気に入りの文だけはあって、そこら辺のヘイト本に書かれていそうな内容です。
このように、教育勅語の逆を行き、人権の大切さや身を守る方法を教えるきっかけとして用いるのであれば、確かに教育勅語は案外良い教材になり得ます。当然、柴山氏やヘイト内閣の面々が見れば即座に脳の血管が切れるような教材ができあがるでしょう。

2018-10-06 の記事 - 2018-10-06
勝利は容易ではないとされていた沖縄知事選でしたが、ふたを開けてみれば玉城デニー氏の圧勝に終わりました。
この選挙に対し、与党は「総力戦」を展開していました。今の自民党や政権における「総力戦」とはすなわち、自民・公明・維新・創価・幸福カルトが勢揃いし、国会議員から各勢力の「飼い犬」までがデマとヘイトの限りを尽くし、自らの力の優位性を用いて締め上げ、選挙の自由や秘密選挙を損なうような手段を用い、ありとあらゆる外道で卑怯で非民主的な手を駆使して勝ちに行くことです。
玉城氏が勝ったのはもちろん、このような卑劣な手段を使った側がきっちり敗北したのは非常に素晴らしいことで、喜ばしいというよりはほっとしています。

ただし、問題はこれからです。玉城氏が圧倒的な勝利を収めたまではいいものの、このままでは氏が十分な成果を上げることは難しいでしょう。そして、氏がなかなか成果を上げられないことをレイシスト連中にあげつらわれ、失敗知事のレッテルを貼られる危険すらあり得ます。
無論、玉城氏の能力が足りないわけではありません。本土及び日本政府と沖縄では力の差がありすぎるのです。沖縄単独でこの状況を支え続けるなど、神様が知事になってすら不可能です。これは翁長氏も苦しみ続けた点ですが、本土が圧倒的な力で殴りつけてくる限り、沖縄は責任者の実力の程度など無関係に、日に日に追い詰められていきます。これに根を上げ、本心を殺して「降伏」を選びたがる沖縄人が出てきても、責めることはできません。
すなわち、本土が沖縄いじめをやめ、沖縄を踏みにじる政府を拒否し、沖縄の側に立たなければなりません。
沖縄はすでに、徹底的に卑劣な手段を用いて勝ちを得ようとした与党系候補を退けてまで、その民意を示しました。沖縄が果たすべき責任はここまでです。ここから先は100%、本土の責任なのです。

沖縄県知事選 玉城デニー氏が初当選 「菅官房長官と小泉進次郎氏の演説で失敗」(自民党幹部)

別にこの件が致命傷というわけではないでしょうが、いつもの「総力戦」を用いても勝てなかったのは確かです。
ではなぜ、沖縄には「総力戦」、すなわちデマとヘイトにまみれた卑劣な選挙戦略が通用しなかったのでしょうか。

卑劣なデマとヘイトが佐喜眞陣営にとって逆効果になった、との主張も見られますが、私はそのようには考えていません。おそらく、「総力戦」は沖縄でもそれなりの効果を上げていました。当然、卑怯な手段に対する反発から票が逃げた側面は確かにあるはずで、そのどちらが多いかを決定できるだけの情報を私は持ちませんが、差し引いても一定の効果はあったのではないかと考えています。
でなければ、直接の制御が難しい野良レイシスト連中はともかく、陣営側の国会議員、例えば遠山氏までがデマ流しに加わる理由はありませんし、おまけに氏は知事選後に公明党の幹事長代理のポストを得ており、デマ流しのご褒美、というのは言い過ぎにしても、少なくとも問題視はされていないことが分かります。
ただ、本土ならばデマとヘイトでほとんど勝ちを収めることができるところを、沖縄では勝利を得られるほどまでに絶対的な作用を持たなかった、というわけです。
そして、与党お得意のデマ・ヘイト戦略では勝ちきれなかった以上、残りは普通の選挙戦、すなわち政策や人柄、誠実さなどでの勝負となります。こうなると、沖縄の一大関心事である基地問題は隠し続けて「携帯電話の料金を下げる」などと知事の権限では不可能な政策を言い立て、陣営の非公式応援者の蛮行はもとより国会議員までがデマを垂れ流し、しかも佐喜眞氏自身が日本会議のメンバーであった上にそれを隠そうとするなど、非常に問題が多かった佐喜眞陣営が、ルーツからしても多様性を象徴するような存在であり、ヘイト陣営とは対極にある玉城氏に太刀打ちすることは難しくなります。

本土ではあれほど強烈な効果を見せるデマやヘイトが、沖縄ではあまり効かなかったことには様々な要因があるのでしょうが、私はこれを「踏みにじられてきた沖縄だから」ではないかと考えています。
本土はもはや、デマとヘイトにまみれています。少し強烈な言い方をするならば、自らの人権の一部、健康で文化的で文明的な生活の一部を放棄するのと引き換えに、「デマ」という幸せになる粉、「ヘイト」という弱い立場の人々の頭を土足で踏みにじる娯楽を与えられ、その快楽に浸っているのが今の日本です。
インターネットにヘイトが現れない日はなく、本屋に行けばヘイト本が積まれ、テレビを見ればヘイト番組や日本スゴイ番組。若い世代はインターネット、年配世代はヘイト本とテレビ。症状をこじらせた若者はPCや携帯端末でヘイトを書き散らし、年配者は懲戒請求を書き散らす。そこまでこじらせていない者でも、極めて自然に差別や偏見を口にする。老いも若きもこの快楽に漬かり切っています。
国会議員の杉田氏はむごたらしい文章を新潮45に記載し、東京の小池氏は朝鮮人虐殺への追悼文送付をせず、大阪は歴史修正主義によってサンフランシスコ市との姉妹都市を解除する。極めつけはヘイト人員ばかり寄せ集めた内閣改造。こうした国・地方の両方における政治家の動きは、直近のものだけでもかなりの数に上ります。
こうしたヘイトのターゲットとなる相手は、韓国・朝鮮人、中国人、その他外国人・難民、障碍者、性的マイノリティ、女性、生活困窮者、少数民族者など。当然、普段は「沖縄」もそのターゲットの中に入っています
日々ひどい言葉を投げかけ、基地などの負担は押し付け、今まで散々踏みにじってきた沖縄に対し、選挙となるなり「お前らにもデマとヘイトの快楽を与えてやる。だから基地問題などへの抵抗をやめ、沖縄としての尊厳を放棄しろ」と言わんばかりのデマ・ヘイト。
本土であれば勝負を決めるのに十分なだけの住民がヘイトデマに影響され、その幸せの粉によってありもしないものが見えるようになり、居もしない「敵」と戦って快楽に酔いしれ、与党側候補が勝ちを収めるところですが、沖縄は決してその尊厳を売り渡しませんでした。佐喜眞氏に投票しなかった人のみならず、色々と大変な事情があって佐喜眞氏に入れた沖縄人の中にも、その陣営のやり方に疑問を抱いていた人は多いのではないでしょうか。
そして、沖縄がそれを拒否する民意を示した後、都合の良い時だけは「沖縄は日本だ」などと言ったりするヘイト連中がどのような態度を取ったかは、これを見ての通りです。

玉城デニー氏当選後、「総攻撃」「再占領」など沖縄をめぐる暴力的なツイート相次ぐ

こんなもの冗談では済まされませんし、実際冗談ではないのでしょう。
結局、どうあっても沖縄はヘイトの対象でしかないのです。沖縄の人々がこのような連中の願い通りにならない決定を下したのはやはり尊いことだと、つくづく考えざるを得ません。

ところで、なぜ本土は頑なに沖縄の言い分を無視し、沖縄をいじめる政府を選び、沖縄に苦痛を押し付け続けるのか。
よくある答えとして「本土が基地負担などを受け入れなくて済み、都合が良いから」というものがありますが、私はこれに疑問を持っています。
仮に本土で基地の一部を持つことになったとしても、多くの人にとってそれが自分の家の隣に来る可能性は限りなく低いのです。近所が高確率でその候補となり得る人ならともかく、何が何でも過大な負担を沖縄に押しつけ続ける理由として、それほど強力な動機には見えません。ほんのわずかでもリスクがあるなら嫌だというなら、福祉削減政策にでも反対する方が合理的ですし、誰か本土の人間が苦しむのは嫌だというなら、沖縄人の苦しみも無視できないはずです。
また、地理的な面を考えたとしても、実際には基地は必ずしも全部沖縄に置く必要はありません。翁長氏も玉城氏も知事として基地の全廃は求めておらず、こんな理不尽な負担はもう無理だと言っているに過ぎません。沖縄の負担問題は地理的問題でも国際問題でもなく、内政問題とみなすべきものです。
結局、建前としてこれらの理由を口にすることはあったとしても、そればかりが理由であるとは到底考えられないのです。

それでは、他に何が理由なのか。沖縄が生意気にも反論し、抵抗し、負担を嫌がるのが気に障るから、というのが理由の一つであると、私は考えています。政府が翁長氏時代の沖縄に対してやってきたいじめはまさにそれですし、そのやり方に多数の本土の人々が激怒し、政府が窮地に立たされるようなこともありませんでした。
実際、これは沖縄に限った話ではありません。同性愛者を「気持ち悪い」としながら、ならば気持ち悪い連中など放っておけばよいものを、差別解消などを訴えるLGBTにいちいち攻撃をかける者。自力でタラップを上がり、バリアフリーを訴える障碍者を攻撃する連中。テレビで貧困について訴えた女子高生を攻撃する、国会議員までもを含む連中。性被害を訴えた女性を攻撃し、とうとう「亡命」にまで追いやる連中。いきいきと活躍する韓国ルーツの人に、非道な暴言を投げかける連中。
結局、見下し、差別し、踏みにじっている相手が、声を上げたり、抵抗したり、活躍することが気にくわないのです。
沖縄知事選で敗れた後、安倍氏は内閣改造を行い、内閣のメンバーというよりヘイトデモ参加者のリストにしか見えないほどにすさまじい人事となりました。沖縄での敗北を受けて、ますます極まったヘイトをぶつけることが、本土の世論の評価を得る上で得策であると判断しているわけです。

今回の沖縄の体験を弾みとして、立憲野党は次の選挙に備えることになるでしょう。ただ、私はそれが沖縄のようにいくとは全く考えていません。
人に踏みにじられる痛みも知らず、人を踏みにじる快楽に漬かっている本土に対しては、今後とも「総力戦」は効果的すぎるほどに効果を発揮するはずです。

ネット右翼に足を引っ張られた佐喜眞候補【沖縄県知事選挙 現地レポ〜敗北の分析】

この記事。佐喜眞陣営は「勘弁して欲しかった」としていますが、到底信じられません。
というのは、もし佐喜眞陣営がこれを本気で迷惑とみなしていたならば、そのようなヘイト連中の存在に一言たりとも言及することなく、しかも印象の良いポジティブな訴えによりヘイト連中を追い散らす、ポジティブカウンターが可能であったためです。

佐喜眞氏の支持者により、玉城氏は中国の手先だの、中国が侵略してくるだのと散々デマが流されましたが、実は佐喜眞氏こそが沖縄県日中友好協会の顧問であるという情報が掘り出されています。
無論、私はこれについて佐喜眞氏を批判するつもりはありません。日中友好、実に素晴らしいものではありませんか。私は佐喜眞陣営のやることなすこと、そのほとんどに賛同できませんでしたが、日中友好を目指すのであればその点だけには大いに賛同します。
沖縄から日中友好を訴え、友好の懸け橋となる。これは携帯電話料金値下げなるインチキ政策と違い、知事の権限で十分に実現可能です。経済面でもメリットがあり、経済振興を訴える佐喜眞氏の方向性にも合致しています。友好的で穏健な姿勢をアピールでき、無党派層の支持も得られます。加えて、中国を悪魔化してデマとヘイトの限りを尽くしている非公式応援団の連中も、蜘蛛の子を散らすように退散することでしょう。
必要なのはただ一言、「私は日中友好協会の顧問です。知事になったら日中友好をどんどん推進していきます」と宣言するだけ。ただそれだけで、これほどのメリットが生まれるのです。
ところがどうか。大迷惑な非公式応援団が徹底的にヘイトとデマを垂れ流す中で、佐喜眞陣営からそのようなことは一切なされなかったのです。非公式応援団による中国を悪魔化したヘイトに頭を痛めていて、直接の言及は避けつつそれを止めたいと考えているなら、自分が日中友好アピールをするのが一番であることなど、誰にでも分かりそうなものです。
なぜしないのか。こうした非公式応援団こそが、佐喜眞陣営の真の応援団であることを知っていたからです。中国ヘイトに染まった連中こそが、自分の票田であると理解していたからです。

「日本ではない国に行けば」 翁長知事の息子が投げかけられた言葉

興味深い記事ではあります。
が、しかし。

>すごくこんがらがっていた。保守的な思想と、しかしながら基地に反対したい思想と。それの整合性が取れずに、どんどん「ネトウヨ」になっていった。

>それも一つの経験だったし、だからこそ今の自分があると思いますので、諌める気はありません。


他人の魂を殺傷し、その尊厳を踏みにじっておきながら、この認識の浅さは一体何なのですか
レイシストになるというのは、ここまで軽々しく語れることではありません。それは人々の魂を殺す行為ですし、現実に命を失う人もいます。レイシストから脱却できたとして、贖罪に必要なのは数年か、数十年か、あるいは一生涯か。それほどに重いことなのです。

氏のような人に聞いてみたいことがあります。

もしあなたが、快楽のために人を殺したとします。その後、あなたが「人殺し」ではなくなるためには何をすればよいですか?

これは答えのない問題です。服役して出所すれば、刑法上の責任は終えたことにはなっても、おそらくそれで「人殺し」でなくなるわけではないでしょう。
贖罪を済ませた時でしょうか。では、何をすれば贖罪といえるのか。遺族に許された時でしょうか。では、遺族がどこにいるか分からない場合は?それとも、快楽目的で人を殺してしまった以上、死ぬまで「人殺し」であり続けるのでしょうか。
その上で、次にこう問います。

あなたは快楽のために人の魂を殺しました。その後、あなたが「魂の人殺し」ではなくなるためには何をすればよいですか?

私は、この翁長氏の息子という方がレイシストでなくなったとは考えません。本当にレイシストではなくなった人間の態度ではないからです。
たとえ塗炭の苦しみを味わわされ、針の筵に巻かれ、踏まれ蹴られ、そのままドブに突き落とされても、全く文句は言えないどころか、被害者の苦しみに比べればあまりにも軽い。人の魂を殺し、その尊厳を踏みにじった代償はあまりにも重い。差別とは、レイシストになるとは、そういう行為です。

そして案の定、ヘイト市議・小坪氏と面会していたことが判明。自分の罪が認識できていないから、こういうことになります。しかも、知らなかったなら「よくないことでした。今後は気を付けます」で済むところを、「会いたいと仰る方とは会う」「排除の論理が嫌い」と自称中立ヘイト勢のような定番の言い訳。無論、安田浩一氏のように反差別を明確にし、差別について十分な知識を持った上でレイシストを取材することはあってもよいのですが、この言い訳の様子ではそれとは程遠いと考えざるを得ません。
どうぞ、きっちり反省してから出直しておいでください。自分の罪を正しく認識し、その重さにのたうち回って苦しみ、果てのない贖罪を決意し、それからおいでください。現状のこの方の言い分からは、懲戒請求で反撃を受けそうになり、慌てて謝罪という名の言い逃れや責任転嫁をした人々と同じ匂いしかしません。

2018-09-28 の記事 - 2018-09-28
「新潮45」休刊のお知らせ

なぜ「差別をしたことをお詫びします」と言えないのですか?このような事態を招いたことについてお詫び」するそうですが、このような事態さえ招かなければ差別をしてもいいと考えているのでしょうか。謝罪する相手も、まず第一には新潮社が差別でぶん殴った被差別当事者であるべきです。

>しかしここ数年、部数低迷に直面し、試行錯誤の過程において編集上の無理が生じ、企画の厳密な吟味や十分な原稿チェックがおろそかになっていたことは否めません。

言い訳として無理があります。
確かに、人間誰しも間違いはあるもの。杉田文章を記載してしまったことについては、それこそ新潮45の10月号の誌面を使用し、徹底的な社内調査の結果と処分の報告、杉田文章への反論やファクトチェックなどを行い、二度と差別をしないと会社として宣言し、反差別特集を組むくらいのことはしていれば、少なくともここまでの事態は避けられたでしょうし、逆に信頼を得ていたかもしれません。
実際、メディア・文筆家・被差別当事者・一般の人々などから、あの文章がどれほど劣悪で不当なものであるか、あらゆる切り口から理を尽くした反論がなされており、新潮にはこれが過ちであることを認識する機会がいくらでも与えられていました。
ところが、新潮45は再び被差別当事者をぶん殴ることを選択します。一度目の時点で言うならまだしも、それが猛批判されている状況でわざわざ二度目をやっておいて「企画の厳密な吟味や十分な原稿チェックがおろそかになっていた」とは何事ですか。企画を厳密に吟味し、十分な原稿チェックの末に行われたのがあの記事であると考えるのが妥当です。

結局は休刊となりましたが、「ああ、そうですか」の一言。最も重要なことがことごとくなされていないためです。
「差別をしたことに対する」謝罪、徹底した原因究明とその公表、厳格な処分と再発防止策の策定、二度と差別はしないとの誓約がなされるならば、新潮45を休刊するか否かはさしたる問題とはなりません。たとえ新潮45が存続されたとしても、そこに差別が掲載されることはなくなるためです。
しかし、新潮社はそれらを全く行いませんでした。原因はほとんど解明されず、差別を生む土壌は放置され、意味のある処分は行われず、お詫び文に至っては「差別」の「さ」の字も出てこない始末。全く何も変わっていない以上、新潮45が休刊となったところで、新潮社は別の書籍をいくらでも差別に用いることができます
また、新潮45自体も部数が低迷していたわけですから、もともとがお荷物であったところに、今回の件で著しくイメージが悪化して厄介者でしかなくなった新潮45を切るというのは大して重い判断ではありません。会社の中でも大きな利益を生み出している重要商品を切るならまだしも、これでは区切りとしての意味すら持ちません。
したがって、この休刊がそれほど重要であるとみなすことはできません。

無論、休刊されたことが良いか悪いかと問われれば、私は良いと答えます。
新潮社は言論を扱う老舗の大手でありながら、その言論を人々の魂を殺戮するための兵器に転用し、それを実際に用いて人々を蹂躙し、それが問題になっている状況下で平然と二度目の殺傷も行い、しかも差別を謝罪することは一切ないなど、極めて攻撃的で危険かつ全く歯止めの効かない存在であることが明らかになりました。
そのような者の手から、「新潮45」という二度にわたって人々の魂を殺傷した実績のある凶器を弾き落としたことは、たとえ新潮社が凶器に転用可能な道具を他にいくらでも所有しているとしても、十分に意味があることです。

ところで、新潮45はどうすべきであったか、そもそもの発端である杉田氏はどうすべきであったかについては、人々の間でもいくらか見解が分かれているようです。休刊の決定に関しても、評価する声もあれば、残念とする声も聞かれます。
なお、休刊は残念とする声については、私も「新潮が自ら、調査結果を公表し反省を述べ、差別をしない誓いをする場を放棄した」という意味に限って同意見です。もっとも、今の新潮がそれをする可能性は万に一つもないため、結果的には休刊の方がマシという結論に至らざるを得ません。
今回ここで私が反論しておきたいのは、「せっかくの誌面の場なのだから、擁護・否定両方の意見を取り上げて議論の場を提供すればよかった」「新潮45は別の人間に反論させるのではなく、杉田氏に反論をさせるべきだった」という2つの意見についてです。

誌面で「擁護・否定両方の意見を取り上げる」ことは明確に間違っています。
議論のある言論について、これを行うことは妥当な場合も多くあります。しかし、差別は言論ではなく単なる暴力です。
世の中の過半数の人は異性愛者に生まれつきますが、それはたまたまでしかありません。マジョリティに生まれついた人でも、同性愛者に生まれていた可能性、トランスであった可能性、あるいは障碍を持って生まれていた可能性、在日韓国・朝鮮人など今の日本で差別の対象となっている属性に生まれていた可能性があります。
そして、そうした属性に生まれついた人々に対して、その属性に生まれついたことを理由として行われる、魂を殺傷し、その生存権や平穏な生活を脅かし、人間としての尊厳を踏みにじる暴力行為について、「それは行われるのが妥当か、行われるべきではないのか、両方の立場を取り上げて議論しましょう」などというのは明確な差別への加担行為であり、明らかに間違っています。
書籍がこんなものを自由な言論として載せるのであれば、そんなものは匿名掲示板の片隅の差別落書きを記載するのと何一つ変わるところはありません。何のための書籍で、何のためのブランドで、何のための校閲でしょうか。そして、出版社のブランドを掲げて書店にずらりと並べられた書籍は、わざわざ見に行かないと見られない匿名掲示板の差別落書きの比ではないほど多くの人々の目に触れ、その尊厳を踏みにじり、強烈なダメージを与え、また多くの人々の差別意識を扇動します。
これは書店にしてもそうですが、「どんな言論も分け隔てなく扱う」といったような言葉は耳触りこそ良いものの、これは「理不尽な暴力も非暴力と同列に扱う」「出版と落書きの差、つまり出版社や書店が持つべき役割を放棄する」と言っているのと同じです。正当な言論と、言論の名を騙る暴力行為は、区別されなくてはなりません。
差別に賛否の議論などあり得ません。これは大前提です。杉田文章はもうここでいちいち説明する必要がないほど多くの人々によって語りつくされていますが、偏見と事実誤認と全体主義的思想と差別意識に基づく明確な差別でしかありません。その賛否を誌面で議論することなど、当然あり得ません。

「別の人間ではなく杉田氏に反論をさせる」のも誤りです。これ以上杉田氏の文章を記載してよいのは、氏が以前の自らの差別について謝罪・撤回の意思を表明する文章を書いた場合のみで、反論を記載するなどもってのほか。それはすなわち、再び差別を垂れ流す結果にしかなりません。
「批判を浴びた杉田氏に反論の機会がないのはおかしい」との声もあるかもしれませんが、そもそも最初の文章が載ったことがおかしいのです。本来なら到底記載できないような劣悪なヘイト文章でも、最初に載せてさえしまえば、次以降も反論の体さえ取れば載せていい、というようなことは到底認められません。また、杉田氏は公人ですから新潮45でしか物が言えないわけではなく、それどころか例の差別についての問いから逃げ回っておきながら、好き勝手に講演会などをやっています。もともと力も発言力もある公人と大手出版社が被差別当事者をいきなりぶん殴り、彼らを萎縮させることの方が、発言の機会を奪う意味では何倍も深刻です。
そして、もし氏に反論など書かせようものならどうなっていたか。それは、杉田氏の反論こそ記載されたわけではないものの、新潮45が批判への反撃として行った反論特集の惨状が物語っています。
どの反論もそれなりに問題のあるものであったことが指摘されていますが、中でも小川氏の主張たるや、今回見識のなさを著しく露呈することになった新潮社をもってしてもかばいようがないほど劣悪なものでした。偏見だとか、稚拙だとか、低レベルだとかいう領域はとうに超え、もう狂気の沙汰と表現した方が適切ではないかと考えるほどです。
杉田氏の文章は、その表現の表層だけを見れば、いくらなんでも小川氏ほど狂気に満ちたものとはなっていません。しかしながら、LGBTに対する著しい偏見・差別・事実誤認に加え、ナチスや相模原事件と極めて親和性の高い「生産性」論を展開して全方位的な差別の火種を作るなど、杉田氏の主張がその中身において小川氏よりひどくないなどとは到底言えないと私は考えています。なにしろ、そもそもこのような事態に至るほどまでの大騒乱をまず巻き起こしたのが、他ならぬ杉田氏なのですから。

実は差別主義者たちも、その多くは理由もなく差別をしているのではありません。彼らなりの理由があって差別をしているのです。ただしその理由たるや、小川氏が本音を包み隠さず垂れ流してくれたおかげで分かるように、極めて理不尽で見るに堪えないようなものばかり。これは小川氏が特別ひどいというより、小川氏があまりに本音を直接的に伝えるような言葉選びをしただけで、差別主義者が差別をする理由などほとんどこれと五十歩百歩です。正当な差別というものが原理上この世に存在し得ない以上、当然ではありますが。
杉田氏に反論をさせ、理由を語らせようものならどうなっていたか。小川氏のような言葉選びをしないだけで、内容としてはどちらがひどいとも言えないような地獄絵図が繰り広げられたであろうことは想像に難くありません
そしてそれは、今回の新潮45の反論特集がそうであったのと同様に、被差別当事者の魂を殺し、人間としての尊厳を徹底的に踏みにじることを意味します。そのようなことは決して許されないのです。

2018-09-22 の記事 - 2018-09-22
杉田水脈氏への批判は「見当外れ」 新潮45が掲載へ

話題の"そんなにおかしいか『杉田水脈』論文" 寄稿者のLGBT当事者が論文を書いた理由

「ごめんなさい」も言えないのか、この連中は

あきれ果てました。LGBTに対する無知と偏見に基づくばかりか、「生産性」などとして全方位に差別の種をまき散らした杉田氏が批判を浴びるのは当然ですし、それすらなされなくなったら社会は終わりです。思想的には在特会とほぼ変わらない自民党ですら、当然ながら同じ思想の杉田氏を処分までするわけにはいかないにしても、注意はしてお茶を濁しました。
それを、この雑誌は未だにヘイトの上塗りですか。この連中はヘイトを塗り重ねているつもりでも、実際には自らに対して恥を塗り重ねていると知った方がよろしいでしょう。

>主要メディアは戦時下さながらに杉田攻撃一色に染まり、そこには冷静さのかけらもなかった。あの記事をどう読むべきなのか。LGBT当事者の声も含め、真っ当な議論のきっかけとなる論考をお届けする。

レイシストの常套手段とはいえ、何を被害者ぶっているのか
まずLGBT差別と「生産性」論でマイノリティに襲い掛かったのは杉田氏及び新潮45の側です。差別とは人の魂を傷つけて殺すものですし、最悪の場合は実際に死者が出ることもあります。LGBTの自殺率が高いことに笑いながら言及した杉田氏はそのことを知っているはずですし、生産性で人の価値を図った相模原事件のようなヘイトクライムもすでに発生しています。
すなわち、杉田氏と新潮45はマイノリティの集団に向かって機関銃を乱射したも同然で、こんなもの各メディアから批判されない方がどうかしています。しかも、これらの批判は杉田氏や新潮45の「属性」ではなく「行為」を理由としたものであって、LGBTや「生産性」論によって他者の属性を攻撃した杉田氏・新潮45と好対照をなす、極めて正当な批判です。
「生きづらさ」も何も、それは確かに日本はマイノリティにとって問題のありすぎる社会でしょう。なにしろ、与党政治家と有名出版社がその発信力を武器にいきなり襲い掛かってくるほどなのですから。こんなものは政治が生きづらさをどうこうする以前も以前の問題で、単に「お前らはマイノリティを襲うな」の一言で済む話です。
新潮45とは一体どこまで無知なのか、あるいは恥知らずなのか。開いた口が塞がらないとはこのことです。

「良心に背く出版は、殺されてもせぬ事」。出版各社が「新潮45」批判RTの新潮社アカウントに援護射撃

新潮社内部にもまともな人がいるのか、新潮45に対して批判的ともみなせるツイートやリツイートを行い、他の出版社も援護している、という話。これを理由に新潮社内のまともな人々を称賛する声もあるようですが、私としてはそんなものは到底称賛になど値しないと考えます。
新潮45は何の罪もない人々を、LGBT差別及び「生産性」論によって思いきりぶん殴りました。それに対しては当然、当事者及び周囲の人々から「何をするんですか!」という声が上がるわけですが、それを受けて新潮45は再びマイノリティの人々をこれ見よがしにぶん殴りました。
こんな異常者に対して同じ組織の人間がやることが、新潮45の姿勢に批判的とも取れるツイートだとか、新潮を批判するツイートのリツイートですか。新潮45が拳を真っ赤にしてマイノリティをボコボコぶん殴っている最中に、遠くからポップコーンを投げているようなものではないですか
こんなものを会社の良識、自浄作用とみなすわけにはいきません。同じ組織内の狼藉に対し、せいぜいポップコーンを投げる程度の抵抗しかできないのであれば、そんな組織はすぐに差別連中に飲み込まれてしまうでしょう。新潮社の創業者・佐藤義亮氏の「良心に背く出版は、殺されてもせぬ事」の言葉を引くからには、さすがに殺されて来いとまでは言わないにしても、それを引くに恥じない覚悟は見せてもらわねばなりません。
新潮45がマイノリティを殴りつけている場面に割って入り、新潮45を全力でぶん殴り、人々に「うちの会社の者がご迷惑をおかけしました」と頭を下げてから新潮45を引きずって帰る。これくらいはできなければ、到底称賛に値する域には達しません。組織の論理だの何だのは、殴られている人々には関係ありません。

ただ、新潮だの講談社だのの醜態を見ても分かるのは、つくづくヘイトは日本において魔法の杖であるということ。
これをかざせばあら不思議、冴えない自称活動家の下に人と寄付金が集まり、字幕だらけの実にくだらない手抜き動画でも利益が出せるようになり、出版不況で悪戦苦闘していた書店では本が売れるようになり、出版社も一山当てることができ、政治家は固定的な支持層を確保できる。これが日本社会におけるヘイトスピーチの位置です。
無論、タダでそんな錬金術のようなことは起こりません。その代償として、まずマイノリティに対する差別が扇動され、マイノリティにとっては生存権すら脅かされるような社会となります。これで大金が生み出されているわけですから、その代償がどれほど大きなものとなるかは容易に想像できようというもの。しかし、どれほどマイノリティが地獄のような苦しみを味わおうとも、出版社などの「売る」方には何の打撃もないため、彼らには高い倫理観や想像力が求められるのです。
それでもなおヘイト商売をやめないでいれば、その次には自らの会社及び業界が築いてきた信頼が破壊されます。例えば私は本が好きですが、以前にとある書店でヘイト本コーナーが作られているのを見て以降、その書店チェーンでは一切何も購入していませんし、立ち入りも控えています。私は本が好きなのであって、魂を削られるために本屋に行くわけではないからです。たとえヘイト商売をやめたとしても、当面はそこで本を購入したいとは考えません。今回、これと同様に新潮の態度に激怒した人は多いのではないでしょうか。
結果、ヘイト書店やヘイト出版社から本を愛する人は立ち去り、代わりにその大半は特に本を愛してもいないレイシスト相手の商売となり、ヘイト本ブームが終わった時には焼け野原が広がるのみ。それから頑張っていい本を出したとしても、「あのヘイト出版社の本か」とみなされるだけです。
ヘイト商売とはすなわち、他人の生命や平穏な暮らしを生け贄とし、自社及び自分の業界を切り売りする行為であると認識し、この呪われた魔法の杖を手放すことができるかどうか。「良心に背く出版は、殺されてもせぬ事」の名言が何を戒めているのか、果たして彼らには理解できるでしょうか。

「新潮45」2018年10月号特別企画について

新潮社からのアナウンスが出ましたが、結局何が言いたいのか。何か書いているようで何も書いておらず、意味のある文章とはみなせません。
もし本件を本当に問題であると考えるなら、即刻それに見合うだけの極めて厳重かつ徹底的な処分を発表し、今後一切差別をしないことを会社として誓約し、態度で示すしかありません。良心に背く出版の代償は、断じて小さなものではありません。

新潮社の本を棚から撤去 和歌山の書店、新潮45に抗議

小規模の本屋さんのようですが、良い動きです。
言論は言論として認めるべきですが、差別は言論ではなくただの暴力です。書籍などを通して言論に携わろうとする者は、言論を悪用して使い捨てにし、被害者と言論の両方を同時に踏みにじる暴力にこそ敏感でなければなりません。
LGBTや○○人といった「属性」を理由として、そうした属性を持つ人々の尊厳を踏みにじり、魂を殺していい権利を持つ者などこの世にいません。差別を言論と位置付けることは、すなわち誰かが特定の属性の人々の尊厳を踏みにじり、生命や平穏な生活を脅かしても、それは自由であって別に構わないと主張しているのであり、それ自体が差別でしかないのです。
この店主の方は、おそらく真に本が好きな方なのでしょう。新潮社の創業者の言葉の意味を、書物の持つ力とその責任を、新潮社や講談社のヘイト本関係者、あるいは大手のヘイト書店の面々が寄ってたかっても到底理解できないようなことを、本を大切にしている小規模書店の店主は深く理解している、というのは極めて象徴的な図式ではあります。

2018-09-15 の記事 - 2018-09-15
ネットの「デマ」、名誉毀損で刑事告訴へ 翁長氏後継・玉城デニー氏

素晴らしいことです。
で、本土の立憲野党は?いつまで沖縄におんぶにだっこを続けるのですか?沖縄が貶められ、ターゲットにされ、それに抗おうとする人に対するデマが垂れ流されるのは、すべて本土の都合です。
本土の立憲野党が日ごろデマに厳しく対処しないから、沖縄でも悪質なデマが流されることになるのです。反撃がどれほど効果的かは、不当懲戒請求への反撃が示してくれている通りです。本土の立憲野党こそ、普段からデマに対して徹底的な法的措置で対抗しなければなりません。

台湾の従軍慰安婦像に蹴りを入れた藤井実彦とは何者なのか

海外に出向けば恥をさらす。日本の地位は貶める。二度と海外に立ち入るな、日本からも出ていけ、国賊が

日本のレイシスト連中がどこまで腐りきっているかをよく表している、徹底的にどうしようもない愚挙です。これにて台湾の心象は極限まで悪化し、慰安婦像の設置を妥当なものとみなしたことでしょう。かつての「The Fact」やスパムメール爆撃と同じことをまたしても繰り返したわけです。
この国賊と違い、像に対して何ら憎悪を持たない私としては設置が固定化しても全く構いませんが、像を通してその向こうにいる人間の尊厳を足蹴にしたこと、それによって日本の品位を極限まで棄損したことなどを決して許すことはできません。
ただ、これが恐ろしいのは、日本国内ではこの手の主張は全く珍しいものではなく(例えば作家の筒井氏は極めて下品な表現で像を貶めている)、それどころか生身の人間に対する攻撃すら平然となされていて、今回の件にしても日本国内での内輪受けを狙ったものであろうということ。今回は海外の目に触れ、国内と違ってまともな感覚であるがゆえに大問題になりましたが、これが海外の目に触れなかったり、国内で完結している場合には、レイシスト連中の拍手喝采で終わったことでしょう。
この国賊の行動は、単に日本国内に存在する願望を実際に形にしただけと言っても過言ではなく、この問題はそのまま日本の異常性を写す鏡となっているのです。

なお私は、慰安婦像は設置した方がよいという立場です。理由はこの国賊を見ての通り。日本が本当に過去と向き合うことができているのなら、レイシスト歴史修正主義政党が与党となり、歴史どころか少し前のことすら修正するレイシスト首相が大手を振るような異常事態にはなりませんし、地方政治でも東京の石原〜小池、大阪の維新といった恐ろしいことにはなりません。
今回の国賊及び国賊の同類が日本にはびこっている限り、こういったモニュメントの存在価値が増すことはあっても減ることはありませんし、こうした国賊の存在とその異常性を海外に知らしめる点でも大きな効果を上げています。単なる像でありながら、ここまで明瞭に深刻な社会問題の存在をあぶり出し、世界に問題提起ができるような像が他にあるでしょうか。
もし像が必要なくなる時が来るとすれば、それは日本人がこうした国賊及び国賊の同類と戦って勝利し、ヘイト政治家を政治の場から締め出し、自分たちの意思でレイシズムや歴史修正を否定し、歴史と向き合った時でしょう。

最新調査で判明、インターネットはこうして社会を「分断」する

安田浩一氏の記事を見たついでに読んだ記事ですが、何ですかこれは。
レイシストがタコツボの中に入ると極端な方向に走るのは確かで、それゆえに街角で「朝鮮人を皆殺しにしろ」だのと吐き散らしたり、女子中学生が「鶴橋大虐殺を起こしますよ」だのと背筋が凍るようなことを叫んだり、慰安婦像を足蹴にして国際問題になったりするわけですが、なぜここで「アンチ排外主義」までが極端化だの、果ては敵味方感情だの分断だのという奇妙な話が出てくるのか。
実はこの記事、1つ重要なピースが抜けています。怪談話などで、登場人物が無事では済まなかった場合の定番のツッコミとして「あなたは一体どうしてその話を知っているのか」というものがありますが、本件については「では、その両極の先鋭化を俯瞰しているらしいあなたは、一体どこに立って眺めているのか」と問うことができるでしょう。
というのは、いわゆる穏健派、中立や中庸を気取る意見こそが実際には極端であることは珍しくなく、この重要な点を抜きにして極端や分断を語ることはできないためです。

例えば、レイシストは街角で平然と「○○人を皆殺しにしろ」と主張しています。一方、反差別者は「そんなことは許されない」と主張しています。では、そのどちらの極でもない、すなわちここで言う「極端」には属さない「穏健」な立ち位置とはどこなのでしょうか。
単純に真ん中に立つとすれば、「○○人は半分殺せ」です。両方ともおかしいというのなら、つまり「○○人を皆殺しにするのはおかしいが、○○人を殺すのを許さないのもおかしい」ということです。無関心ならば「○○人が皆殺しにされようがされまいが、どちらでも構わない」。自分や近親者は殺されても構わないと主張することはないはずで、これはすなわち○○人の生命は無価値とみなしていることを意味します。では果たして「極端」でない人、「穏健」な人は一体どこに立つ気なのか。
実際のところ、この場合に極端でない意見、穏健な意見は反差別だけです。たとえ反差別に加わらない範囲でギリギリまで反差別側に寄り、最小値を用いて「○○人を○○人という理由で1人殺せ」と主張したとしても、これは十分に極端な意見です。「殺すな」が極端ではない唯一の解なのです。

むしろ日本社会は、いわゆる「穏健」、中間や中庸的な極端に走ることに対して最も無防備であり、それこそを一番に警戒すべきでしょう。差別や人権無視、不正のような明らかにおかしい主張や行為について、「正しい」「間違っている」「どちらともいえない」の中から「間違っている」を選べず、中庸を取ろうとする極端、と言えばイメージしやすいでしょうか。そしてそれは、理不尽な差別や人権無視による被害を受ける人々と、中庸に走ろうとして間違いを間違いとさえ言えない「穏健」派の間の地点で、社会が分断されることを意味します。
また、日本には中間を大人の対応とみなす珍妙な価値観があります。しかし、差別や人権無視のようなおかしい問題について、なんでもかんでも中立を気取ったり、両論併記をしようとすることを大人の対応とは言いません。それらをきっちり叱り、否定し、対処することか大人の対応です。
そして、この幽霊のようないわゆる穏健が、そのタコツボの中で意見を強化してしまうと時に恐ろしい結果を招きます。関東大震災時、差別デマに踊らされて動乱に加わった人の中には、いわゆる「普通の人」が大勢いました。当然、虐殺を防いだり被害者をかくまったりした人もまた存在し、勇気ある逸話も残されていますが、この状況でそうまでして虐殺に立ち向かった人々は「極端」であるわけです。
この記事のような角度から極端を語りたいのであれば、いわゆる穏健を極端の外の存在とするのではなく、それもまた極端の一形態であると位置づけることが最低限必要です。

2018-09-08 の記事 - 2018-09-08
安倍氏がDHCテレビの番組に出演したとのこと。
安倍氏はもともと筋金入りの差別主義者ではあるものの、その差別を麻生氏や在特会のように万人に対して大っぴらにはせず、ヘイトスピーチについて許されないなどともっともらしいことを口にはしつつ、知識がある人が見れば大仰天せざるを得ない差別的行動は取る、ということを繰り返してきました。
例えば保守速報シェア事件などは異常の上にも異常な行動でしたが、残念ながらスポンサーが降り始めるほど同サイトが一般に問題視されるようになったのは最近です。その他、The Facts第二弾に名を連ねるなどの異常行為には事欠きませんが、それらの意味が誰にでも分かるような適切な解説付きでメディアに取り上げられることはまずありません。その他、知識のある人には非常に悪質なレイシストとして有名であった杉田氏を事実上の当選保証で引き入れ、その時にも大仰天されたものでしたが、こちらは案の定大騒乱を引き起こしました。
そして今回、ヘイトデマの垂れ流しで有名で、沖縄及び辛氏個人を対象とした卑劣なヘイトデマ番組がBPOにも厳しく非難された、あのDHCの番組に安倍氏が出演したというのですから、いよいよ差別の深刻さ、支持層である差別主義者に向けた「内輪受け」の優先は極まってきたと見るべきでしょう。
メディアもいい加減、自民党がもはや単なる差別集団であることを明確に報じるべきです。保守速報もそうですが、ヘイトデマ番組の件についてDHCに正当化の余地は全くありません。「保毛尾田」問題の重大性さえも適切に評価することができないBPOですらそれは認めざるを得ず、ヘイトデマに対する厳しい指摘が大量になされることになったのです。
先の杉田発言では、まともな論調を取ろうとすると絶対に正当化のしようがないものであるためか、明確に否定する新聞社も複数ありました(一番しっかり否定していたのが子ども用コーナーというのが泣けてきますが)。同様に、沖縄ヘイトデマ及び在日の個人へのヘイトデマを垂れ流したヘイト企業・DHCの番組に出演する行為、完全なヘイトデマサイトである保守速報をシェアする行為、杉田氏がかねてから繰り返してきた差別と氏を引き入れた責任などすら、明確に否定的な立ち位置から解説し批判することができないのであれば、メディアに存在意義はありません

ツイッターCEO、アカウント停止判断に介入か

いかにもありそうな話です。
無論、私はこれが事実かどうかを知る立場にはありません。しかし、これが事実であるか否かなどTwitter外部の社会にとっては大した意味を持ちません。社会にとって重要なのは、Twitter社は徹底的に差別を放置し保護しているという一点だけです。

今回の台風や地震などの災害を受け、またしても、またしてもTwitterで災害便乗ヘイトが垂れ流されています。もうこれで何度目か数えるのもバカバカしいですが、災害のたびに問題になり、災害のたびに対策の必要性が明らかになっていて、一度たりともまともな対策を取らないでいるがために恒例行事となっているのです。
少なくとも、災害時ヘイトを垂れ流したアカウントは一発で利用権剥奪処分とし、平時には影響力のある差別アカウントだけでも全部同措置としておけば、Twitter上の差別は大きく減じられ、しかもそれほど人手もかかりません。災害のたびに危険極まりない状況となっていながら、その程度のことも絶対にしないのはなぜか。あえて差別を放置しているとしか考えようがありません。
おまけに日本法人代表はヘイトデマサイトのnetgeekの読者。国のリーダーが保守速報なら、大手SNSの日本法人のリーダーはnetgeekですか。結局そういうレベルの人々なのでしょうが、周囲にとっては大迷惑です。

Twitterは「ゴミがゴミを呼ぶ」と形容するにふさわしい存在です。何らかの公開コミュニティを作るにあたり、ゴミをまき散らす人間が一定数いるのは仕方ないにせよ、それを掃除したり注意したりすることもなく「ゴミを投棄するのも彼らの自由だ」とバカなことを言い出した結果、ゴミの山ばかりが膨れ上がり、まともな人々は次々と姿を消し、残ったのはゴミとゴミを捨てる輩だけ。
それだけならまだしも、そのゴミは猛烈な悪臭を周囲にまき散らし、廃棄物内の有毒物や病原体が大気や水源を汚染し始めました。すなわち、Twitterと直接関係ない人々までも生命や安全を脅かされる事態となっています。Twitter発のヘイトデマによっていつヘイトクライムが引き起こされても不思議ではない状況ですが、それによって被害を受けるのはTwitterを全く使っていない人かもしれないのです。

現状、自民党・安倍やトランプといった猛烈な退行現象はあるものの、全体として世界がまともな方向に進んでいくことは可能なはずです。そして、公正で差別が許容されず、マジョリティもマイノリティも皆が安全に暮らせる世界にTwitterの居場所はありません。差別もろとも墓場に叩き込むのが一番でしょう。

2018-09-01 の記事 - 2018-09-01
ブームを起こし7か月で消えた「希望の党」とは一体なんだったのか

「おふざけもほどほどにしろ」の一言。自民党に負けず劣らず腐り切った議員の巣窟では、先の衆院選で大失敗したのも当然の結果というものです。

>昨年9月、希望の党の結党会見が華々しく行われ、当時の民進党の前原代表が希望の党への合流を決めた時、民進党系議員は刻々と変化する状況に戸惑いつつも「ある意味でワクワクしていた」と今の国民民主党幹部は振り返る。

それは楽しそうでよろしいことで。娯楽施設から娯楽体験の提供を受けて対価を支払うように、夢を見させてもらって議席や支持率を支払ったわけですから、とても釣り合いの取れた取引ではないでしょうか。最後に良い夢を見たのですから、もう戻ってこなくて結構。

では旧民進党を応援していた市民はというと、少なくとも反差別や立憲主義・民主主義の観点から応援していた人の中では、この騒動に怒ったり焦ったりあきれたりする人はいても、ワクワクしていた人など1人として見ませんでした。所属議員連中の「ワクワク」などという異常なまでの感覚の乖離を考えれば、民進党を事実上引き継いでおきながら、ないないづくしの立憲民主党にすら劣る大惨敗となったのも当然というものでしょう。

小池氏といえば、在特会関係団体の集会で講演をするほどの筋金入りのレイシストです。おまけに石原氏ですらやっていた関東大震災朝鮮人虐殺への追悼文送付をやめ、今年もまた送られないことになりました。
差別主義者の親玉である自民党・安倍政権と、在特系集会の講演に立つほどのレイシストである小池氏、この両者によって国会が牛耳られようものなら、この国はマイノリティが到底平穏に暮らせる状態ではなくなります
前原氏は「みんながみんなのために」を標語としていましたが、何のことはない、「みんな」からマイノリティは除外されていたのです。本来、政治とは立場の弱い人々をすくい上げることに意義があるはずで、そのための政治による再分配や福祉なのですが、前原氏の「みんな」には弱い人など最初から含まれていなかったのです。
これは旧民進党のうち小池ヘイト党から離反しなかった他の議員も同じで、このままでは差別政党が議席のほとんどを占有し、被差別者ら立場の弱い人々は地獄の釜に投げ込まれる、などと焦るどころか、「ワクワク」までする始末。議員としてという以前に、人として何をなすべきかも分からなかったようです。

とはいうものの、人間誰しも間違いはあるもの。在特系集会の講演登壇者についていくことが「人間には間違いはある」で済まされるかというと相当厳しいのですが、この失敗で性根を入れ替えて人として恥じない行動をするというなら、それはそれで悪いことではないでしょう。
ところが、

>選挙を終え、53人となった希望の党の議員はこぞって失敗の理由づけを始めた。
>小池知事の「排除」発言、結党までの準備不足、前原元民進党代表の判断ミス…などなど。


>「こんなことなら排除されて立憲民主党にいったほうがよかった」

>「なぜこんなことになってしまったのか」「自分は巻き込まれてしまった」

これですから。
自分たちが「主体的に」立場の弱い人々を地獄に投げ込もうとしていた自覚など皆無。あの時点でも皆無であるのみならず、冷静に分析が可能となった今に至ってすらほとんど皆無でしょう。当然、立憲民主党の方が善戦した理由として、立場の弱い人々が地獄に投げ込まれる寸前であったのを、市民と共産党ら野党と民進内のまともな人がとにかく団結して何とか止めに入ったから、といったようなことを全く踏まえていないのは明白です。ただ単に、隣の船は沈まなかったからそちらに乗りたかった、というだけ。
差別政党で国会を埋め尽くそうとするたくらみなど、失敗してもらわなければ困ります。それ以外の「理由づけ」を試みる連中は、最初から立場の弱い人々のことなど全く考えてもいないのです。人間としての道理を少しでもわきまえているなら、今からでも地獄に叩き落そうとした被差別者らに謝罪しに行ってはいかがか。
こんな連中がどこに行こうが、国民民主党なるものを立ち上げようが、そんなものがまともな存在となるわけがありません。

国民民主党・玉木代表「高齢者就労のためには最低賃金以下でも働けるような労働法制の特例も必要」

その行き着いた先が、玉木氏による「コドモノミクス」や高齢者最低賃金適用除外といった異様な政策です。どこまで物が分かっていなければこういうことが言えるのでしょうか。
高齢者の最低賃金以下の労働は、高齢者に対する搾取であるのみならず、高齢者以外の人々の賃金低下や雇用縮小をもたらし、誰にとっても災厄にしかなりません。最低賃金水準の低さは散々指摘されており、底上げを行うことが必要とされているのに、なぜ未だにこういうことを平然と言えるのか。
しかも恐ろしいことに、「逆転現象を防ぐため、生活保護費との整合性も考えていきたい」とまで言及している始末。具体的に何をしたいのかは不明ですが、最低賃金以下の労働を作って人々を追い込んでおいて、そこからはじき出された人のセーフティネットまで奪い取るとすれば、全方位的に完璧な困窮拡大策です。
また、これと「コドモノミクス」を同時に主張するのも極めて不可解です。個人的には金銭的負担を緩和する直接給付自体を否定はしませんが、低すぎて結婚だの家庭だのどころではない賃金、職場の理解不足や保育所不足どころか大学入試の時点でさえ女性を切り捨てるほどの差別的分業思想かつブラック社会、ベビーカーを引いたり子どもを連れた女性に対する嫌がらせ(男性の場合はあまり嫌がらせを受けない)、重すぎる学費負担、増していく税負担、削られていく福祉に対する不安(本当に財源がないならまだしも、実際には無意味なバラマキをし、珍妙な兵器を買いまくり、お友達には国の財産を提供している)、その他これでもかというほど問題がある状況です。
ここに高齢者最低賃金適用除外が入れば、賃金や労働環境、雇用状況はさらに悪化するでしょう。その上で「子ども3人で1000万円」などと工業製品の生産報奨金のような政策を打ち出したとして、それを現実的な解だとみなす人がどこにいるのか。
もともと金銭的にかなり余裕がある人が、ついでとばかりに1000万円を獲得していくことはあり得るでしょう。一方、現状の危機に加えてさらに高齢者最賃除外制度の猛追撃を浴びせておいて、その上で1000万円で釣るという手法で無理やり出生率を上げようとしても、草花にまず強力除草剤を浴びせてからジャブジャブ水を撒くようなものですし、仮に思惑通りにいくケースがいくらかあったとしても、格差の世代連鎖がさらに起きやすくなるのは見えています。

結局、政治家が最も見なければならないものを完全に無視しているから、小池ヘイト党騒動から現状の国民民主党の有様まで、ことごとく何か異様にズレたことが起きるわけです。被差別者ら立場の弱い人々を散々踏みつけて好き放題に夢を見たのですから、もうこれで十分でしょう。

2018-08-25 の記事 - 2018-08-25
東京五輪メダル「銀」まだ足りない、小中学校でも回収へ

もう末期状態。資金はあるのに市民に金属を拠出させ、「ボランティア」とやらを募り、市民に何らかの負担をさせたり金を渡さないためならいくらでも金を使う。狂気というものを見せつけられている気分です。
こと安倍内閣になってから言葉が次々と破壊されていますが、言葉というものの本質に立ち返るなら、東京オリンピックに関するボランティアはすべて「タダ働き」または「無賃労働」と言い換えるべきでしょう。
例えば災害が発生した場合、被災者が自力で問題を何とかしようとしても人手が足りませんし、被災者の多くは人を動かすほどの潤沢な資金を持っているわけでもありません。したがって、報酬によらずにそれを手助けするのは「ボランティア」と呼んで間違いないでしょう。
しかし、オリンピックの場合は実にバカげたことに資金をジャブジャブ使い、恐ろしい規模の無駄遣い五輪になっているのです。労働力に金を出すのは容易なのにタダ働きさせようとしているのですから、これは「無賃労働」と正しく表記すべきです。
金の無駄遣いであるばかりか、労働力をタダとみなすなどの異常思想や狂った精神性を浸透させ、有形のみならず無形の部分でも甚大な被害をもたらすオリンピックなど、当然ながら直ちに返上すべきです。

「申し訳ないがまずは共産党は除いて」国民民主・玉木氏

私は、在特系講演会に出るほどの稀代のレイシスト・小池氏に党を売り渡し、それにより二大ヘイ党制を作ってマイノリティの平穏な生活を破壊しようとした小池ヘイト党騒動を絶対に許すことができません。しかも、その観点から反省する様子もない。泥水を飲もうが何しようが、国民民主党には入れたくないと言わざるを得ません。
支持率から言っても共産党の方が上。一方、小池ヘイト党騒動の成れの果てで、あの前原氏が所属し、肝心なところで裏切るなど、共闘支持者忌避剤としての効果が抜群の国民民主党。共闘の効率最大化のために、国民民主党を除いて戦略を立てた上、国民民主党には擁立撤回を判断いただけば結構です。

アジア大会:「買春、浮ついた気持ちで」バスケ4選手謝罪

色々な意味で「気持ち悪い」の一言。

あえてこのような言い方をしますが、彼らは単なる大会出場選手です。たかだかそのような存在に勝手に日の丸を背負うなどと言われても困りますし、日の丸とか何とか妙な自意識が薄気味悪い。何が悪いのか理解しているのでしょうか。
確かに本件は海外でも報じられており、日本の恥です。そういう意味では「日の丸」を汚していると考えても間違いとはいえないかもしれません。しかし、これは日本文化お得意の「叱られるからやめなさい」論法につながるもので、全く同意することはできません。
「叱られるからやめなさい」論法において、なぜそれをしてはいけないのか。叱られるからです。では、それをしてしまった結果としてどのような不利益が起こるのか。叱られます。このような循環論法じみた無意味なものに何の意味があるというのでしょうか。叱られるからダメならば、見つからないようにすればやっていいのでしょうか。「よくないことだからやめなさい」が正しいのであって、なぜよくないのか正しく理解されなければならないのです。そして当然、たとえ誰かに叱られることであろうとも、それが公正性の観点からして正当または不当性のない行為であるならば(例:公益通報)、やめる必要はありません。
本件も同様で、「日の丸を背負っているから」やってはいけないのではありません。「安易な買春は」やってはならないのです。もし「日の丸を背負っているのに」やってしまったというなら、それはつまり日の丸を背負ってさえいなければ、あるいはバレなければやっていいことを意味します。「日本の恥だからダメとされているのに、それをしたから日本の恥になった」のではなく、「よくないことをしたから結果的に日本の恥」であるだけのこと。
(なお、私はセックスワーカー自体が差別されたり排除されることはあってはならないと考えますので、あらゆる売買春をすべて問題とはみなしません。十分な選択肢の中から自由意志でセックスワークを選択し、いつでも他の選択肢を選択できる中でそれを継続し、人権や健康が保証される限りにおいて、それは本人の自由だろうと考えます。
今回の場合、日本代表選手が日本よりもまだ経済力が高くない途上国で、セックスワーカーの権利などといった点に無頓着な買春を行い、経済格差に基づく一種の性的搾取を平然と行った点が大いに問題であると言わざるを得ず、このような人権的・搾取的問題をはらんだ買春について、ここでは便宜上「安易な買春」と表記します)

彼ら問題となった選手に必要なのは、日の丸がどうたらではありません。日の丸を汚しているというなら、彼らより安倍・麻生・杉田水脈・山口敬之といった連中や在特会などのレイシストの方がよっぽど悪質で被害も上です。先日の人種差別撤廃委員会での醜態などは、まさに日本の恥と呼ぶにふさわしいものですが、どういうわけか選手ほどに叩かれてはおらず、日の丸がどうのこうのという理由付けは極めて不可解で意味不明なものであることが分かります。そういうよく分からない理由で問題の選手が反省し、また彼らを処分したり責めたりするのは、もっと異常で悪質な連中をどうにかしてからでよろしい
それよりも彼らに必要なのは、自分が何をしたのか、なぜそれがいけないのかを十分に理解させることです。間違っても「背負っていた日の丸」を汚したから反省せねばならないのではありません。そして、どうやら彼ら以外の少なからぬ日本人も、なぜそれがいけないのかを学ばなければならない状況にあるようです。

2018-08-18 の記事 - 2018-08-18
自称プラントハンターによる「星の王子さま バオバブの苗木」、大炎上により販売中止に

この件。プラントハンターを名乗る炎上芸人による「法には触れない」を悪用したモラルハザードが可視化された例でしたが、結局取り扱いは取りやめとなったようです。

通常、法律は社会の何もかもを取り締まるようにはできていません。それをやってしまうと自由が損なわれますし、社会にとって良いことはありません。ただ、「法にはいちいち書いていないが、すべきでないこと」は当然ながら存在します。
例えば、とあるファンドが法の抜け道をついて株を買い進め、グリーンメールを仕掛ける。ブログや動画でヘイトデマを垂れ流し、それを商売とする。ある出版社が著者に白人を起用して「ハク」をつけた上で、ヘイト本を売りさばく。法的に問題ないと称して男性の集団が女性専用車両に乗り込む嫌がらせをし、時には注意してきた女性を晒し上げ、それを動画にして視聴数を稼ぐ。著作権が切れた有名な物語を捻じ曲げて用い、炎上商法によって注目を集め、ただの苗木に物語代を乗せて高く売る。いずれも「(直ちには)法には触れない」案件です。
このようなモラルハザードが平然と横行すれば、それを法律や条例、あるいは自治体や企業・共同体の規則などで規制する必要が出てくる場合もあります。本来であれば良識で避けることができるのに、一部の不届き者がふざけたことをやるがためにシステム的に縛らざるを得なくなれば、それは社会にとっての損失です。といっても、日本では政府が完全にモラルハザードを起こしているので、それ以前の問題かもしれませんが。
したがって、法的に問題はなくとも、良識に反していたり、他人に対して不当な苦痛を与えるなど、公正性に反する場合には、市民の言論活動などによって止めることが必要になる場合もあります。分かりやすい成功例としては、レイシストへのカウンターやヘイト動画通報などを挙げることができるでしょう。いずれも根絶には至らずとも、その規模を大きく減じることには成功しています。

では今回のような炎上商法が行われた場合、どのように対抗するのが効果的なのか。私が知る限り、最も良いのは徹底的に炎上させて燃やし尽くしてしまうことです。
長谷川豊氏は「透析患者は殺せ」で炎上を仕掛けましたが、燃やし尽くされてレギュラー番組をすべて失い、しかも維新から出馬するも強い反発を呼ぶばかりで、結局落選。杉田水脈氏は安倍政権の本音担当として差別を垂れ流し、その異常思想によって名を売りにいった結果、徹底的に燃やされて自民党ですら形ばかりながら「指導」をすることになった上、「生産性」をめぐる余波は今なお続いています。
このプラントハンターを自称する炎上芸人はかつてクリスマスツリーでやらかしましたが、今回の件でももともと炎上必至のやり方に加え、以前の大炎上で作られたコークスに今回の炎が引火して高温化した側面もあり、徹底的に燃やされた結果として販売は中止。氏は「危険物件」として広く認知されるに至ったことでしょう。

NEWSの窓:メディア 差別と闘う 「どっちもどっち」は無し

おっしゃる通り。ただ、これを書いた人は分かっておられるとしても、分かっていない人間がこの新聞社内も含めてゴロゴロいるようですが

どっちもどっち論。マスメディア上で多く見られるのは、無理やりな両論併記であったり、「とされる」「とも取られかねない」といった「そう取る奴が悪い」と言わんばかりの表現であったり。また、どっちもどっち論を誘発する不正確な表現として「ヘイトスピーチ(憎悪表現)」も散々使用されてきました。これらがどれほど著しく公正性を毀損してきたことでしょうか。
例えば、最近でも杉田氏のLGBTヘイト、東京医科大学の女性差別など、日本で差別を見ない日はありませんが、これらはいずれもただの差別です。「差別と取られかねない」などではなく「差別」です。理由をつけようが何しようが、単なる差別です。そして、杉田発言についてしっかり許されないと明記しているのが、こちらは読売新聞の子ども用コーナーという笑えなさ。毎日といい読売といい、どうして子どもコーナーでは正しい説明が書けるのに、大人が読む部分では全く話にならないのか。
子どもに「それなら、許されない発言をしているような人や政党について、なぜメディアはまともに批判し戦おうとしないのか」と問われて、答えられるのでしょうか。

ここに「○○人を皆殺しにしろ」と主張する者がいます。そして、それに対して「そんなの許されるか」と反対する者がいます。これがどっちもどっちであるとしたら、ではその中間点はどこでしょうか。両論併記をするとしたら、その落としどころはどこでしょうか。「○○人を皆殺し」と「それは許されない」の間からどの点を選んだとしても、100%留保なしの「許されない」を選ばない限り、「○○人をある程度なら殺していい」ということにならざるを得ません
差別には明確な力関係の差が存在します。力関係の差がなければ差別にはなり得ず、差別問題を考える上では常にこれを念頭に置かなければなりません。
力関係が違う以上、差別の構図を放っておけば被差別者が一方的に蹂躙されます。ひ弱な子どもと老人が屈強なヤクザの大軍に絡まれ、必死で抵抗している、という場面があるとして、これを「ケンカはどっちもどっちだ」と放置しておけば弱い側が容易に蹂躙されるだけです。おまけに、この場合のヤクザとはすなわちマジョリティの力を背景にした存在であるわけですから、自分がマジョリティである限りは自分もヤクザに力を貸している側となります。
つまり、「止める」以外の選択肢はすべてヤクザに味方することと同義です。自分も差別に加わるか、どっちもどっち論などで中立を気取るかの違いは、自分もヤクザに手を貸して蹂躙を手伝うか、自分は手を下さずヤクザに汚れ仕事をやってもらうか、ただそれだけの差でしかありません。
さらに恐ろしいことに、マジョリティの一部はヤクザに襲われている弱い立場の人々が涙を流して耐えている間は「おお、ひどい話だ。かわいそうに」などと言ったりするくせに、彼らがもう殴られたくないからと抵抗したり身を守ろうとしたり、社会に苦境を訴えたりし始めた途端に「逆らうのか?生意気だ!でしゃばるな!」などと言い出したりします。要するに、被差別者が従順である限りは二級市民扱いくらいならしてやる、という極めて差別的な態度を取るわけです。
しかも現状で運よく特権階級側につくことができた名誉一級市民の被差別者が差別側に同調する、という地獄絵図もしばしば繰り広げられます。

こうしたものに対して、メディアは「NO」と言う責任があります。差別は差別であると述べ、差別者の攻撃と被差別者の抵抗を「どっちもどっち」にせず、不公正な両論併記は行わず、また従順であることを条件とした二級市民認定なども正しく差別と断じなければなりません。
しかし実際はどうでしょうか。立場の弱い人々を権力などの巨大な力から守るため、それに匹敵するほど大きな力を与えられてきたメディアが、権力や社会の差別と手を組み、強大な力を用いて弱い立場の人々を蹂躙する場面を、一体何度見せられたことでしょうか。新聞が強い者の味方をして弱い者を叩き、テレビで被差別者を面白おかしく蹂躙し、大手出版社さえも売れるからとヘイト本を出す絶望的な光景を、今までどれほど目にしてきたことでしょうか。それがマジョリティ側の人間から見ても最低劣悪な光景であるならば、マイノリティにとってはどれほどの恐怖や絶望でしょうか。
子どもコーナーに書かれる、すなわち子どもでも十分理解できるようなことを、大人はなぜできないのか。このような状況は恥も恥、子どもにも笑われてバカにされるほどの大恥だと考えるべきでしょう。

2018-08-11 の記事 - 2018-08-11
森氏、サマータイム再度要望 首相「内閣としても検討」

バカじゃないの?

捏造・改ざん・もみ消し・ヘイト、何でもありのこの異常な政党・内閣はいつもこれです。しかもオリンピック自体が老人の道楽同然に招致が開始された大義のないもので、こちらもまたロゴから競技場から何もかも大騒乱。現代日本におけるこの2つの巨大ゴミが合わされば、大惨事になることなど分かったようなもの
さすがに実際には導入されないと信じたいところですが、この内閣は国民を苦しめることであれば何をやってもおかしくありませんし、たとえ回避されてもこんなものが検討されることからしてどうかしています。

なお、本件については自民党・安倍内閣支持者のうち、これが実現されればあおりを食う人々の一部も真っ青になっている模様。今まで他者を踏みにじる行為、異常で全く道理に合わないやり方を平然と支持しておいて、自分が被弾すると分かった途端に大騒ぎですか。散々支持していながら、LGBTヘイトの直撃を食ったら騒ぎ出した勝間氏でもあるまいに、恥という概念がないのか(無論、今までの行いを反省して転向する人がいるならそれは歓迎です。まずは踏みにじってきた人々への真摯な謝罪と、自民や在特周辺やその他ヘイト勢力への明確な不支持表明、そして贖罪の開始は最低条件ですが)。
今まで散々やってきたように、どんな滅茶苦茶な政策でも何の疑問も持たずに支持でもしていればよろしい。他人の首にかけた縄は平気で引っ張ってきたのですから、自分の首に縄が巻かれた時にも同じようにすればよろしい。
自分が支持してきた内閣の異常行為によって大災厄がもたらされたとしても、まさか内閣の異常行為に反対してきた「反日」どもの手を借りたりなどしないでしょう。親愛なる内閣のために自分らだけでデスマーチでもなんでもして対処すればいい。それで力尽きたら、終戦の日コスプレ大会でおなじみの某神社にでも祭ってもらってはいかがか。
本来、サマータイムに反対する人は誰でも「味方」のはずですが、捏造・改ざん・もみ消し・差別などの不公正の山に対して怒るどころか支持していた人間が「味方」になったところで何の役にも立ちません。どうせ自分は被弾しないが被差別者・困窮者などが大いに苦しむ滅茶苦茶な案が出てきたら、そちらは大喜びで支持することでしょう。そういう輩などいるだけ邪魔ですし、手を組めば余計悪い方に進むだけです。

東京五輪が待ち遠しくない

この状況下でよくぞこのような見解を書いたものです。そして、書いてあることはいずれもごもっとも。

ただ私としては、やはり「かかわってくるな」ではなく「返上しろ」と言いたいところ。
自分という視点で考える場合、確かにオリンピックが自分に一切かかわってこなければそれで十分です(実際には不可能でしょうが)。私の知らないどこかで勝手にやって、私に一切迷惑をかけず、勝手に終わって勝手に後始末をしてくれればいい。報道も、オリンピックが好きな人にはスポーツチャンネルやスポーツ紙を見てもらい、一般のメディアでは政治などの問題を扱う時間を一切減らさない。競技は国ではなく選手の競争としてのみ扱い、国としての闘争心を煽るような報道はしない。そうである限り、私個人はそれで構いません。
ただし、社会的な観点から見るとそうはいきません。このオリンピックには大義も公正性もなく、よって返上するのが社会のために必要であるからです。
国民の支持をろくに得られない状況で老人の道楽同然に立候補し、招致には疑惑が付きまとい、アンダーコントロールなるデマまで吐き、安価な五輪と嘘を言い、ロゴで大モメ、競技場で大モメ、共謀罪など悪法成立に活用、被災地を利用して招致しておきながら被災地からリソースを奪うことになり、卑劣にも学徒動員までもくろみ、ボランティア駆り出しのために休暇をずらすやら大迷惑の連続で、しかもそのボランティアとやらは単なる無賃労働、そして今度はサマータイムだの何だの。そこに大義は何一つありませんし、自己満足連中と利権連中のバカげた机上の空論によって一般の人々が苦しむだけです。
そしてオリンピックが終われば、そこで生み出された多くの財政負担と、散々無理が通されたことによる制度及びモラルの崩壊により、焼け野原同然の未来が待っています。

自分のことだけでよければ、「かかわってくるな」は最も容易な答えです。しかし、社会の観点から考えるならば、オリンピックは返上するしかありません。
開催されてしまった場合の大災厄に比べれば大したことはない違約金でも何でも払い、オリンピック予算は地震・豪雨・台風の被災地に振り向けたり、人道的な避難所設営用の設備を整えたりすればいい。
国際社会に対しては恥だとしても、オリンピック招致決定からここまでに積み重ねてきた恥、そしてこれから積み重ねる恥を考えれば、こちらも大したことはありません。そもそも、捏造・改ざん・もみ消し・差別・歴史修正内閣が国を動かし、ヘイトデモやヘイト議員が横行し、土俵はおろか入試ですら堂々と女性差別がなされている現状を超えるほどの恥はないでしょう。
後は「もう始めたことだから」「今さら文句を言うな」と言い続けて焼け野原まで行くか、途中で踏みとどまるか、ただそれだけです。

2018-08-02 の記事 - 2018-08-02
杉田水脈議員に自民党が指導 「配慮欠く」と異例の見解

差別及び優生思想を垂れ流しておいて、処分ですらなく単なる指導ですか。しかもその内容もどこかで見たようなアレ。配慮を欠くだの不適切だのではなく、「LGBTに対する著しい偏見及び優生思想の両方に基づく極めて悪質な差別」です。LGBTヘイトと相模原事件の犯人の優生思想が合体した悪魔のような議員など辞職させるのが当たり前。そうなると自民党議員はほとんど辞めることにはなるでしょうが。
ともかく杉田氏は辞職、二階氏と「先輩方」も厳しく処分。それは最低限必要でしょう。

>石破茂・元幹事長や小泉進次郎・筆頭副幹事長が相次ぎ批判するなど、波紋が広がっていた。

ヘイト発言で気分が悪い中、ますます気分が悪くなります。杉田発言に対する人々の反応は早く、LGBTでない人も「差別を容認してはならない」「生産性の思想を放置すれば、問題はLGBTにとどまらない」として即刻LGBTと連帯、あっという間に抗議を作り上げました。
ただの市民がそれぞれ動き、抗議を作り上げたのに、自民党議員として一定の責任を持つであろうこの世襲坊やはその間一体何をしていたのか。抗議の声が激しくなったので石を投げてみせただけ。おかしいと考えているなら、問題が出始めた時点ですぐに頑としておかしいと主張し、党に対応を迫るのが当然ではありませんか。それでも党が全く対応せず、差別発言がどうしても許せないなら、考え方が全く異なるのだから離党しかない。
当然、氏はそのようなことは絶対にしません。実際には差別を許せないと考えているわけでも、差別政党である自民党と思想を異にするわけでもないからです。

二階氏「大げさ、この程度の発言で」 杉田水脈氏巡り

杉田もろとも辞職しろ、ゴミクズ以下の議員が。

ところで、やはり先日の自民党前抗議がかなりの効果をもたらしているようですが、これに東京レインボープライドが参加したのは、そもそも当然とはいえ画期的なことであったといえるでしょう。

レインボープライドのような運動体は、表面上の「政治性」を嫌う傾向にあります。それを明確にするよりは、曖昧のままで済ませた方が運動の広がりがよくなるという読みがあるためです。
その結果、運動が「政治的」にならないように細心の配慮するという、実は最も政治的な立ち位置の下にこうした運動体は存在してきました。
そもそも現代社会の人間にとって、その生活はそのまま政治に関わるものですし、ましてやLGBTの人権擁護と制度上の差別の撤廃を求める活動が「政治的」でないことなどできません。すなわち、その活動を「政治的」でないものとすること自体が極めて政治的な打算の上で成り立ち、政治的な方針として機能していたわけです。
そして、それは確かに途中まではある程度上手くいっていました。もともとマイノリティの中でもかなりの人口を持ち、多くの人が漠然と肯定するであろう「(性の)多様性」を題目とし、日本社会の中でも注目を築き上げてきたLGBTは、各自治体や企業・学校などにとっても無視のできない存在となり、徐々に権利を勝ち取ってきました。
これはいわば、主張する側と受ける側の双方が「政治性」にフタをするという非常に政治的な駆け引きの下でなされたものであり、LGBT運動体の側は政治的立場はさて置いて、とにかくLGBT差別解消を申し入れ、受け入れる自治体などの側も政治的立場はさて置いて、「多様性」や「人権」を題目として啓蒙活動を行ったり、制度を作ろうとしたりしてきました。
運動が進んでいくにつれ、この「大人の関係」が上手く回らなくなる(いずれ運動体の側は自らの「色」に自覚的になり、受け入れる側もより積極的な観点から差別解消に動くようになる必要がある)のは時間の問題でもありましたが、ともかく政治や自治体・企業・学校などの側としても、本音はどうあれ多様性や人権を表立って非難するわけにはいかず、とりあえずここまでは歯車がかみ合っていました。
しかし、ここで異常な政権である安倍政権の、しかもその異常思想を垂れ流すスピーカーとしての役割を持った杉田氏が、大変なことを言い出しました。彼らにとっては「多様性」も「人権」も、本音どころか建前の上ですら守る必要がないと考えているものですから、この場で「大人の関係」の構図は一瞬にして壊滅することとなりました。

こうなってしまっては、レインボープライドの側も決断を迫られます。そして、彼らは差別や人権、そしてその政治性などを十分理解している運動体のはずですから、抗議に参加しないことは、参加することよりもさらに政治的である事実を即座に認識したに違いありません。
例えば、政治家でも何でもないが影響力はある有名人なり企業・団体なりが強力なLGBT差別を垂れ流したとしましょう。そうすれば、LGBTの運動体はこれに抗議を出すでしょうし、一般にはそれが政治的と呼ばれることもありません。「透析患者は殺せ」の長谷川豊氏に関係団体が抗議を出したのと同じです。
ところが、それを垂れ流したのが自民党の議員であったならば、抗議することがその時点で「政治的」なものとなってしまい、自らを「政治的」ではないものと位置付けようとすれば抗議ができなくなってしまうのです。ただの有名人や団体などが相手なら抗議できるのに、それよりも責任が重く、実際に立法にかかわることができる議員へは抗議ができないとすれば実に本末転倒な話で、「政治的」ではないことの政治性をこれほど強く認識させられるものもありません。
結果、レインボープライドは抗議の道を選びました。妥当な判断でしょう。そしてまた、もはや「政治的ではない」という極めて政治的な立場を貫くことも不可能となった状況にとうとう直面したこれからが正念場であるといえるでしょう。

どのみち、それはいずれ必要な変化でした。
「LGBTの地位が向上するなら、それを訴える相手が人権を縮小しようとする勢力でもよい」「LGBTの地位は向上させるが、在日など他のマイノリティの差別問題にかかわれば政治的になるので関係しない」。LGBT運動を「政治的」ではないものとする代償が、このようなひずみを生んでいたのです。
例の「生産性」発言は、LGBTのみならず、障碍者やその他のマイノリティをはじめ、この社会のありとあらゆる人間に向けられた刃です。この腐りきった優生思想・差別思想を否定するのは、まさに人間や社会が持つ多様性に他なりません。
彼らが抗議で掲げたレインボーは、人種・民族・出自・その他あらゆる多様性の象徴であって、もはや単に性多様性のみを表すだけの記号ではないと信じます。
そして、これは本件だけに当てはまることではありません。「政治的」ではないという極めて強い政治性を帯びる様々なものは、いずれその皮肉な政治性と決別しなくてはならないのです。こと、政権与党が差別主義者として精力的に差別をまき散らす異常事態となってしまった現状においては、決してそれを避け続けることはできません。

2018-07-27 の記事 - 2018-07-27
LGBT:「生産性なし」自民・杉田議員の寄稿が炎上

さすがは事実上の当選保証によって自民党に引き入れられた自民党議員様。この上なく自民党を明確に体現していて、まさにゴミクズ以下の存在です。実際、ゴミクズは廃棄の必要があるなど負担になりますし、有害物質を含む場合すらありますが、能動的にヘイトを吐き散らして他人の尊厳を踏みにじり、その生命を危険にさらしたりはしません。比喩でもなんでもなく、杉田氏と自民党は本当に「ゴミクズ以下」なのです。
杉田氏の主張は相模原事件の犯人のそれと根底において全く変わるところがありません。しかも杉田氏によれば、大臣クラスの者も含めて先輩方から「間違ったことは言ってない」などと声をかけてもらえているとのこと。
悪質な差別主義者として知られる杉田氏を議員にし、差別推進の急先鋒として活用し、実際にヘイト発言をした時にも止めるどころか激励する。これが正真正銘の自民党の本音であるわけです。異常者の、異常者による、異常者のための政党であるとしか言いようがありません。
そして、相模原事件の犯人と同じことを平然と主張する議員や政党を未だ支持する人間がこの社会にいるという事実が、そのまま被差別者を恐怖させ、生命の危険につながることを、これほど分かりやすく示している事例もありません。自民党や安倍内閣に関しては、もはや支持すること自体が加害行為であると言っても過言ではないでしょう。
これに文句がある支持者がいるなら、今すぐ自民党や安倍内閣に抗議活動でも何でもして差別をやめさせたらいい。どうせそんな者などまずいないでしょうが。立憲民主党が小林よしのりを呼ぶ、相乗りをするなどの行為に出た時に激怒したり(なお私は、立憲民主党が小林よしのりを呼ぶような態度を改めない限りは同党を支持しませんし、比例票も入れていません)、共産党が募金デマを流されたのになあなあな態度を取るのに対して「ちゃんと訴えろ」と怒ったりと、各党の支持者は支持できないことにはきっちり怒っていますが、自民党支持者は自民党に差別をやめてもらっては困るわけですから。

LGBT:二階氏「人生観いろいろ」 杉田氏の寄稿静観

ほら、この通り。差別という他人の尊厳・人権を否定し排除する攻撃行為に及び、それも相模原事件の犯人と同じような選別思想を主張してみせた事実は、到底「人生観」で片づけられるものではありません。ところが、それは自民党にとっては「人生観」だと。やはり自民党は異常者の集団のようです。

あらゆる人には人権があり、人として尊重される権利があります。尊重されなくていい人間、排除されていい人間などいませんし、それを選別する権利を持つ人間もいません。
ただし、それにはただ1つ、「他人の人権を尊重し、それを踏みにじらない限り」という条件がつきます。
例えば、「○○(属性)の者を(相対的または絶対的に)尊重する必要はない」などとして、他者の尊厳を奪い去り、排除をしようとする人間が現れたとしましょう。
「○○」と「○○を排除しようとする者」、この両方を尊重することはできません。すなわち、「○○を○○という理由で排除する(例:障碍者を障碍者という理由で、LGBTをLGBTという理由で、他民族の人を他民族という理由で、女性を女性という理由で排除する)」か、「○○を排除する者を排除する」か、必ずどちらかを選ばなければなりません。
これに中立や妥協点はありません。例えば「○○を皆殺しにしろ」と「それは許されない」の中間点は「○○をある程度なら殺していい」ですし、妥協するなら「○○をこれくらいの人数までなら殺していいとして手打ちにしよう」となりますので、どのような点を中間点もしくは妥協点にしようとも、それはすべて排除側を尊重し、○○の側を否定することを意味します。
当然ながら、人を人として尊重しようとするならば、排除する者を排除することになるでしょう。障碍者・LGBT・特定の人種や民族・女性などはその属性を自分の意思でやめることはできませんし、それを理由に排除するなどというのは「死ね」と言われるも同然です。一方、排除する者が人として尊重されたいのであれば、今すぐ排除をやめて償いを始めればよいだけで、両者の立場は全く異なります(実際、反省を口にして改善に動き始めた元レイシストを、被差別者自身も含む反差別者が「まだ信用はしていない」と言いつつ気にかけて世話を焼くといった光景も、この社会では見ることができます。まさに暗黒時代の灯火のような光景です)。
「○○を○○という理由で排除する」ことを止めるためには、杉田氏や自民党連中、レイシストなどは排除されなければなりません。

はっきり言って、杉田氏や自民党をこのままにしておけば、この社会に存在するいかなる人間も無関係では済みません。彼らが「生産性がない」と認定しさえすれば、それがいかなる属性の人間であれ、どのような目に合わされてもおかしくないのですから。
例えば、平均値以下の人間であれば「相対的に生産性がない」とみなすことができるでしょうが、格差が非常に拡大したこの社会で、平均を上回れて「生産性がある」人間がどれだけいるでしょうか。あるいは、誰しもいずれ年老いますし、明日にも病気や交通事故で倒れ、障碍が残るかもしれません。地震や津波、豪雨などの災害によって生活を薙ぎ払われることもあり得ます。子を持たない人、持てない人、経済的に無理という人、すなわち生殖の面で「生産性がない」人も非常に多いでしょう。
こうして「生産性がない」人間を順番に排除していけば、それまでは「生産性がある」とされていた人の順番も間もなく回ってきます。ダルマ落としの1つ上のブロックが、一番下のブロックをゲラゲラ笑って、あるいは「お前がどうなろうと知ったことか」と言わんばかりの目で見ている、というのはなんとも滑稽な風景ではあります。
自民党が次に「生産性がない」認定をし、社会から排除しようとするのは誰か。あなたです。ホモセクシャルの人間が否定されようが、彼らが「生産性がない」認定されようが関係ない?あなたはダルマ落としではその1個上のブロックでしかありませんが、なぜ彼らを無視したり、笑えるのでしょうか?

ところで、先日LGBTであることをカムアウトしていた勝間氏が、本件の自民党の対応について文句を言っているのを見かけました。経済系のヘイト党支持者が、差別したい系のヘイト党議員らに横っ面を張り飛ばされて怒っているというなんとも皮肉な展開に。
そんな党を散々支持してきた結果、今までどれだけのマイノリティがこの党と内閣にぶん殴られ、魂を殺されてきたか、これを機によくよく認識すればよろしい。といっても、それが認識できるなら、最初からこんなマヌケな有様にはなっていないかもしれませんが。この党が在日や困窮者などをぶん殴っている時点では喝采を送っていたら、次はLGBTである自分の番がやってきた。最初から起こるべくして起きたことではないですか。
ともかく、自分が張り飛ばされる番になってから文句を垂れても遅いのです。繰り返し言いますが、この次に排除されるのはあなたです。

2018-07-21 の記事 - 2018-07-21
小1男児が熱中症で死亡 校外学習中に「疲れた」訴え

相次ぐ学校熱中症問題。これらは直接的には厳しい気候によって引き起こされたものですが、実際には猛暑は問題が顕在化したきっかけにすぎません。
学校は事実上の治外法権であるというのが日本の常識であり、例えば街中で子どもを殴れば逮捕されるところを、学校内で教師が犯行に及べば大抵の場合は逮捕されない現実があるわけですが、これと厳しい気候条件がかみ合えば何が起こるか、容易に想像できようというものでしょう。
結果、体調不良の6歳児を炎天下に引き回して殺したり、校舎の周りを80周させるデスマーチを命じて殺そうとしたりといった大変な事態となり、さすがにこうなると学校の外に対して事実を公開せざるを得なくなり、外部から見ると異常としか言いようがない状況の一部がようやく表面化し、世間を唖然とさせることになるのです。

運動部のみんな、熱中症「無理」「もうダメだ」の勇気を

書かれていることは正しいにせよ、意味のない記事です。
なぜ学校で熱中症が起こるのか。「暑いから」ではなく「構造的な問題があるから」です。
差別やセクハラなどの問題にある程度詳しい人にとっては自明なのですが、このような場合には構造的な力関係の差が必ず背景にあり、それゆえにデスマーチの末に倒れるといった、普通に考えれば無理でダメなことが発生してしまうのです。
そしてこの場合、「被害者」側に呼び掛けることは良くて無意味、悪くて有害です。例えば差別ならマジョリティ側の問題ですから、被差別者に何かを要求してはいけませんし、セクハラなどの問題なら被害者本人が戦うことは当然自由ではあるものの、戦うことを強要する権利は誰にもありません。
また、本人が戦わなかったからといって侵害行為がより軽いとみなされることがあってもいけません。よくある「嫌ならなぜきっぱり拒絶しなかったのか?」はまさに被害者に責任を転嫁するワードでしかなく、「力関係のために拒絶できないから」に決まっています。
学校の熱中症問題もこれと同様です。記事を書いて切り込むのであれば、力関係の弱い「被害者」に「拒絶しろ」と言うのではなく、この力関係の構造にこそ切り込まなければならないのです。

今回の熱中症問題は、学校内で平然と行われている異常事態を表面化させるきっかけとなりました。
であるならば、熱中症への直接的な対策はもとより、この構造的な問題を解消していかなければ、似たような問題を今後とも何度でも繰り返すことになるでしょう。例えば根性論によるエアコン設置・稼働の否定は、別件でも根性論によるトラブルを引き起こすことが目に見えています。

「ニュース女子」で人権侵害、在日女性が「DHCテレビジョン」とジャーナリストを提訴へ

どこからどう見てもヘイトデマの塊である異常な放送をしていながら、不完全極まりない謝罪に至るまでにすらこれほど時間がかかりますか。

権力とは巨人のようなもので、その気になれば無力な個人など簡単に踏みつぶしてしまうことができます。そこでメディアには、彼らが暴走しないように監視し、万が一暴走した場合はそれを止めるため、巨人に匹敵するほどの力が与えられています。政府が沖縄や女性、朝鮮人などを踏みにじっているのに、メディアが一緒になって踏みにじるとはどういうことですか
同様に東京新聞も問題です。無論、会社の者が言論活動をすることは自由でしょうし、それが会社の方針と食い違っているからといっていちいち処分してはならないでしょう。それがデマやヘイトスピーチである場合を除いては。「東京・中日新聞論説副主幹」の肩書で箔をつけてヘイトデマの銃を乱射したのですから、責任ある企業としては厳しく対応しなければなりません。
あんなヘイトデマが何をまかり間違ってか電波に乗ってしまったのは、それ自体が驚愕すべきことですが、責任ある立場のはずのMXや東京新聞といったメディアがとことん誠実に対応しなかった事実はますます驚愕に値します。
DHCのようなヘイトデマ企業が発生してしまうのは、残念ながら完全には防ぎようがありません。その卑劣なヘイトデマを右から左に垂れ流し、まともな謝罪も対処もしないメディアの問題は極めて深刻です。

なお私は、表現の自由は公共の福祉による制限を受け、他の権利との兼ね合いの上でのみ認められるものと考えていますが、表現の自由を至上主義的に重んじるとすれば、実際にはこのようなヘイトデマこそ徹底的に非難し排除しなければなりません。
例えば、経済活動の自由が最大限尊重されるとして、「ニセ札を製造する自由」「良くて無意味、悪ければ危険物入りのニセ商品を偽って売る自由」は経済活動の自由として容認すべきでしょうか。それを問題視する人々に対して「ニセ札やニセ商品に文句があるならば、それをやめさせるのではなく、自分が正しいと考える経済活動によって勝負を挑めばいい」と反論することは適切でしょうか。経済活動が自由だからと、細菌兵器や破壊兵器などの殺戮兵器、危険なドラッグなどを売りさばくことは適切でしょうか。
経済活動としてニセ札やニセ商品の自由を認めれば、経済の信頼性が破壊されてそれ自体が成り立たなくなり、経済活動のためには殺戮兵器を売っても何をしてもいいとなれば社会自体が破壊されます。
表現の自由を守ろうとするなら、デマをまき散らし、人権を侵害し殺戮などの大惨事をも招くヘイトスピーチをまき散らすことには非常に厳しくなければならないのです。

2018-07-15 の記事 - 2018-07-15
豪雨災害。今回ばかりは自民党は少々失敗してしまったようです。

この場合の自民党にとっての最適解とは何か。無論、災害対応など放り出して外遊に行くことです。普通、そのようなことをすれば大批判を受けて政権の致命傷となりますが、残念ながらここは日本です。自国内だけでは飽き足らず、わざわざタイの救助された人々に対してまで自己責任論に基づく中傷をしなくては気が済まないような魑魅魍魎であふれた場所なのです。
文句を言ってくる者がいれば「災害を利用するな」とわめきたてて黙らせ、子分のレイシストどもにくだらないデマを垂れ流させ、被災地からの声として批判する者があればその個人をつるし上げて「攻撃指令」を出すことで黙らせ、かつそれを見せしめとすることで他の人も同様の発言をできないようにし(これは実際に世耕氏が実行)、最後に朝鮮辺りへのヘイトでも垂れ流せばよい(これも実際に片山氏が実行)のです。
少しでもまともな神経をした人々は、最初から安倍内閣など支持していませんから、まともな人々にますます嫌われたところで安倍氏としては痛くもかゆくもありません。一方、支持層であるレイシストは弱者いじめが大好きな連中なのですから、被災地など踏みつぶして喝采を受け、それに疑問を抱く数少ないレイシストにはエサ(差別)を提供してやれば万全です。
当然、謝罪すべきことなど最初から存在しません。批判してくる者がいるとすれば、それはすべて災害を利用した言いがかりであって、何一つ問題など存在しないのですから。
ところが、安倍氏は外遊を取りやめ、他の宴会参加議員も「誤解」を与えたなどとふざけた理由ではあるものの、陳謝らしき態度を取ってしまいました。ここは日本なのですから、異常なことを強弁した末に差別の一つも垂れ流せば簡単に片付いたところを、これは自民党にとって明らかな失敗であるといえるでしょう。

「在日朝鮮人だ」虚偽の投稿放置、ヤフーに削除命令

日本名物・在日認定。放置しておけば事実とされてしまいますし、かといって抗議したり裁判沙汰にでもしようものなら「在日朝鮮人とは恥なものらしい」などと言いがかりをつけられるという意味不明な状況なのですが、このような行為が許されない理由は以下の通り。

1.「在日朝鮮人」の語自体は単に属性を表す言葉でしかないが、レイシストはこれを属性を表す語ではなく悪口として使用しており、民族・国籍名を悪口の意で使うのだから著しいヘイトスピーチである。なお、民族・国籍名以外でも、単に同性愛であること、あるいは知的・発達・身体障害の有無を表すにすぎないはずの言葉が悪口として用いられることはしばしば行われており、いずれも当該属性に対する差別的言動である。
2.レイシストは「在日朝鮮人」の語を本来の意味ではなく悪口として用いているわけだから、これは発言を向けた相手に対する明確な誹謗中傷である。
3.単純にデマであるし、自分の本来の属性を否定され、別の属性であるかのようなデマを流されるのは、極めて非礼であって苦痛を受けるものである。例えば男性を女性、女性を男性扱いすることは一般に失礼とされる。
4.仮に本人が本当にその属性である場合でも、本人が公表したくないと考えている属性を勝手に公表してはならない。性的マイノリティのアウティングが代表例。ましてや、誰彼構わず「認定」して回るなどもってのほか。
今回の被害者は日本人で、国籍を証明できるので削除を求めることができたが、本当に在日であるならそれもできず、拡散を止める方法がない。現状の日本で在日朝鮮人であると発覚した場合、下手すると生命の危機にすらつながりかねないため、それを公表しないことには自己防衛としての意味がある。

要するに、在日認定というのは何がどうあっても問題で、絶対に許されない悪質な行為であるわけです。

>「人格的利益より、虚偽の事実を示した表現の自由を保護する理由は全くない」

全くその通りです。
ところで、今回はYahoo!が放置の責任を問われたわけですが、災害時デマの打ち消しに動いている人々を順番に凍結し、レイシストの差別は放置するどこぞのSNSに至ってはどれほどの責任があるでしょうか

〈時代の正体〉豪雨災害乗じ差別扇動 川崎の男性、デマツイート

ということで、どこぞのSNS。今回の豪雨でもしっかりヘイトデマが垂れ流され、しかも延々と放置されました

>ここ数年、災害のたびに会員制交流サイト(SNS)がヘイトとデマの「拡声器」として悪用されている。ツイッター社は利用規約でヘイト行為を禁じるが、違反投稿の削除などの対応は全く不十分。西日本豪雨でも「朝鮮人が暴動を起こすぞ。気をつけろ」「空き家とか崩れた家に入って窃盗しています。たぶん中国人です。見つけたら殺しましょう」と殺害を呼び掛けるツイートまでが放置され、拡散している。企業としての社会的責任の欠如は再三批判されても一向に改まらない。
(強調は引用者による)

もはや犯罪級でしょう。
いくらなんでも、このSNSにはさすがにつける薬がありません。ここで災害のたびになされている悪質な差別(虐殺)の扇動と、それに対する運営の事実上の加担姿勢、そしてデマの打ち消しを行う人々の方を次々と凍結していることなどを考えれば、重大な結果を招くのは時間の問題ですから、その前に会社をたたんで消え去ってくれることを願うばかりです。

2018-07-07 の記事 - 2018-07-07
女性政治家が晒されたここまでのネットハラスメント──なぜTwitter社はネトハラを放置するのか

ヘイトスピーチとアベノミクス=白井聡・京都精華大専任講師

今さら言うまでもありませんが、これらの記事に共通したり、合わせると読み取れることは次の2点。ほんのわずかでも知性や良識を持ち合わせている人ならば、まず間違いなくこの結論に至るということなのでしょう。

1.人種差別者、女性差別者、安倍支持者らはすべて同じ層の人物である。
2.Twitter社はほぼ意図的に差別を放置し、それに加担している。

日本の安倍支持者レイシストの異常性は世界にも知れ渡りつつあり(しかも海外で取り上げられるとわざわざ外国人に突撃をかまし、レイシスト大国・日本では通用しても外国では通用しない意味不明で異常な言説を並べ立て、自らそれを証明するおまけつき)、日本がもはや異常な領域に突入していることをつくづく認識させられます。

どこの国にもどうしようもない連中は一定数いるものです。路上で「○○人を殺せ」と吐き散らしたり、セクシズムに基づき女性に刑事事件となるような嫌がらせをしたり、デマブログを真に受けて懲戒請求を出したりする異常者の中の異常者は、どうあがいてもなくすことは困難でしょう。
ただ、日本において異常なのは、かなりの量の世論が土台となってそれを支えているという事実です。
つくづく述べていることですが、差別の対象となっている被差別者や困窮者にとって、世論調査での内閣支持率の数値はそのまま自分や家族を殺傷するかもしれない人間の数です。安倍内閣が差別を扇動していることはもはや常識ですし、文書改ざんからお友達の犯罪もみ消しから、カジノや無賃残業合法化や水道など政治に関してはボロボロ。国有財産をプレゼントした相手はヘイト教育を行っていたお友達。結局、この内閣には「差別」しかありません。
上記記事で触れられているように、強い経済政策の演出はそれ自体が諸外国ヘイトの道具として機能していますし、また日本の新自由主義は自己責任論と貧困者攻撃で構成されていますから、もともと差別と隣り合わせの存在です。事実、在特会は街頭でのヘイト活動の際、貧困を取り上げた番組に出演した高校生をも公然と中傷しています。
「差別」を第一の支持理由とするか、さすがに体裁が悪いので他の理由を取ってつけるかの違いはあれど、差別を踏まえることなくこの内閣を支持するのは不可能です。
そして日本社会は、かなりの数の国民からメディアなどまで総出で差別を推進することを選択しました。メディアや大手出版社までが異常な差別に立ち向かうどころかヘイトを作る側に回っていること、安倍氏のお友達のレイプ問題と被害者への異常な攻撃がBBCで報じられるのに日本メディアではほとんど無視されていることなどは、それを端的に物語っています。
要するに、実行犯は現状では一部でも、多数の人々(少なくとも内閣支持率と同数以上)が寄ってたかってそれを支えている、もっと言えば一部の実行犯に汚れ仕事をやらせて自分は潔白を気取っているのが日本なのです。
はっきり言って、安倍内閣や自民党を支持しておきながら潔白を気取っている連中に比べれば、それらに代わって実行犯となった挙句に訴えられて賠償金をたんまり支払う羽目になっている連中、街に出てきてはカウンターに容赦なく叱られて涙目になっている連中の方が、まだしも潔さという点ではマシです。

ところで、Twitterはもう差別増幅・ヘイトクライム製造装置としての役割を立派に、それも主体的に果たしていると考えて差し支えないでしょう。
私が恐れるのは、Twitterによって扇動された差別により、Twitterとは全く関係ない人生を送ってきた人がヘイトクライムの被害にあってしまうことです。そうした人にはTwitter社のためにリスクを背負わされる理由などみじんもなく、それこそ理不尽以外の何物でもありません。

2018-06-30 の記事 - 2018-06-30
私はサッカーに全く興味がありません。したがって、勝とうが負けようがすべては私とは一切交わることのない世界で起きたことであって、本来何の関係もありません。
が、しかし。日本が勝ち抜けてしまったのは非常に残念であると言わざるを得ません。
なぜか。災害と同様に、サッカーもヘイトに使われるのが日本の風物詩であるためです。
私はサッカーをヘイトに用いる連中が大嫌いです。同時に、サッカーの応援はしているくせに、そのサッカーによって引き起こされているヘイトに対処することもなく、見て見ぬふりをしている人々はもっと嫌いです。
花見でゴミをまき散らしたり、騒音を出したり、近隣住民の物を壊したり盗んだりという問題が起きれば、当然ながら近隣住民は憤るでしょうし、来年からは花見を禁止する措置が取られたとしても不思議ではありません。それに対して「マナーのない花見客がいたとしても、自分はそんなことしていない。花見の禁止は間違っている」などと言い立てても意味はありません。花見を禁止されるのが嫌ならば、少なくとも目の前でポイ捨てしている人間を見つけた場合に見て見ぬふりをしてはならないでしょうし、ゴミの清掃くらいはやるべきでしょう。
サッカーで増幅されたヘイトの被害にあうのは被差別者であり、後始末をするのは差別に反対する人々です。私のようにサッカーとは全く無縁の人間でも、後始末だけはしなくてはなりません。日本で起きたヘイトの始末は日本人が負うべき責任ですから、後始末をせねばならないのはまだしも仕方がないとしても、被差別者に至ってはとばっちりもいいところです。サッカーを応援するのは自由だが、最後まで責任を持ってくれの一言しかありません。

働き方改革法案 厚労委員長の解任決議案提出も与党は採決へ

>これに対し参議院野党第1党の国民民主党は「衆議院での審議時間を上回っており、採決の環境は整った」として受け入れる考えを示しましたが、立憲民主党などは、論点が残っており採決は認められないと主張しました。

国民民主党がいずれ対決を放棄して自民党をアシストすることは予想の範疇でしたが、よくもまあ。しかも、自民側の主張にも理がないとはいえないような問題で自民アシストに回るのならまだしも、結党早々にこんなインチキ法案でアシストに回るとは、絶望的なまでにセンスがありません。
その後の国民民主党の街宣では、怒りの声に対して「敵を見誤ってはならない」などと言っていたようですが、一番肝心なところで後ろから斬りかかってくる者はどう考えても最も厄介な敵です。
立憲野党はもう、国民民主党抜きでの選挙共闘体制を検討すべきでしょう。たとえ選挙で自民党に勝つことがより難しくなったとしても、共闘して国民民主党なんぞに議席を取らせてやったところで、自民党が取るのと「まったく」同じです。先の衆院選の時の小池ヘイト党と同等の存在とみなしてよいでしょう。違いがあるとすれば、小池ヘイト党がレイシズム志向型であるのに対し、国民民主党は新自由主義志向型である点だけです。
国民民主党のやり方に違和感を覚えている志ある所属議員は、早いところ立憲民主党に移ればよろしい。その残りは共闘相手ではなく打倒すべき相手でしかありません。

保守速報による在日女性への差別、高裁も認定 まとめは「2ちゃんと独立した別個の表現行為」

金額が少なすぎることを除けば、当然の判決です。
なにしろあの安倍氏がフェイスブックでシェアするようなサイトなのですから、そのヘイトの悪質さたるや推して知るべし。賠償がたった200万円程度では、桁が1つどころか2つほど足りません。
ただ、李信恵氏が苦痛をこらえ、多大な労力を割いて勝ち取ったこの判決は、今後の反差別のための大きなステップとなってくれることでしょう。

現在、ヘイトデマ商売界には激震が走っています。
というのも、弁護士の不当懲戒請求への反撃から派生して、YouTubeヘイト動画への大量通報活動が行われ、大量の動画・チャンネルが削除された上、違反とされることを恐れての自主削除をも引き起こす大戦果。ニコニコ動画がヘイト企業であるため、ヘイト動画自体をなくすことは難しいにせよ、少なくともYouTubeでヘイトを使って儲けることは困難になりました。
そこからさらに派生して、今度は保守速報などの差別デマサイトから広告をはがす活動がスタート。最初期に要望がなされたエプソンが優れた対応をしたことから弾みがつき、他の企業や広告会社も同様の対応をしたことから、ヘイトサイトから次々と広告が消えつつあります。

「こんな簡単で効果的な方法を、どうして今まで誰も気づかなかったのか」と考える人もいるかもしれませんが、実際にはこれと似たようなことはこれまでにも試みられてきました。ただ、今まではそれがことごとく上手くいかなかったのです。
ヘイトコメントなりヘイト動画なりをいくら通報しようと効果はなし。当然、ヘイトサイトに広告を出している企業に掛け合った人もいますが、「当社は差別はよくないと考えている」という模範解答的な返事が寄せられ、せいぜい契約期間終了後の対応を検討すると述べられるのみで、本当に検討がなされたのか、なされたとしてどのような効果があったのかも全く不明。当然、大勢に影響なし。
要望に関しても同様で、例えばYahoo!のコメント欄があまりにもヘイトまみれであることから、「まともに管理すべき。管理責任も負えないのならコメント欄は閉鎖すべき」と意見を送るなどしましたが、やはり効果は得られませんでした。Amazonなどといった著名な企業も含め、他の企業への要望も軒並み似たような結果に終わっています。なお、Twitter本社にも申し入れをしましたが、こちらは昔も今も将来も、何か対処をすることは永久にないでしょう。
現実の商業施設についても、街中のヘイトスピーチ現場の近隣に位置し、しかも外国人観光客によって大いに潤っている数店舗に対し、「これで外国人観光客が恐怖し、悪評が広まれば商業的なダメージも避けられない。せめて法務省のポスターを貼るなどしてほしい」と要望書を出したことがありますが、その返答は「差別はよくない。うちとしては何もしないけど」(要約)。なお、他の人は周辺の鉄道会社数社に同様の申し入れをしたようですが、ほぼ似たような結果であったようです。
こうした様々なことを今までに何人もの方々が行っていて、それでいて芳しい成果を得られたという話はほとんど聞いていません。
要するに、ヘイトスピーチがようやく社会問題として認知されてきた今だからこそ効果が生じているのであって、ほんの少し前までは鉄の壁にさえぎられていたのです。

そういう意味で、今回の判決の意義は非常に大きいものです。なにしろヘイトデマまとめサイトが200万円もの賠償命令を受け、おまけに「まとめているだけ」などの言い訳も明確に否定されているのですから。こうした事実はヘイトサイトとの契約企業などに要望を出す時に大いに役立ちますし、その事実を提示されてもなお不適当な対応ができる企業はあまり多くないでしょう。
すなわち、今回のYouTube・ヘイトデマサイト兵糧攻めの成功は、これまでの無数の人々による反差別行動の積み重ねなくしてはあり得なかったものですし、今回の裁判はその積み重ねの上にさらに大きな一歩を積み上げたわけです。
安倍氏や自民党、日本会議は、地道に差別の種をまき、肥料を施し、日本をおぞましい差別大国へと変貌させました(差別自体は昔から深刻ではあったが、街角で「○○人を殺せ」と叫び立てるようなデモが相次ぎ、一国の首相がヘイトデマサイトをシェアするような近年の状況はやはり異常)。対する反差別も、各地の大勢の人々による努力の末に、ようやく徐々に芽を出しつつあるのかもしれません。

2018-06-23 の記事 - 2018-06-23
大阪の地震で、またしても日本の風物詩が姿を現しました。ヘイトデマです。

地震でデマ情報拡散 “冷静に行動を”

災害時という社会が最も脆弱なタイミングを狙い、過去に虐殺を招いた実績さえある差別デマを流すのは、マイノリティの方々の生命を危険にさらし、人々や関係機関を混乱させて救助活動をも妨害する、極めて悪質な行為です。許容される余地は一切なく、厳しい対処がなされなくてはなりません。
ところが、災害のたびに毎回ヘイトデマや虐殺扇動行為の巷となり、それでありながら平時から何の対策も取らず、おまけに災害時にもほとんどデマを放置する、現代の流言飛語拡散装置たるSNS会社が存在します。Twitter社です。
しかも今回、ヘイトデマには「違反ではない」判定を下しながら、デマに抗議している有志には凍結などの措置を取るという異常行為にすら出ていることが確認されています。
無論、抗議側も必ずしも柔らかい言葉で注意しているわけではありませんが、災害の混乱時にヘイトデマを流す人間が強い言葉で非難されるのは当たり前です。それとも、災害時を狙ってヘイトデマを平然と垂れ流すような人間に対し、「お願いです、デマをやめてください」などと懇願しろとでもいうのでしょうか。デマをやめさせて削除させたり、他にデマを流そうとしている者を牽制したり、そのデマが拡散されないように手早く注意喚起するのが目的なのですから、それでは全く無意味です。
また、そもそもデマへの注意喚起と拡散阻止はTwitter社の仕事です。同社が急いでデマを削除し、デマを垂れ流すアカウントを処分し、公式に注意喚起を行うならば、有志がわざわざ時間と労力を割き、なぜか自分が凍結される危険を冒してまでデマに対処する必要はありません。

そして、その時にTwitter日本の代表の笹本氏は何をしていたかというと、サッカーがどうのこうの、ルイ・ヴィトンの広告がどうのこうの、サッカーでゴミを片づける日本のサポーターはスゴイ、などという実にどうでもいいことをツイートするばかりで、自分が代表を務めるSNSがヘイトデマの巷になっている事態への自覚はゼロ
こんなくだらないことをツイートする暇があるのなら、何なら口先だけでも「ヘイトデマを流したり、拡散するのはやめてください」「デマに対処するよう指示を出しました」などとアナウンスすればよいものを、それすらしようとしません。
netgeekの読者で、ヘイトスピーチに関する取材に対しては頓珍漢にもほどがあることを平然と語り、Twitter前抗議に出て改善を訴えていた在日の方にさえ愛想をつかされる、あの笹本氏に期待すべきことなど何一つありませんが、もう「差別はよくない」「自社のサービスを使って災害時ヘイトデマを流すことは許さない」といった建前を掲げる必要すらないと考えているようです。
ここまで来ると、もはや犯罪的な責任放棄企業と呼んでも間違いないでしょう。Twitter社がヘイトを放置して利益を得るために、Twitterとは全く縁もゆかりもない人が理不尽にも危険にさらされることを、私は強く危惧しています。

なお、災害時に悪質なヘイトデマが流れるのは日本の風物詩ですが、これは災害などの緊急時に何もない場所から突然出現するものではありません。普段から培養されていた差別の種が、災害時を好機として一気に芽を出しているに過ぎません。
例えば今回、災害が発生したのは大阪ということで、エセ政治学者の三浦氏が煽った「スリーパーセル」がヘイトデマの材料として用いられています。普段からこのようにしてエセ学者や悪質な番組がヘイトの地ならしをしているからこそ、災害時には容易にデマが発生し、しかもそれが一定の信頼性を帯びてしまうことになるのです。
この辺の事情はTwitterでも同様です。有事にこれ幸いとヘイトデマを垂れ流す連中は、その多くが普段から卑劣なヘイトを振りまいているレイシストです。
Twitter社は差別に対処する気を全く持っておらず、むしろ差別を培養して商売に用いている立場ですが、仮に同社が災害時に突如として差別はダメだと理解したとしても、おそらくヘイトデマに十分対処することは不可能でしょう。平時から培養し続けてきたレイシストが暴れ出しているのであって、災害時にだけ対処しても抑えきれるものではありません。
災害時の混乱に乗じたヘイトデマに対処するには、平時から差別の種をまくことを許さず、差別を封じ込めていくしかないのです。

普段から差別を許さず、ヘイトスピーチを取り締まることは、まさに社会という構造物における耐震工事です。災害に備え、平時より建物の耐震化、避難経路の確認、非常用物資の準備、ヘイトスピーチの撲滅などを行っておくことが極めて重要です。
そして、平時も有事もひたすらヘイトを煽り立て、それを止めようとする側を処分して回るTwitter社のような無責任ヘイト企業は、それによって取り返しがつかない事態を招く前に、一刻も早くこの社会から消滅することを望みます。

2018-06-17 の記事 - 2018-06-17
新潟県知事選。かなり絶望的な結果です。

無論、選挙結果自体が絶望的なのではありません。反差別者は今まで、「まさかあの自民がそこまではしないだろうし、する輩は党内が許さないだろう」に裏切られ、「いくら公明が権力の亡者になりさがっていても、さすがにそれは止めるだろう」に裏切られ、「民進がようやく野党共闘に動き始めた。ごく大まかな団結でいいから、差別に反対する軸を作れ」の矢先に小池ヘイト党への身売り。「差別議員を小池ヘイト党に引き取ってもらった立憲民主は対立軸を打ち出せるはず」は京都相乗りで打ち砕かれ、「小池ヘイト党や民進に所属せざるを得なかった志ある議員は立憲民主に加われ」の状況で国民民主党誕生。少々のことで絶望などしようがないわけです。
今回の選挙戦は予想よりもむしろ善戦していたほどですし、たかだか一敗でしかなく、いちいち嘆くようなことではありません。

では何が絶望的なのか。
今回、花角・自民党陣営は差別を全く隠そうとしていませんでした。自民党自体はもはや在特会と大して変わらない存在でしかなく、薄汚い差別主義者としての中身を「(伝統的な)自民」ブランドの服で覆い隠していただけでしたが、今回はとうとうその服さえも脱ぎ捨ててしまった感があります。
まず花角氏のTwitterアカウントはレイシストを何人もフォロー。露骨にもほどがありますし、政党色を隠してクリーンさをアピールしていたはずの花角陣営が、あえて自らに強烈な色をつける行為に出ることが驚きであり、それをすることが自身にとって有利になると考えた上での行動であったとしかみなしようがありません。
氏の応援に立った地元商工会の人物は「新潟に女性の知事はいらない」と演説。普通、このような発言は候補のイメージを下げるはずですし、陣営としてもこれが意に添わぬ発言であるなら「候補本人はこの発言を一切容認しない。極めて不適切であって、断じて許されない」などと必死でアナウンスするものですが、残念ながら花角氏の場合、このセクシズム発言が逆に票を増す方向に機能したことでしょうし、陣営もそれに自覚的であったものとみられます。
さらに、自民党は応援弁士としてどうしようもないデマレイシスト議員を何人も新潟に送り込みました。こうしたことからも、花角氏のヘイト戦略が陣営の暴走などではなく、自民党主導で明確に定められた方針であることが見て取れます。
また、これは花角陣営などが直接かかわったものではないのでしょうが、池田氏を貶めるために拉致問題を利用した卑劣なデマが、レイシストの手によって平然と垂れ流されました。たとえ陣営が直接かかわっていなかったとしても、レイシストを仲間にするというのはこういうことなのです。

この露骨なヘイト戦略については、さすがにあきれ果てて「自民党は新潟知事選を捨てたらしい。いくらなんでも人をバカにするにもほどがあるし、おそらく自滅するだろう」と楽観的な見方をする者もいましたが、一方で「いや、自民党はこれが効果的とみなしているからやっている。非常に厳しい選挙になる」と悲観的な見方をする者もいました。
私の見立ては後者でした。路上で「殺せ」を連呼する連中などいずれ消滅するだろうと楽観視していたら次々増加したことに始まり、書店や大手出版社にまでヘイトの浸食が及び、自民党がヘイトをすればするほど支持を集める構図など、到底信じられないような現実を散々見せつけられてきた以上、これを楽観視する要素はどこにも存在しないためです。
そして実際、悲観論は見事に的中します。
おそらく今後、今回のヘイト選挙の経験は自民党の選挙戦略に少なからず影響を与えることになります。安倍氏の支持率が下げ止まっていることを見ても、安倍氏や自民党の支持層はもう大半がレイシストであるとみなすべきで、レイシストでない層に手を広げても勝てるとは限らず、逆に徹底的にヘイトに振れば勝てることを実証してしまったのが今回の選挙であるわけです。
これからは自民党によってさらに露骨にヘイトが煽られ、社会はますますヘイト化し、多くの被差別者が踏みにじられることでしょう。たかだか野党の一敗などより、これこそが今回の選挙の結果がもたらす絶望的な点なのです。

では野党はどうすればいいのか。
レイシスト側のメディアなどはご丁寧にも野党の敗因分析をなさってくださっており、「野党が政権を批判していたので負けた」などと実に有難いアドバイスを提供しておられますが、普段あれだけ被差別者を徹底的に貶め、デマを垂れ流し、ヘイトを煽り立てている連中が、今回の知事選で急にスポーツマンシップに目覚め、野党のために一肌脱いで塩を送ってやろうなどと考えるわけがありません。
これはつまり「それをやられては困る」ということですから、国民民主党辺りがこれにつられて「現実的で建設的な対案路線の政治」などと散々言い尽くされて必ず失敗してきたことをまたしても言い出さないように注意しなければなりません。差別・文書改ざん・立憲主義の否定に温情も対案も存在し得ません。
ただし、このままで野党が勝てるかというと、やはり厳しいと言わざるを得ません。日本はおぞましいまでの差別大国であり、差別に反対する側を固めきっても差別側に勝つのは極めて困難です。しかし、だからといって自分も差別側に立つことは絶対に許されませんし、実際にそれをやれば小池ヘイト党の二の舞になるだけです。

はっきり言って、選挙の時に何かをするだけでは通用しません。普段から野党一丸となって全力で差別に対抗するしかありませんし、さもなくばジリ貧になるだけです。そして、何をやるべきなのかは差別カウンターや懲戒請求騒動が示してくれています。
レイシストは被差別者に対し、見るも聞くもおぞましいような異常な言動を平然と投げつけ、その命の存在や価値、生きる権利に至るまでも公然と否定し、人としておよそ許されざるような攻撃を仕掛けています。ところが、そこまで異常な暴挙に出る攻撃者でありながら、カウンターに激しく怒鳴りつけられたり、弁護士によって反撃を受けたりすれば、直ちに大狼狽して逃げ惑うような連中であることも判明しています。
であれば、野党が取るべき方法は1つ。まずは手始めに、デマやヘイトを垂れ流して不当な攻撃を仕掛けてくるレイシストに対し、刑事・民事による法的責任の追及を含めた徹底的で一切容赦のない反撃を浴びせることです。
これはそもそも、以前からその必要性を強く指摘されていたことです。レイシストは野党が反撃してこないのをいいことに、デマやヘイトで執拗に攻撃し、その延長線上で被差別者個人に対してもおぞましい攻撃を行っています。反撃できる力を持った者が反撃するのは社会の差別を減らすために必要な道であり、その者の社会的責任に他なりません。
自民党や日本会議らヘイト勢力は何年もかけて地道に差別の種をまき散らし、レイシストを培養してきました。結果、差別は空気のように当然に存在するものとなり、差別に加担しないことは政治的行為とみなされるという異常な社会となりました。野党もまた、レイシストを少しずつ押しつぶしていくという地道で面倒な努力を積み重ねてようやく、今すぐにとはいかなくても、徐々に有利な状況に立つことができるようになるのです。

民主主義の社会においては、より文化的で、より多様性を尊重し、より立憲主義を守る政治を選ぶことができます。その一方で、後で誰かのせいにしたり、騙されたなどと白々しいことを言わないのであれば、「苦しんで死ぬ」ことを選ぶのもまた自由です。言うまでもなく、差別に明るい未来はありません。被差別者の人権が無視され徹底的に踏みにじられる社会になったとして、被差別者以外の人権はきっちり守られる、などということは断じてあり得ません。
差別を一貫して否定しているにもかかわらず、その巻き添えを食うこちらとしてはたまったものではありませんが、それもまた社会の差別を止められなかったがための結果ですから、巻き込まれたとしても文句は言えないかもしれません。
ただし、その「苦しんで死ぬ」道を選んだ場合、まず最初に苦しんで死ぬ立場に追いやられるのは、外国籍などのため選挙権を持たない人々、あるいは障碍があるなどで選挙権を行使することに困難が伴う人々など、選挙によって自らの身を守る意思表示すらできない人々を含む、被差別者に他なりません。大日本帝国にせよナチスにせよ、差別で身を崩した国家は必ずそのような順序を経ています。
「苦しんで死ぬ」道を選ぶのは勝手ですが、「他人を苦しめて殺す」権利を持つ人間など存在しないのです。今回の知事選は、そういう意味で極めて理不尽な図式が一切隠し立てされずに顕在化した最初の選挙であったといえるでしょう。

2018-06-09 の記事 - 2018-06-09
アニメ化決定のラノベ、出荷停止 原作者が差別ツイート

人気ノベル:アニメ化中止 原作者の差別的発言を問題視

原作者の差別発言で主演声優全員一挙降板、「二度目の人生を異世界で」アニメ化中止で小説版は出荷停止に

上から下までおぞましい差別が横行する日本において、珍しく明るい兆しが見えるニュースです。
小説の筋書き自体がかなり問題のあるもののようで、この時点で嫌な予感しかしませんが、案の定作者の悪質なヘイトツイートが発掘され、結果として小説の出荷は停止され、アニメは声優が次々と降板した末に中止決定
こんな内容のものを販売する出版社、アニメ化しようとする関係者の価値観には理解しがたいものがありますし、倫理を問う以前に危機管理はどうなっているのかと強い疑念を持たざるを得ませんが、ともかく結局はこうなりました。
作者は「アニメ化も決定した人気作品の作家」から大転落。そもそもこんな危うい小説で一山当てられること自体がおかしい、というのはヘイト本が大売れする日本だから今に始まったことではないとして、ヘイトスピーチという不特定多数の人々の尊厳を踏みにじる行為に対しては、それなりの代償が伴うのは当然ですし、こんなものでは代償として全く足りません。たかだか小説の出荷停止とアニメ化中止ごときで釣り合うほど、人間の尊厳や人権は軽くありません。
自分がやった途方もない差別と向き合い、何が悪かったのか十分に理解した上で被差別者に謝罪、その上でまっとうな「二度目の人生」を差別が許されなくなった「現世界」で送るか、さもなくば二度と日向を歩くべきではありません。

ただ、今回の件は良い前例にはなるとしても、残念ながらこの程度の雑魚レイシストなら出版社もとっとと切り捨てるというだけの話でしかありません。
百田氏をはじめ、影響力が桁違いのどうしようもないレイシストがこれを上回るヘイトスピーチをしても、それどころか直接的に差別を扇動する本を執筆したとしても、まず切り捨てられることはありません。なにしろ講談社のような大手出版社までがヘイト本を喜んで刊行し、大手書店までもが喜んでレイシストのサイン会を企画するほどなのですから。
大物とみなされていようが、切ることによってそれなりのダメージがあろうが、レイシストが即刻切り捨てられるようになってようやく、少しはまともな社会になったと言うことができます。

ちなみに今回、またもTwitterが舞台なのですが、運営は社会的にこれだけ問題視されるようなヘイトスピーチを例によって今回も完全放置していたわけです。干されたヘイト野郎ともども、早いところ退場してはいかがでしょうか。公正な社会にこのような企業は不要です。

2018-06-02 の記事 - 2018-06-02
〈時代の正体〉「差別に触れさせたくない」ヘイト避け子どもイベント会場変更

>人種差別の扇動を繰り返し、川崎市のヘイトスピーチ対策の阻止を公言する極右活動家、瀬戸弘幸氏が6月3日に市教育文化会館(川崎区)で講演会を計画している問題で、同じ日の同時間帯に同会館で予定されていた子ども向けイベントの会場が急きょ変更されたことが28日、分かった。イベントを主催する川崎青年会議所(JC)は「差別し、人をおとしめる言葉を子どもたちに触れさせるわけにはいかない」と話している。

まず驚愕したのが「青年会議所」という部分。川崎のJCが比較的まともなのかもしれませんが、「宇予くん」やら、女体盛りやら、「ペットボトルが小さいから日本スゴイ」をやるやら、怒りを通り越して失笑するしかない「あの」JCが、ヘイトスピーチを嫌って会場変更したというのです。
JCならば全部腐っているとはいえないにしても、少なくともたびたびやらかしていて基本的な立ち位置は明らかになっているわけで、そこですらヘイトスピーチを嫌うというのは相当でしょう。
そして、JCであっても、しかもチラシなどで広報をした後でありながら、そのような判断を余儀なくされるほどならば、もっと差別とは無縁の人々にとってはどうでしょうか
これが差別の効果です。差別を野放しにすることは、それ自体がマイノリティの排除であると同時に、そうでない人々をも排除することになるのです。このことは、例えば不当懲戒請求問題で突如ターゲットにされた弁護士がいたことや、この川崎で起きた模造刀斬り付け事件、さかのぼっては関東大震災の虐殺で日本人も殺されたことなど、様々な事例が物語っています。
ちなみに今回、川崎市はレイシストに会場を貸し出す日時に、館内の他の空き施設を市民に貸し出すことを拒否する対応を取って批判を浴びました。リスクを避けるためとのことでしたが、市として差別主義者のためにそれ以外の人々を排除してしまったわけです。
差別を野放しにすれば、差別ではない側が追い散らされる。差別者か、差別者以外全員か、どちらか片方にお引き取りいただくしかないのです。

同性を愛するということ 勝間和代のカミングアウト

これを「本件に限っては支持する」とする人もいますが、私は全く支持しません。否定もしませんが。
現状の日本のファシズムは、外国ルーツの方々や障碍者、LGBTなどへの理不尽なレイシズムと、貧困や自己責任論といった新自由主義の2つによって支えられています。新自由主義によって苦境に陥った人々が、その怒りや不公平感をマイノリティに対してぶつけ、マイノリティを苦しめるような政策を含む新自由主義政策に拍手喝采し、新自由主義側はレイシズムを支持母体の1つとする、という構図は近年において延々と続いています。
勝間氏といえば、新自由主義寄りのファシズム側の人間です。LGBTについての言い分が妥当なものだからといって、他の属性への差別構造を作る政治を支持するような人間を、一体全体どうやって評価しろというのでしょう。これはまさにピンクウォッシュと同じ構図です。
本件に関しては、「LGBTであることは悪くないし、カミングアウトしたいならそれは自由なのでご勝手に。ただ、他の属性への差別構造とは手を切って不支持を表明し、差別を受けた人々に対して謝罪しない限り、評価には値しない」とすべきでしょう。
いい加減、稲田氏をはじめとする各地の魑魅魍魎が、マイノリティの中では一大勢力となったLGBTを利用しようとしていることについて、十分敏感になるべきです。あるマイノリティが懐柔されてレイシストやファシスト勢力の側につき、別のマイノリティ攻撃に利用されるならば、それこそ地獄絵図そのものです。

歪んだ正義感はなぜ生まれたのか…弁護士への大量懲戒請求にみる“カルト性”

背後にあるのはやはりこれ、ヘイトカルトです。

未だ一部には「レイシズム」と今回の「不当懲戒請求」を切り分ける動きがみられますが、これらは一体のものであって分離はできません。これを切り分けようとするのは、いわば「関東大震災の虐殺で、朝鮮人が殺されたのはヘイトクライムでも、間違って日本人が殺されたのはヘイトクライムとは一切無関係だ」と言い張るようなもので、論として全く意味を成しません。
本来なら攻撃を受けるような立場にないはずの北氏がとばっちりを食ったのは、まず攻撃対象の属性の人々が攻撃され、次いでその属性の人々を支持しているとみなされた人々の番がやってきて、北氏がそれに違和感を表明したら思想的に全く遠いはずの北氏の番がやってきた、という構図なのですから、これほどレイシズムの性質と脅威を端的に物語る図式もないでしょう。
当然、これは懲戒請求の制度にかかわる問題でもありません。相手が弁護士だから懲戒請求で攻撃しただけであって、別の立場の相手ならば別の方法で攻撃していたでしょう。
今回、標的にされた人々は大変な目にあわされたにせよ、生きて反撃もできています。しかし、問題のブログは民族浄化すらも扇動しているのです。もし本当に民族浄化のような事態に至ったならば、本来思想的にも標的とは遠いはずの北氏のような立場にある人も敵とされ、命をも脅かされます。そしてそれは、言うまでもなくレイシズムによるものです。

本件がヘイトカルトによってなされたものであると位置づけず、単なる懲戒制度の悪用または制度設計の問題であるとするならば、民族浄化扇動ブログの扇動に乗るような恐ろしい加害者らは「弁護士を攻撃すると面倒だ」「もっと匿名性の高い方法を使うべきだ」とだけ認識し、より立場が弱くて反撃できない人々を狙い、より安全な場所から、より熾烈な攻撃をかけるようになることでしょう。

2018-05-26 の記事 - 2018-05-26
日大の問題はまさに「日本しぐさ」とでも呼ぶべきもので、安倍政権が散々やってきたことやら、懲戒請求を扇動しておいて自分は請求を出さないことやらと類似した構図となっています。
メディアは権力と対峙する役割を果たすため、国民から多大な力を貸与されていますが、過ちは犯したもののそれを反省し、勇気を出して事情を話した前途ある若者の騒動に対しては、その強大な力を遠慮なく徹底的に行使するくせに、国家ぐるみで行われている大規模な日本しぐさはまともに報じないのはどういうわけでしょうか。
山口メンバーより山口安倍友メンバーの報道をすべきですし、新潟で遺族をいじめるならその力を国家的縁故主義汚職問題に対して使うべきですし、日大の日本しぐさを報じるなら国家ぐるみの日本しぐさを報じるのがメディアの役割です。

このところ、不当懲戒請求への反撃騒動から派生して、ヘイトスピーチを含むYouTube動画を大量に通報する「祭り」が行われ、大戦果を挙げている模様。
通報者の中にはいわゆる愉快犯(良いことなので「犯」は変ですが)もいれば、もともとヘイトスピーチの問題を深刻に考えていて通報に加わった人もいることでしょう。ともかく、これによってヘイト動画は大打撃を受け、いくつものヘイトチャンネルが規約違反によって閉鎖される結果となりました。
個人的にこのような「祭り」文化はあまり肯定できませんが、今回に限っては肯定的に評価しています。というのは、インターネットにせよヘイトデモにせよお笑いのネタにせよ、今まで「娯楽」として消費されてきたのは圧倒的にヘイトスピーチであり、アンチヘイトがある意味で娯楽として展開されることはかなり画期的であるからです。おまけに差別の通報という、いわばインターネット上のゴミ拾いとでも言うべき善良かつ王道の活動となっているのも良い点です。
格式張ってヘイトスピーチに反対しなくても、娯楽でも、笑いでも、祭りでも、身近なあらゆることが差別を許さない観点から行われる。これがまさに社会としての理想であり、真にレイシズムを許さない社会とはそういうものです。

ただ、YouTubeは通報によって削除するだけまだマシとはいえ、その罪は軽くないと言わざるを得ません。
今までYouTubeでは散々ヘイトスピーチ動画が垂れ流され、おまけにそれを日本のユーザーに対して「おすすめ」し、「韓国」「中国」の語や政治的・国際的な時事ワードなどで検索しようものなら地獄絵図という状況が続いていました。
私など、表示言語は英語、設定地域は英国、閲覧履歴は中国語の動画だけ、OSもブラウザも英語に設定していて、HTTP_ACCEPT_LANGUAGEではen-ukが先頭に出る状況でありながら、おそらく接続元が日本であるという一点だけで、DHCチャンネルやら各種ヘイト動画がおすすめとして表示されました。
大規模なサービスともなれば、すべてのヘイトスピーチを取り締まることは物理的に困難ではあるでしょう。しかしながら、有名なヘイト動画やヘイトチャンネルなどについては把握できないわけがなく、それらは大量の通報などなくても運営が責任をもって削除すべきものです。まして、それをユーザーに広くおすすめするなど論外で、これによってもともと差別とはかかわりがなかった人々も差別動画を見ることになり、ヘイトスピーチの拡散に大いに貢献したであろうことは想像に難くありません。
有名なチャンネルなどが堂々と差別を垂れ流しにしていれば、その拡散力は圧倒的なものとなりますし、他のユーザーにも「あんなに有名なチャンネルが差別をしても問題になっていないのだから、自分もやっていいに違いない」と認識させることになります。最低でも有名どころはしっかり取り締まるのは運営の社会的責任であって、その程度の責任も果たせないなら社会の害悪でしかなく、業務をたたんで撤退すべきです。

ただし、重ねて言いますが、YouTubeは通報によって削除やチャンネル凍結がなされただけまだマシです。どんなに悪質な、それこそ罰則付きのヘイトスピーチ禁止法がない日本ですら警察のご厄介になるようなヘイトスピーチでさえ、全く野放しにされているサービスが存在します。それも匿名掲示板ではなく、一応は責任ある世界的企業が運営しているはずのサービスで。

ヘイト投稿繰り返しか 書類送検

>川崎市に住む在日コリアンの女性に対し、ツイッターで差別をあおるヘイトスピーチや危害を加えるとする投稿を繰り返し行ったとして、50歳の男が脅迫の疑いで書類送検されたことが捜査関係者への取材で分かりました。

日本運営代表の笹本氏がnetgeekの愛読者であることでも有名なこのヘイト加担企業、まさに底なしです。
熊本で震災が発生した時には虐殺扇動を含むヘイトデマであふれかえり、多くの人が通報を行ったにもかかわらず、対応は異常に鈍い上に削除されたのはごく一部でしかなく、有志による火消し活動でなんとかデマの拡散を食い止めていた状況でした。そのくせ社内の話し合いで「いきものウィーク」の開催を決定して実行するなど、社内リソースは余っていたことがうかがえます。百歩譲って部署が違うのだとしても、「差別デマを流すな」といったアナウンスくらいはできたはずですし、また震災後も差別をまともに取り締まっておらず、反省は全く見られません。
ちなみに、「Twitter有料化」のデマが流れた時には公式アカウント自ら「おやめください」とアナウンスしています。災害時の虐殺扇動デマよりTwitter有料化デマの方をより重大とみなしているようです。
Twitter前抗議に参加し、自らマイクを握った在日の方は、その後の笹本氏の言い分に失望してTwitterを去りました。改善することはあり得ないと最初から確信していれば、わざわざ勇気を出して参加してマイクなど握らずとも最初から立ち去っていたでしょうが、Twitter日本に改善への期待を託し、案の定裏切られたわけです。
今後また何か災害が発生したならば、おそらくTwitterは再び災害時ヘイトデマの強力な拠点となるでしょう。懲戒請求のもとになったブログは民族浄化をあおっていましたが、そのようなヘイトを信じて実際に何らかの行動を起こすような連中が、この社会には少なからず潜んでいるのです。Twitterのヘイトデマは生命や生活に対する現実的な脅威に他なりません。
レイシストのレイシストによるレイシストのためのサービス、それがTwitterです。このような異常なヘイトサービスに、新聞社や企業のサイトなどの一次リンクから到達できることに驚愕せざるを得ません

今回の「祭り」は一定の意義があるものですが、本来起こる必要のないものであることを忘れてはいけません。本来そんなものがなくても差別は認められないのが当たり前であり、差別の取り締まりが「祭り」頼みになる現状がおかしいのです。
差別は人を殺します。また、日本(現代日本と大日本帝国の両方)やナチスを見ても分かるように、差別は国を滅ぼします。たとえ安倍政権を倒したり、自民党をどうにかできても、それを支持する3割以上の人間がいなくなることはありませんし、マイノリティは今後も社会の3割以上にいつ襲われるか分かったものではない恐怖とともに生活しなければなりません。
ヘイトスピーチに反対することが、今までのように辛く苦しく覚悟が必要な段階、特殊な思想や政治的立場とみなされる段階を超えて「娯楽」にまでなるのは素晴らしいことですから、こうして反差別が徐々にでも社会の日常となり、社会を構成する当然のものとなっていくことを期待します。

2018-05-18 の記事 - 2018-05-18
最近は一部のメディアが頑張っていて、「マスコミは圧力に負けるな」などと言っていたら、早速新潟の事件でメディアスクラムですか。権力とも戦える強大な力を無駄遣いして被害者側を踏みつけるなど、一体何を考えているのか。当然、その力で加害者側を攻撃するのもダメで、それは司法の仕事です。
私はお友達のレイプをもみ消したり、差別を扇動するような縁故主義汚職ヘイト政権を絶対に許すことができません。しかし、それは「犯罪被害者やその遺族を踏みにじらない」ということと根本的には同種の訴えです。ヘイト政権も被害者踏みにじりメディアも、どちらも公正な社会に対する著しい害悪でしかありません。

大量「懲戒請求」返り討ち 賠償請求や刑事告訴も

「時代を変える高揚感があった」 ヘイトと「日本スゴイ」で弁護士へ大量懲戒請求

当然の結末です。
むしろ政党やら報道機関やら大手企業やら、社会的責任と余力を持った存在がレイシストのデマや悪行を放置し続け、それによって成功体験を得てつけ上がった連中が個人を含めて様々な相手に嫌がらせを繰り返してきたわけですから、本来立ち上がるべきはそうした組織でした。弁護士の方々には業務と両立できる範囲で頑張っていただきたく存じます。

この手のレイシストは放っておくと何をしでかすか分かったものではない連中ですから、厳しい制裁にさらされなければならないのは当然ですが、同時に厳しい制裁こそが最大の温情でもあります。
今まで、レイシストへの直接対峙の方法として様々な行動が試みられ、一定の成果を上げてきました。カウンターはその最も広く行われている例で、街中で好き放題差別を楽しんできたレイシストたちは、これによって逆に自分たちが激しい罵声を浴びせられる立場となり、あっという間にカジュアルなレイシストの多くが姿を消してしまいました。
その他、レイシスト宅に家庭訪問して両親に事の次第を伝え、両親同席の上でレイシストを説教すること、あるいはレイシストの親御さんにお手紙を送ることなど、個別のケースごとにいくつかの試みがなされており、これらはいずれも成果を上げています。
これらの家庭訪問やお手紙で叱られたレイシストたちが改心したかどうかは定かではありませんが、少なくとも差別をすれば痛い目に合うと学習し、大っぴらな差別などできなくなっていれば、ヘイトブログを読んで懲戒請求を送る、などといった愚行は当然行わずに済んでいるでしょう。泥沼から引き上げてもらったわけです。

では、ヘイトブログを読んで真に受け、弁護士に対して懲戒請求をした連中についてはどうか。
どのような和解条件を提示するか、あるいは和解などせず提訴するかは各弁護士次第ですが、佐々木氏・北氏によって弁護士1人毎に5万円の和解条件が示され、他の何人かの弁護士もこれと類似の条件を提示しています。言うまでもなく、1人5万円というのはかなり親切で破格の条件です。もし不当懲戒請求1人当たり5万円程度の負担で、ヘイトブログを読んでヘイトを垂れ流すような性根を矯正するきっかけが得られるのであれば、授業料としては極めて安価と言っていいでしょう。
このような温情的な条件を提示されてもなお、あいつらは反日弁護士だから和解などしない、などと言い立てるような連中には、当然ながら裁判が待っています。そうなると経費や賠償もろもろで、和解の何倍から何十倍にもなる金銭的ダメージを負うことになります。
また、懲戒請求者の中には他人の名義を勝手に使った者がいるという話もあります。これが事実なら刑事事件になる可能性もあり、おまけに弁護士の一部は刑事方面からの追及にも乗り気であり、金銭ダメージだけでは済まなくなります。
ただ、実はそれですらかなり温情的な制裁であると言わなければなりません。

というのもこのヘイトブログ、民族浄化すら扇動しています。まともな考えもなしに懲戒請求などという危険極まりない行動を取ったり、気に入らない人間に対する外患誘致罪適用を主張する(早い話が、具体的な方法を挙げてこいつを殺せと言っている)異常者連中のこと、今後何らかのきっかけがあれば何をしても全く不思議ではないのは言うまでもありません。
以前、熊本の震災で「猟銃持っている家は自警団に加わるべき」などといった虐殺扇動が相次いだことがありましたが、物理的な話をするならば、銃の引き金を引くのは懲戒請求を出すよりずっと簡単です。「木の枝」をナタで切り落とすのさえ、懲戒請求よりも相当簡単です。
そして、もし民族浄化やら虐殺やら、そこまでいかなくてもヘイトクライムやらに手を染め始めれば、一番の被害者はその攻撃の対象となった人なのは言うまでもないとして、加害者の人生もまた崩壊します。当然、懲戒請求扇動の責任さえ取らないこのブログは、民族浄化の責任など絶対に取りません。
レイシズムにとらわれた人間の末路など、哀れなものです。ある者は障碍者など無価値などと決めつけ、単独犯として戦後日本最悪レベルの虐殺を行いました。ある者は朝鮮学校を襲撃し、1200万円以上の賠償を命じられました。ある者は朝鮮総連に発砲テロを起こし、前科を積み上げました。レイシストがどれほど苦しもうとも、それはすべて自業自得であって、自分に責任がない属性に基づき攻撃された被害者の苦しみに比べればないも同然のものですが、それでもそのバスの行先は地獄でしかありません。
たかだか1人5万円の和解金やら、提訴されての賠償やらで済むのであれば、まだ相当に安いのです。そのような機会も与えられないまま、民族浄化扇動ヘイトブログなどを信じて行くところまで行ってしまえば、もうその程度では済みません。ただ人生の破滅が待つのみです。
レイシストに対して厳しく当たることは、差別の蔓延を防ぎヘイトクライムなどのリスクを下げるのみならず、レイシスト自身に対する最大の温情であるといえるでしょう。

レイシストが更生した例、というのを軽々しく挙げることはできませんが、最近でも差別的な作品が大炎上した後、その作者が謝罪し、差別について学ぼうと努力を始めた例なら存在しています。これの結末が良いものとなるか、あるいは「やはりレイシストは予後不良だ」と言われることになるのか、それは分かりませんが。レイシストが1人でも減るのは社会にとっても良いことなので、良い結末が待っていることを願っています。
レイシストには懇切丁寧に穏やかに説明しても聞きはしません。それで聞くのであれば、最初からレイシストになどなっていないか、深みにはまらないうちに治癒しています。罵倒して叱りつけるなり、炎上させるなり、裁判沙汰にするなり、自分がやっていることの重大性に見合う(それでも全然足りませんが)衝撃をくれてやらない限り、目が覚めることすらないのです。それにより、たとえ形だけだとしても、差別から足を洗う者が出るならば万々歳です。
無論、それでもなおレイシストを続ける者も多いでしょうが、そういった輩にはやはり厳しい対処しかあり得ません。更生するつもりがないのであれば、間違っても反社会的行為やヘイトクライムに至ることができないよう、徹底的に追い詰めることこそが世のため人のためです。
また、「自分はこのブログに騙されていた」「洗脳されていた」などといった言い方をする連中にも、寛容さは全く不要です。民族浄化を訴える者に洗脳されていたなどと危なすぎることを平然と主張できる神経と幼稚さに驚きますし、そんな人間は歩く危険物以外の何者でもありません。自分が自分の意思で差別をやったことを認めて反省することさえできないのなら、そいつは今後いつ爆発しても不思議ではありません。

今回の件、弁護士の方々は大変でしょうが、極めて面白くて愉快な案件ではあります。そして、こういうのは遠慮なくどんどん指さして大笑いしてやるのが一番です。レイシストは皆に嘲笑される無様でみっともない存在、これが社会に「常識」として根付くことは大事です。
これで反訴などする筋金入りのおバカさんに至っては、法廷で在特会裁判並みの「愛国」的主張を並べ立て、裁判官を凍り付かせた上で厳しい判決が下るのを見ることができるかもしれません。インターネット上の妄想を現実世界に持ってきたらどうなるか。下手なショーより面白いものとなるでしょう。やはり大いに笑ってあげるべきです。
「相手がレイシストだからと笑いものにするのは間違いだ」「頭ごなしに叱るのは違うだろう」、そういった声によってレイシストに市民権を与えた結果、勘違いした者たちが次々とレイシストに合流し、むごたらしいヘイトスピーチがあちこちで見られるようになりました。結果、被害にあった人々はもとより、合流した者をも地獄行きのバスに押し込めることになりました。これでは誰のためにもなりません。
以前、下町ボブスレー騒動なるものがありましたが、その騒動自体では「下町」側に同情的としながらも、「下町」のアカウントが保守速報を肯定的に取り上げているのを知って激怒し、不支持を表明している人を見かけました。私は「下町」自体をくだらない存在としかみなしていませんが、そうした立場や思想などを超えてレイシストにはこのような態度を取るのが正解です。
レイシストという一点で即刻バカにされ、あざ笑われ、罵倒されて追い払われる。それが当たり前になればよいのです。

2018-05-11 の記事 - 2018-05-11
国民民主党が結党、62人参加 幹事長に古川元久氏

一体どこまでセンスのない人々なのか。

小池氏がろくでもないインチキ差別主義者であることは、反差別者を中心に多く指摘されていました。案の定、ツーショット3万円だの振り込め詐欺だのバカバカしいことをやり始める始末で、見掛け倒しのカス札でしかないことはすぐに露呈してしまいます。
普通はこのようなカス札など欲しがる者はいません。ところが前原氏は自らの反共主義を他のすべてに優先させ、なんとカス札1枚のために党を叩き売ってしまいます。市民も、共産党も、その他の立憲野党も、民進党の今までの体制も、それぞれ譲れない部分を譲り、泥水を飲んできたところを、前原氏は駄々をこねて自分だけは泥水を飲むのを嫌がり、党を売る道を選んだわけです。
民進党には差別に対抗し立憲主義を尊重する議員もそれなりに存在し、そうしたことから鼻をつまんで民進党を応援していた人々も少なくありませんでしたが、そうした人々は小池ヘイト党騒動に激怒します。一方で差別主義者にとっては、戦後最悪の差別政権・安倍政権を擁する自民党を支持すれば済む話で、いちいち小池ヘイト党などを支持する理由はありません。
小選挙区ではやむを得ず民進党に投票していた、差別に反対し立憲主義を尊重する人々と、小池氏を支持するような悪質な差別主義者、その両方を取り込もうとして見事に両方を失ったわけです。
その結果、最大野党を取り込んだ小池ヘイト党は最大野党ではなくなり、ないないづくしの立憲民主党が最大野党となるに至ります。これはすなわち、日本のかなりの人々が民主主義・立憲主義・反差別・多様性の尊重を求めていることを意味しています。

当然、野党再編はこの立憲民主党を軸として、最後まで民主主義と立憲主義の望みを捨てずに共闘を模索し続け、破壊される寸前であった民主主義を守った共産その他の立憲野党と手を取り合ったものでなくてはなりません。泥舟から逃げ出すつもりでわざわざ泥舟に乗り込み、立憲野党が死ぬ気で船を準備している横で悠々と出港し、見事に沈没した船などどうでもよろしい。
悪質な差別主義者・小池氏率いる小池ヘイト党に軽々しく移った連中に期待すべきことなどありません。積極的差別主義者ではない者も多いのでしょうが、それは要するに自分の利益になると考えれば即座に差別主義側に立つということですから、そういった連中はいつまた転向して差別主義者につくか分かったものではありません。
ただ現状、小選挙区や参院の一部選挙区で勝ち抜くためには候補者の一本化は必須であり、そうなると支持率も期待もほとんどない小池ヘイト党転向組やら、立憲民主の理念を嫌う民進残党の連中に花を持たせてやらなければならなくなる可能性があります。そいつらがいつ差別を始めるか、立憲主義を否定し始めるか分かったものではないというのに。当然、議席配分も支持の度合いに比べていびつなものとなるでしょう。
終わった政党の井戸の中での主導権争いは勝手にやればいいとして、選挙区によってはこれらの連中の名前を書いて投票せねばならない可能性すらあるのですから、正直うんざりです。こういうのが結果として政治不信を生み出し、図式を分かりづらくし、比例もろともの棄権を助長し、立憲野党の足までもを大いに引っ張っているのですから、一刻も早く消滅してもらえると助かります。

なお、自民党はもはや保守とは到底呼べない異常なヘイトカルト政党であるため見失いがちですが、立憲民主党自体はかなりギリギリの保守リベラルです。小林よしのりと懇意にするだの、横浜市長選で林氏の応援に行く者がいるだの、京都で与党と相乗りするだの、しばしば反レイシスト・反ファシストにとって開いた口がふさがらないような行動を取るのはそういうわけです。
これらの行動には不信感しかありませんし、いずれも大失態であると言わざるを得ません。特に小林よしのりと組んでいるのは論外以下で、氏と手を切らない限り、私は戦略的に必要な場合以外で立憲民主党に投票することはありません。
ただ、こういったどう考えてもアウトな例はともかくとして、支持を集めたり入党の門戸を広げるため、差別や民主主義の否定、立憲主義の破壊をしない範囲(本来、これが「保守」。これを踏み越えるならレイシストやファシスト、極右)で可能な限り根を広げようとすれば、ある程度縁石の上を歩くような状況になってしまうのは必然の結果なのでしょう。
このような縁石を歩く政党よりもなお自民側に寄るのならば、ヘイトカルト政党とならないでいることは困難です。稀代のレイシスト・小池氏が率いようとした小池ヘイト党はまさにその見本ですし、立憲民主党にすら理念的に合流できないというのはすなわち、そういうことなのです。

「万年野党なら立憲へ」=あいさつでは連携呼び掛け−国民・大塚氏

何ならもう立憲民主党も共産党もこいつら放っておいて、選挙区情勢次第では対立候補を立ててもいいのでは?
二大ヘイ党体制が現実のものとなった時、立憲主義や国民主権はおろか、マイノリティが日本社会で平穏に生きて暮らすことすらも風前の灯火となりました。その火をかろうじて絶やさなかったのは、共産党など既存の立憲野党と立憲民主党、それを支えた市民たちでした。ふざけた小池ヘイト党合流騒動などにより、マイノリティの命の灯火を平然と踏み消そうとしていた連中が、自らの差別加担を謝罪するどころか偉そうなことを言うなど、吐き気がします。
いくら共闘が重要だからといって、こんな奴らに票を投じたくありません。安倍一派と小池に寝返った一派、どちらか好きなヘイト勢にマイノリティを襲うための武器(票)をプレゼントしろと言われたら、比例のみ投票すら考慮に入れます。

なお、ヘイトカルト政党が登場する時によく出てくる決まり文句の「現実的な安全保障」とやらは「差別を許さない世の中など現実には無理だから差別させろ」に、「寛容・穏健保守」は「在特会ほど露骨ではない差別」に、「自民党とは違う保守」は「自民党とやや違った層を差別します」に、「建設的対案路線」は「自民党と張り合って差別します」に、「リベラル右派」は「自由に差別」に、「あの党は左に寄りすぎ」は「あの党にも差別をさせるぞ」に読み替えると理解が容易になります。

2018-05-05 の記事 - 2018-05-05
先日YouTubeを開いた時のこと。
基本的に私は、YouTubeでは中国語と英語以外のコンテンツを見ることはありません。やむを得ない理由で日本語の動画を見る場合には別のブラウザを用い、汚染されることを避けています。また、言語や位置情報は英語・英国に設定してあります。
ところが、なぜか"Recommended"などとして、DHCのヘイト動画や福田氏のセクハラ音声に難癖をつける動画をおすすめしてくるではありませんか。所在地設定を英国にしていて、日本語の動画を一切再生せず、おまけに中国語の動画を多く見ているユーザーに対してすらこれですか
日本語設定にして、所在地を日本にして、日本語の動画を見る人はどのような地獄を見せられることやら。たまたま動画を見に来た人が感染してしまい、やがて他人の尊厳を踏みにじる者の1人になるのかと考えると、頭が痛くなります。

内閣府サイト:ヘイトスピーチや誹謗中傷野放し

特段驚くには値しません。

無論、これはとんでもないことで、絶対に許されてはなりません。言うなれば「国営保守速報」とでも呼ぶべきものを、ヘイトスピーチが社会問題化した後でさえ内閣府がgo.jpドメインで運営し、今どきSNSですら削除されてもおかしくないような異常な差別を垂れ流しにしていたのですから。
それも、どれほど滅茶苦茶で異常な意見でも全部掲載するというならまだしも(それはそれで国営匿名掲示板ということですから大問題ですが)、不適切なものは掲載しないと宣言した上でこれなのです。
そして実際、かなり多くの「愛国者」は日本語を適切に使うことができないのに、記載されている意見は内容はともかく文意としては明瞭なものが多く、しかも「愛国者」は意味不明で理解不能な投稿、テーマとは全く関係のない投稿などを乱発するのが日常茶飯事であるのに、そういうものがサイトを埋め尽くしていないことを考えると、意味不明な投稿の除去と校閲・修正が行われた可能性は高く、全部そのまま掲載という運用にはなっていないとみなすのが自然です。
これを異常と呼ばずして、何を異常と呼ぶべきでしょうか。

しかしながら、今の日本の政権は安倍政権です。差別とデマとデタラメのみで構成された、戦後最低最悪のヘイト政権です。国営保守速報が運営されていたことは不思議でもなんでもなく、仮に運営されていなければそちらの方が驚愕に値したことでしょう。
本件もまた、差別政権のゴミ屋敷からまた1つゴミが見つかった、というだけでしかありません。
それよりもむしろ、次から次へと差別が湧いて出てくる異常な政権を肯定する者が未だ3割以上も存在することの方が恐怖です。マイノリティにとって、世の中の10人のうち3人以上の者が自分や家族に何をしてくるか分かったものではないというのは現実的な脅威ですし、マジョリティにとってみても、例えば自然災害後の混乱時などにヘイトクライムが起きそうになったとして、それを止めようとすれば、あるいは自分がマイノリティとみなされれば10人中3人以上が何をしてきてもおかしくないということですから、極めて恐ろしい状況なのです。

ところで、一部には「リベラル寄りの意見も記載されている」ことを理由として、本件の重大性を矮小化しようとする論が存在するようですが、それは言うまでもなく一切成り立ちません。
本件でなされたのは、特定の人種などに対する差別扇動、及び特定の人物を処刑しろなどと扇動する行為です。リベラル寄りの意見も掲載されていれば、差別扇動や殺害扇動の効果はなくなるとでもいう気でしょうか。無論、そんなものを記載したところで、それが差別扇動の効果を消滅させることなど全くありません。
差別は人の魂を殺し、そして実際に人を殺します。この国営保守速報は被差別者の魂と尊厳を踏みにじっているのであり、そうやって被差別者をグリグリと踏みにじりながらリベラルな意見も読み上げたとしても、踏みにじられている側からすれば何の意味もありません。

内閣府サイト、公開中止に ヘイトや誹謗中傷を放置との指摘が相次ぐ

>また、過去の投稿のチェック体制については、「当時の担当官ら複数の目を通していた」ことを明らかにした。
>「明らかに間違えている誤字脱字などを、一部修正することもあった」というが、2016年度に休止した事業であり、すでに担当が変わっているため、詳細は不明という。


やはりそうですか。
複数の目が内容をチェックしているとして、全員があのような差別を妥当であると判断することは、普通に考えればあり得ません。あれはもう、立場だの政治的思想だの以前の問題です。
そして実際、問題になった後にこのコンテンツは削除されました。まともな国政モニター事業なら意見を削除する必要はないわけで、担当者も本件が言い逃れのしようもない不適切案件であると認識しているということです。
差別が誤って1件だけ混入してしまった、あるいは差別かどうか判断が難しいものが含まれていたというならまだしも、どこからどう見てもアウトなものがいくつも記載されているとあっては、見落としの可能性もありません。
とすれば、可能性は1つ。ああいう差別を記載することが「方針」であった、としか考えようがありません。方針に基づいてあえて差別を記載し、あえてgo.jpドメインで差別を拡散し、あえてそれを行政に反映させようとしていた、結果的にそうなったのではなく正真正銘の国営保守速報というわけです。

こうしてまた、異常事態が正常に行われていたことが発覚しました。日本社会ではもう、異常なことが正常となってしまった状態が何年も続いています。そしてそれにより、日々の平穏な生活を脅かされている人々、尊厳を踏みにじられている人々がいます。
日本社会はいつまでこのようなことを続けるのでしょうか。

2018-04-28 の記事 - 2018-04-28
朝鮮半島の融和。素晴らしいことです。おそらく今後とも困難は多いはずですが、その一歩がまずは重要なのです。
ところで個人的には、あれだけ危機的であった情勢が急激に融和に向かった理由として、安倍政権の韓国版と言っていい朴政権が倒れたことと同時に、韓朝米中の各国が「日本は融和を破壊したがっていて、日本を外せば融和は成立し得る」と気づいたことにあるのではないかと考えています。
一歩前進すれば「自分の圧力のおかげ」と威張り散らし、一歩後退すればほら見たことかと高笑いする。そういう愚者の声など今後とも一切聞くことなく、たとえ一時的に後退する局面があったとしても、平和に向けて着実に進んでほしいと願っています。

下村氏「メディアは国家をつぶす」 与党内でも批判

私はこの「日本のメディアは日本国家をつぶす」という言い分にはある意味大いに賛同します。
公文書改ざんを大本営発表の通りに「書き換え」と言い張る。権力監視や社会正義のため、権力に対抗可能なほど強大な力を預けられているにもかかわらず、その圧倒的な力を権力と一緒になって社会的弱者や被害者に向け、力のない彼らを情け容赦なく踏みにじり、差別を垂れ流して被差別者を足蹴にする。困窮者の過失をあげつらったり、過失がなくても貶めるのを正義と称し、権力の巨悪は無視する。「山口メンバー」には大騒ぎし、より重大な案件の「山口安倍友メンバー」にはだんまりを決め込む。
自民党と並んで日本を滅ぼす腐れ外道であるとみなして差し支えないでしょう。

ところで、このところ失言に事欠かない自民党ですが、一番驚いているのは言った本人たちでしょう。
これまでは言えば言うほど支持率が上がっていたのに、なぜか言うと非難されるようになってしまったのです。危機的状況の中で失言が増えたのではありません。これと同等のことが散々なされてきて、大勢の人々が踏みにじられてきていたのに、何ら問題視されていなかっただけなのです。
やはり抵抗のすべをほとんど持たない立場の弱い人々を強大な政府・与党が踏みにじってすら、立場の弱い人々の側に立つことを拒むどころか、しばしば一緒になって踏みにじりに行っていたメディアの責任は重いと言わざるを得ません。

昭恵夫人、ヘイト集団「在特会」関係者主催の「安倍政権がんばれデモ」に応援メッセージを送ってしまう

はい、この通り。

よく「昭恵案件」などと言われたり、昭恵氏の奔放ぶりに政権が振り回されているような印象を受けますが、実は昭恵氏こそが安倍政権の忠実な「鏡」です。
例えば森友問題は典型的なお友達案件ですが、ただのお友達案件ならよくある汚職にすぎません。子どもたちを虐待し、差別を垂れ流す異常な教育であるがゆえに、安倍氏の肩入れを受けて汚職が行われ、学校が作られる直前まで行ってしまったという点こそ重要なのです。
昭恵氏が善意の人間というのも間違っています。仮に善意があるのなら、虐待を受けている児童たちを見れば憤り、差別を見れば激怒し、それらを止める方向に動くのが、理論以前の感覚の問題としても当然であるからです。ところが森友といい今回の件といい、そろいもそろって差別や虐待を肯定する方向のものとなっており、その逆に熱心であったという話は出てきません。子どもや被差別者が踏みにじられるのを見て喜ぶ「善意」などあってはたまりません。
要するに、昭恵氏というのは現政権を最も色濃く反映した存在なのです。安倍氏周辺では昭恵氏への不満がくすぶっているともいいますが、昭恵氏は開き直ったかのように行動し、内閣は悪事がバレると誰かを尻尾に据えて切り捨てるパフォーマンスをする、という違いがあるだけで、理念自体はさして変わりません。それどころか、安倍内閣が落ち目となるまでの間は、昭恵氏は内閣別動隊と言ってもいい存在であったことでしょう。
悪夢の人種差別内閣・安倍内閣。その首相夫人にふさわしい悪質な人種差別者が昭恵氏である。夫婦そろって、ヘラヘラと笑いながら被差別者をいくらでも踏みにじることができ、それに良心の呵責を感じることなどいささかもない人物である。ただそれだけです。

>ツイートに名前の出てくる西村斉は在特会の京都支部長にして、在特会の桜井誠(本名:高田誠)前代表が代表を務める日本第一党京都本部本部長。そして京都朝鮮学校襲撃事件というヘイトクライムの主犯であり、ロート製薬強要事件、徳島県教組業務妨害事件の主犯として実刑判決も受けた人物です。
>なお、上述した昭恵夫人のメッセージ読み上げ動画もこの西村斉の公式YouTubeチャンネルにアップされたものです。


西村斉についてはちょうどニュースが出ています。

ヘイトに名誉毀損罪初適用 在特会元幹部を在宅起訴

まさに旬の人物といったところですか。稀代の人種差別首相の夫人だけあって、その選別能力は素晴らしいの一言です。

安倍内閣の手によって、差別は「許されないもの」から「その辺で普通に見かけるもの」となり、日本社会は不気味な存在へと変貌してしまいました。被差別者が被差別者とバレるやいなや、親切で丁寧だった隣人が、あるいは何十何百とすれ違う通りすがりの人々が、何をしてきたとしてもおかしくないのがこの社会なのです。
内閣もろとも一刻も早く表舞台から退場していただき、大事に至る前に「差別は許されない」という最低限の常識を急いで取り戻さなくてはなりません。

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